第57話 模倣
「……行かなきゃ」
初回の攻防を観て、航大は決意する。あの力を画面で見せつけられ、居ても立っても居られなくなったのだ。
「ダメ!!」
だが、京子はそれを良しとしなかった。
彼女は出入り口のドアへの通り道を塞ぐ。
「何考えてるの?! 絶対安静だって言ったじゃない!」
「行くと言ったら行くんだ! そのまま黙って観ていられるか! そこをどけ!」
航大は強い口調で言い放ち、立ちはだかる京子を払い退けようとする。
「ダメ! 絶対に行かせない!」
京子は航大を抱きしめるようにがっちり掴む。決死の行動にさすがの航大も前に進めない。
そんなやり取りを繰り返していると、病室のドアが開いた。
黒のジャージに身を包んだ男。航大には見覚えがあった。
忘れるはずがない。幼い頃にとある出来事から姿を消したあの男だ。
「よう。荒れてるな、少年。いや、大村航大」
「あんたは……まさか」
「そのまさかさ。久しいな。事故から五、六年ってところか」
大村雄一。現在は古村雄大という偽名を使い、帝城高校の監督として腕を揮っている。
「何故だ……。試合中なのに」
「選手には事前に渡した指示書により行動を予め決めてある。計画に問題はない」
余裕を見せる雄一を見て、航大は思う。
ここにいるのは父ではない。父の皮を被った偽物なのだと。
「……あんた、今まで何をしていた?」
「気になるか? 決勝の帝城ナインの秘密よりも」
「秘密……?」
話に食いついていることを確認した雄一は、航大に言う。
「これまでのことともまあ関連はあるさ。それにこの世界で起ころうとしていることも」
「世界……?」
眉を寄せる航大に雄一は言う。
「お前は不思議に感じなかったか? これまでの戦いを」
「確かに、妙なことはあった。解雇された前の監督が出てきたり、有名選手にそっくりな投球術、部長の行動……」
雄一は頷き、航大に問いかけた。
「じゃ、コウシエン大会、というところにはピンと来なかったか?」
「いや。カタカナ表記だな、としか」
そう言うと雄一は少し間をおいて考える素振りを見せる。
「何だと言うんだ、コウシエン大会が」
「何も疑問を持たない、か」
頬に手を当て、少しの間をおいた雄一は告げた。
「はっきり言おう。この大会は、俺たちの組織が用意した偽の大会だ」
「コウシエン大会が……偽物?」
黙って話を聞いていた京子が衝撃のあまり言葉を漏らす。
「本来の名前は知る人ぞ知る甲子園大会。だがその名もいつの間にか奴らの手によって書き換わってしまった」
「奴ら……?」
航大の疑問には触れず、雄一はふぅと息を吐き、窓を見る。
「きれいな空と空気だ」
雄一は独り言のように言って、呼吸を整え話し始める。
「……長い戦いだった。だが、俺はなんとか生き残る術を得た」
数年前、当時高校生だった大村雄一は罪を犯した。
「俺は元々この世界の人間ではない。とある禁忌に触れ、組織に追われる身だったわけだが、運良くこの世界でお前の母と出会ってな」
航大の母のいるこの世界に来て、雄一はしばし安全を確保でき、学校への編入も許された。
そこから時は経ち、雄一は結婚した。
「そしてお前が産まれた」
これが意味するものは何か。彼は語る。
「大村航大。その正体はこの世界の人間と異世界人とのハーフ。お前は本来生まれるはずのない存在だったのさ」
本来産まれないものが産まれたことで世界は狂うことがある。それ故他世界への不可侵といった不文律があったのだが、それを破り幸せに暮らしていた雄一にかつての同胞は嫉妬したのだとか。
そのため彼は命を狙われ、あのような事故で行方をくらますに至った。
だが、たかがひとりの混血が産まれたとて何が変わるのか。航大は疑問だった。自身が他人と違うことを意識したことはない。
「俺がいた世界では遺伝子関連の研究がかなり進んでいた。遺伝子という設計図さえあれば人間ひとりを簡単に作り出せるくらいのな」
雄一の持つもう一つの顔。彼は野球人であり、研究者であった。
「あるとき、俺は知った。異世界人との混血で強力な力を持つ子供が産まれることを」
強力な力。といっても航大には何のことやら。
「何言ってるんだ。そもそも俺に絶対的な力などない。そんな力があるなら、俺は中学で全国制覇できていたさ」
航大が言うようにはならなかった。それは何故か。
「簡単な話だ。お前には幾度となく試練を与えたからな。成長を促すためにわざと現レベルで勝てない相手をぶつけた」
それが大阪桐将の多田や明王第一の代々木に相当するのだと雄一は言う。
「強い相手とぶつかればお前はもっと強くなれる。そうすることがこの世界のためになる」
「どういうことだ」
「これから先に起こることに対抗するためだ。異世界人による侵略を阻止するためのな」
異世界人による侵略を阻止する。野球とかけ離れた突拍子もない目的を聞かされ、航大の目は点になる。
「侵略……?!」
京子は驚きを隠せない。
「とはいっても侵略は見えないところからすでに始まっている」
雄一によると、高野連の連中は異世界の人間にすり替わり、ルールの変更も彼らの都合のいいように書き換え放題になってしまったのだと。
「全て偽物だった。この大会も、これまで歩んできた道も。俺は想定されたレールの上をただ歩いていただけだと、そう言いたいわけか」
「まあ、そういうことだ」
三人は黙る。しばし静寂が流れ、航大は言った。
「奴らの目的が侵略として、なぜ俺、俺達なんだ」
なぜか。今までの話の流れからほとんどわかりきった、確認を込めた上で航大は尋ねる。
「全てはお前を成長させるためだ、航大。お前なくして驚異には立ち向かえない」
現に、その最終試験として用意された舞台が今行われている決勝ということになるのだと雄一は言った。
「俺だけでなく、中村や、青木を真似た選手が対戦相手なのもそのためか」
「そうだ。彼らはほぼ完璧に君等龍山学院の一部選手を真似た模倣選手だ」
模倣選手について語る雄一。
もとは高校でレギュラーどころかベンチ入りすることもできない選手レベルだった黒部、永山に加え実力者だがもうひと伸び足りない浜本。それが全国でも通用する選手になれば本人にとっても嬉しいことだろう、と雄一は言う。「こちらとしてはデータも取れる。ウィン・ウィンというやつさ」
原川は航大のコピー。浜本は中村のコピー。
ただでさえ航大のコピーに苦戦している状況で彼、浜本が出てくる。試合展開はさらに厳しくなるということだ。
「なら、尚更じゃないか。俺が出なければ……」
「お前は味方を何一つ信頼してないんだな」
「何……?」
航大は眉を細める。
「これまでお前の動向はいろんな人物から聞いていた」
雄一は言う。
未熟な監督に実力不足な上級生に経験不足のチームメイト。自然と航大に頼らざる負えない構造だったのは否めない。
そのような状況で航大が出たところで同じことの繰り返しなのだ、と。
「野球とはもとよりチームスポーツである。個人の力をぶつけ合うのは結構。だがその前にチームとしての形があってこそだ」
そのことを龍山学院というチームが示さなければ、航大を試合に出す価値がない。
「航大が居なくとも戦える、そうでなければ外敵に支配される運命は目に見えている」
そこまで彼を駆り立てるのは何か。航大は気になった。
「なぜそこまでする?」
「見ず知らずの俺を拾い、結婚までしたお前の母をはじめ、色んな人に出会った。そこで思ったのだ。この世界は希望に満ちている、と」
そんな世界をよその世界から来る侵略者に滅茶苦茶にされたくはない。雄一は言った。
たとえ色んなことを包み隠していても、これだけは彼の率直な思いなのだろう。
「現に、俺は奴らに支配された世界を見てきた。形容し難い、ひどい有様だった」
彼は一体何を見てきたのか。それ以上は何も言わない彼からそれを図り知ることはできない。
航大は問う。
「あんたは、優勝なんてもとから興味ないってか?」
「その通りだ。彼らはあくまでコマに過ぎない。お前たちを成長させるための過程でこしらえた急造ものだ」
雄一は言い切った。それに対して京子は反発する。
「ふざけないでください!」
怒気をまとった言葉が室内に響き渡る。
「あなたは航大くんが傷ついて野球から離れたことも成長の過程で想定内、だと?」
「そうだ」
「自然な形ならまだしも、あなたは意図的に強敵をぶつけた。結果、航大くんは野球から離れてしまった。もしずっとそのままだったらあなたはーー」
すると、京子の言葉を遮るように雄一はこう返す。
「そうはならんよ。言っただろう、全ては想定なのだと。苦しい、悔しいといった感情を乗り越えてこそ本物のエースになれるのだ。君の感情論など……響かないな」
静寂が流れる。と同時に京子や航大は思った。この男を説得など出来はしないのだ、と。
「大村雄一……否、古村雄大の立場として言おう。他人を信用できない時点でお前が試合に出ても得られるものはない。故に今お前を試合に出させはしない。この世界の未来のために」
舞台はコウシエン球場に移る。
序盤で早くも試合が動いている。
打席には四番。チームの主軸に対し異例の代打が送られた。
その名は浜本。かつて北近畿シニアの正捕手だった男。最後の大会で中村にポジションを奪われ、野球から遠ざかった過去を持つ。
「浜本さんまで向こうにいたとは……野球、辞めてなかったんですね」
「いいや、つい最近までグローブすらはめてない生き方をしていたよ、俺は」
ホームベース上付近で会話を交わす中村と浜本。
「俺はあなたに背中を押されていつしかこんなところまで来れました」
「そうか。だからといってそう簡単に頂点にたどり着かれるのも困るな」
左打席に入る浜本。そこで中村は黒部や永山が打席に立ったときと同じ違和感を覚える。
(あれ? この人は左バッターだったか?)
中村の記憶には右打席に立つ浜本の姿が焼き付いていた。
左打席。何が理由で変えたのかは知らないが、中村は変化球で様子を見る様にサインを出す。
(初球……カーブ)
猿渡の首が縦に振れ、初球を投げ込んだ。
浜本は手を出さない。それどころか微動だにしていなかった。
(全くの無反応……。真っすぐ狙いか? だが、猿渡の投球内容は大半が変化球。直球のサインなんかほとんど出さないし、出す気もないが……それしても不気味だ)
二球目。さっきは単に低めだったが、今度はもっと厳しいコースを突いていく。中村はサインを出す。
(外角低めいっぱいだ)
今の猿渡ならストライクゾーンの四隅に変化球をコントロールできる。
無反応だった変化球を続ける。打者が一般的に打ちづらい外角低め。選択としては何も問題ないーーはずだった。
(よし、外角低め……え?)
あっという間だった。
待ってましたと言うかのように物言わぬ金属バットが振り下ろされ、大飛球がスタンドに吸い込まれていく。
「嘘だろ……」
初回にして三点のビハインドを背負うことになった龍山学院。それだけでもかなりのダメージを負ったが、中村にはもう一つ衝撃を受けたものがあった。
「打ち方、仕草、リリースのタイミング……何から何まで俺の打ち方じゃないか」
浜本にホームランを打たれた猿渡もかなりの精神的なダメージを負っていた。
(外角低めギリギリに投げたのに。あれが打たれてしまうというなら、俺はーー)
五番打者、金井との勝負。猿渡の集中力は切れてしまっていた。
流石ははここまで進んできたチーム。甘い球を捉え、打球は外野へと抜けていく。センターを守る青木が一、二とバウンドした球を捕球し長打になることだけは防いだ。
その様子を見て、普段は冷静な日下部が珍しく声を荒げる。
「集中しろバッテリー! まだ初回だぞ!」
中村と猿渡は我に返る。
「俺達からレギュラーを奪い取ったお前らの実力はそんなもんじゃないだろ! 踏ん張れ!」
激を飛ばす日下部。
そうだ。まだ初回だ。
(打ち方が俺にそっくりだからって何だ。いくら真似て来ようとも本物は俺なんだ)
この打者を抑えて流れを切る。
中村は自分の役割を再認識し、ミットを構える。
(来い、猿渡。まずはここを切り抜ける)
今まで見せていない速いカーブ。スライダー気味に横に曲がる球に清水は打ち損じ、打球が三塁線に転がる。
倉田は慣れた手つきで捕ると、すぐ二塁に転送。待ち構えるのは守備の名手、今西だ。
「よし、来た!」
今西は倉田から送球を受けて二塁ベースを踏み、間髪入れず一塁へ転送する。
「アウト!」
観客から歓声が上がる。内野陣はダブルプレーで後続を断ってみせた。
ベンチに戻ってきた猿渡。
五、六番を抑えるも彼に笑顔など微塵もない。悔しそうな表情を見せる彼と中村に日下部が声を掛ける。
「よく抑えた。確かに打たれはしたが、悪くない球だった。そう悔やむな」
「日下部さん……」
「まだ始まったばかり。一点ずつ返していけばいい」
日下部の励ましにうなずく二人。
初回の攻防を終え、早くも明暗が分かれる形にはなったが、まだ諦めるところではない。
まずは一点を取りに行く。龍山学院は気を引き締め直す。
二回表、打席に中村が入る。
「航大の球は中学の頃からずっと見てきた。俺が一番、あいつの球を知っている」
中村は速球を待つ。航大の投球の大部分は速球。変化球もたしかに投げるが、中村にとっては子供騙しにしかならず、意表はつけども抑えるまでにはいかない。
その初球。待っていた球が来た。
(やはり来た、ストレート!)
ここだ、という感覚に従い、バットを振り抜く。技術だけでは勝てない。中村は感覚の世界に身を委ねた。
強烈な金属音が響き、打球を外野のスタンドへと運ぶ。
「ファール!」
が、惜しくも打球は左に逸れてファールゾーンのスタンドへ消えていく。
「ほう。流し方向でもあそこまで飛ぶか。あれから練習は欠かさなかったようだな」
この回からマスクを被る浜本が言う。
「そう呑気に構えているなら、打ちますよ」
三点ビハインド。できるなら一発より繋いでいきたいのは山々なのだが、全国屈指の相手に次が繋がらないことは昨日の準決勝で証明済みである。
中村も一発を狙い、特大ファールを放ったが、心はもやっとしていた。
(打つとは言ったが、さっきの感覚でぎりぎりだ。少しも気を緩められないな)
二球目も案の定、豪速球が中村を襲う。
バットを出す。が、打球はまたしてもレフト方向へ。
またも強烈な打球が飛ぶ。
さすがは四番だと観客の誰もが思ったことだろう。だが、ベンチの見方は違った。
「中村くんでも精一杯ね。さっきよりも差し込まれている」
監督は言った。中村はタイミングが取れているわけではない。
あくまで自身の経験と研ぎ澄ました感覚を頼りにバットを出している。
単なる技術だけでは打てないと思わせるほど、監督の目には原川による航大の再現が完璧に見えた。
「見知った球筋だからといって調子に乗らないことだ」
「そっちこそ、よそから得たモノマネで俺に勝とうなんて甘いですよ」
「そのモノマネに苦戦しているのはお前だろう?」
ホームベース上で舌戦を繰り広げたのち、三球目。
(遊び球はない。……本当に俺を真似るなら余計な球は挟まないはずだ)
狙いを絞る中村。
(さっきと同じ! もらった!)
だが、バットは空を切り、ミットに轟音を響かせた。
「ストライク、バッターアウト!」
「……打てなかった」
今度は完全に振り遅れ、中村は膝をつく。
その様子を冷たい目で見下ろす浜本。
「わかったか、これが今の俺たちの実力だ」
中村が三振に倒れた。それだけでも流れは良くない。
以降の打者が中村より上なわけがない。
五番の高井川、六番の不知火もなすすべがなく凡退した。
二人とも原川をこう表現した。
「まるで、航大と戦っているみたいだ」
なぜ、航大や中村らを真似しているのかはわからない。
龍山学院の選手たちにとって紛れもなく厄介な相手なのは間違いなかった。
「相手は俺たちのコピーだと思った方が良さそうだ」
「ということはこの回も……?」
猿渡、中村のバッテリーはマウンドに向かう前、作戦を練っていた。
「ああ、用心した方が良さそうだ。一巡してみないとわからない。それにこの回は航大のコピー、原川に打順が回る」
航大のコピー。投球だけでなく、打撃でも彼の真似事をされたならそれはそれで困ったことである。
「航大は成績で見ればそれほど強打者ってわけでもない。バッティングは苦手と言ってはいるが、ここぞの場面では打つ曲者だ」
まず、七番八番を塁に出さないこと。それなら原川に回っても多少の火傷は覚悟できる。
「よし、行くか」
「おう」
三点差。四番は抑えられ、先発は打たれ……序盤ながらほぼ詰み寸前の展開だが、まだ戦えることを示すべく彼らは守備位置につく。
七番、東山。打率はそれほど高くないが、ここまで勝ち上がった選手。舐めてかかっていいはずがない。
中村はサインを送る。
(練習通りにいこうか。まずは猿渡の持ち味を惜しみなく出すことだ)
猿渡は頷く。
初球。大きく浮きあがり、半円を描くように曲がる大きなカーブ。
東山は反応できない。驚く表情を見せていた。
「ストライク!」
これが猿渡の持ち味。変化球をほぼ完璧にコントロールする力が彼にはある。
二球目も大きく曲がるカーブ。外角低めに決まり、追い込んだ。
こんな球、打てるものか。と、顔に書いてあるほど苦悩している東山の表情に中村は考える。
(前の回の五、六番といい、こいつも誰かのコピーというわけではない。コピーとそうでない選手が混じっているということか……?)
ならば、ここは。中村はサインを送る。
(三球連続か……。いいぜ)
猿渡は投じた。同じカーブを。
外角ギリギリに決まったそのボールに対し、バットは動かない。
「ストライク! バッターアウト」
肩を落とし、ベンチに向かう東山を見て、中村は思う。
(コピーの選手以外は猿渡を知らないようだ。なら、まだなんとかなる!)
八番も、猿渡の変化球に四苦八苦。三球で仕留め、問題の相手と対峙する。
九番の原川。航大の力をコピーしている化け物だ。
「よろしく」
闘争心は感じない。力なく構えるだけで打ち気がないように感じられる。
(だが、油断するな。さっきと同じ方法で抑えにいくぞ)
初球のカーブでカウントを取りに行く。原川はバットを振らない。
「ストライク!」
(よし、次だ。外角低めいっぱいに。これでどう出るか……)
二球目もカーブ。今度はストライクゾーンギリギリに構える。
投じられた球はミットを動かさずとも、すっぽりと収まる。一球目と同じく、原川はバットを動かさない。
(見逃した……か。打つ気なしなのか?)
三球目。中村はラストボールに悩む。
(三球続けるか……それとも別のカーブにするか)
猿渡には三種類のカーブがある。速いカーブ、スローカーブ、縦に落ちるドロップカーブ。
二球とも大きく曲がるスローカーブを投じたが、三球連続ともなると対応されるかもしれない。
(速いカーブでいこう。速度差で振り遅れを狙おうか。どうせ投手だ。当ててすら来ないかもしれない)
猿渡は投じた。スライダー気味に横に曲がりながら沈んでいく。
これで見逃し三振か。そう思われた、が。
初めて原川がバットを振った。それも、バットに当てたのだ。
「何?!」
思わず、中村は声を漏らす。
「悪いね。勢いづかせるわけにはいかないから」
原川は言う。その無機質な声に感情はない。スイングには無駄がなく、まるで精密機械のようだ。
次に一、二球目に投げた遅い真っすぐを投げさせる。結果は、またバットに当てて来た。
打球が前に飛ぶ様子はないのだが、不気味だと中村は感じた。
(これを当てた? ならなぜ一、二球目を見逃した?)
策士。これは航大を表すのにふさわしい言葉だと中村は思っている。
原川が航大の細部までをコピーしているというのなら、たとえ九番だとしても気は抜けない。
(どうする。遅かろうが速かろうが当ててきている。主力、いやコピー選手は俺たちを知っている、ということか?)
中村は考える。
ならば、航大の弱点を突けばいい。
そんな弱点があるか、と言われると明確には答えられない。
だが、中村は航大をずっと見てきた。
それ故に彼がある特定の条件下で無意識に球を見逃すことがわかった。
(たしか、点差が三点以上で二死ランナー無しの状況。この条件で航大は出塁したがらない)
事実、その条件での打率は一割どころかヒットは一本もない。
(ここだ。この球はあいつなら多分見逃す。原川が本当に航大のコピーだというのなら……!)
サインを送る。それを見た猿渡は一瞬目を丸くして驚くも、すぐ頷き、投球体制に入る。
(さあ来い、ラストボール!)
投じられた球は……直球だった。それもど真ん中。
(何っ?! 今の俺を舐めてるのか!!)
原川は思うが、肝心の腕が動かない。まるで金縛りにあったように。
(くそっ、動け! 動け! こいつをスタンドにぶち込んで四点目、それで終わるんだから……!)
原川の心の声は体には作用しない。まるで自分なのに自分でない感覚。
「ストライク、バッターアウト!」
観客席からは落胆の声が漏れた。
「馬鹿な。なぜ腕が動かなかった……」
そうつぶやき、当の本人は力なくベンチに下がっていった。
二回裏をゼロで抑え、ベンチに戻った中村と猿渡の二人。
「まさか、当の本人にここまで似せてくるとはな。あれは完璧な模倣だな」
そういう中村に対し猿渡は疑問を投げかける。
「なぜ、原川はど真ん中の真っ直ぐを打てなかったんだ?」
猿渡は最後の球にど真ん中の直球を選択した意味がわかっていなかった。
「航大の性格さ。あいつは塁に出たがらないことがある。原川自身は打つ気があったようだが、コピーした航大ではあのボールは打たないんだ」
中村と航大はシニアでバッテリー組んだ仲。
その中村が言うのだから、間違いはない。
「航大はなにもない場面では、ほぼわざと凡退する。ここぞの場面での確率を上げるために」
「その航大の性格ですら真似した、と?」
中村は頷く。まじか、と驚く猿渡。
「じゃ、攻略法わかったじゃねえか。俺たちが嫌うことをこの試合で相手にやれば、まだ戦えるじゃん」
ラストボールの意図を理解した猿渡に中村は言う。
「その通り。ここからが本番。反撃開始だ」




