第53話 逃げ場なき戦い
龍山学院側のベンチで、控え捕手の宮崎が言葉を発した。
「不思議だよな」
「……何が?」
宮崎の言葉に疑問を投げかける京子。
航大が投球練習をしている間、二人はその様子を見守りつつ話をしていた。
「航大さ、ヒットは打たれてるけど併殺で切り抜けているから、実質相手の打順が回ってないんだよな」
「そうね。ここから四回に入るけど打者は二巡目の一番。なんか不思議な感じ」
航大は粘りの投球を続けていた。だが、相手は優勝候補の打線。一巡目で航大の球をヒットにできる選手など今までいなかった。
京子の頭に不安がよぎる。今は彼に全てを託すしかないが、どうしても嫌な考えが思い浮かんでしまう。彼女は両手で握りこぶしをつくり、マウンドを見つめる。
(航大くん、私は信じてるよ)
「さて、二巡目だ。……やり方は変えないんだな?」
「ああ、問題ない」
「とは言ってもな……。こっちはあの打球を見せられただけでもヒヤヒヤしてるんだ」
投球練習を終え、航大と中村の二人はマウンドにいた。
「プランに変更はない。球数を抑えつつ、相手打線を封じ込める。そのためには打たせてとる方が効果的だ」
「打たれること前提の投球なんて。お前、本当にそれでいいのか?」
(……そりゃ不本意ではあるさ。だがな中村よ。そんなにワガママ言ってられない世界に来てるんだよ、俺たちは)
中村が守備位置について、航大は考えを巡らせる。
プライドを捨ててでも勝ちたい。三振には拘らず相手を打ち取る。
優勝旗は夢ではない。現実の手の届くところまで、触れられる位置まで来ている。
頂点に立ちたい。今はその思いだけで十分だ。
四回の明王第一の攻撃。打席には二巡目となる新谷が入る。
「さて。今度こそ、捉えてやるよ」
初球。打たせてとる作戦のため、球威やコースはやや甘めに。その分変化はベース手前で打ち損じを狙う。
「お見通しなんだよ! 一打席通用しただけで調子に乗るな!」
新谷は確実に当ててきた。それも外野へジャストミート。無死一塁となった。
(打たれた……)
(まだだ。気持ちを切らすな、中村)
二番の朝倉が打席に入る。打席を見るに何か目的を持っているようだ。
(さっきの打者は変化球待ちか……。こいつは何を待っている……)
中村は考える。だが相手の考えを読むことはできない。
(変化球狙いなら、直球押しでどうだ?)
その考えは安直だった。
(変化球が打たれたから次は直球。なんとも読みやすいリードだ)
迷いなくバットを振りだす朝倉。打球はあっという間に外野へと飛んでいく。
(嘘だろ……。直球も、変化球も……)
三番の伊勢崎には粘られ、四球を与えてしまう。大ピンチだ。
中村がタイムを取り、間を設ける。
「……まずいな」
「まずいのはお前だよ」
航大は中村の発した言葉に対して、即座に返した。
「えっ……?」
「一人でうろたえて、直球がダメだから変化球。打たれたら打たれたで使える球がない。勝手に沼にはまってどうする」
「でもな……」
航大の球が通用していないのは事実、と中村の頭は不安で一杯だ。
「焦るな。まだ、点は取られていないだろ?」
「でも、次の打者は……」
代々木隼人。一年生でエースで四番。優勝候補の主軸に座る、言わずもがな怪物。
前の打席ではまだ余裕があった。だが、今回は塁がすべて埋まっている。彼の投球を見れば、一点の失点だけでも命取りになる。
この場面、逃げることは許されない。勝負しかない場面で、中村の脳裏には打たれる以外の選択肢はなかった。
「その前の打者にあれほど苦戦して、どうやって奴を抑えるんだ。これはさすがにーー」
「勝てない、なんて誰が決めた?」
航大は言った。
「確かに実力は上さ。俺には150キロの剛速球なんて投げられやしない。中村や代々木みたいに遠くまでかっ飛ばすパワーもなければ、速球に力負けしない技術もない」
彼は投打でトップの選手というわけではない。上には上がいることを理解している。
でもな、と航大は続けた。
「絶対に勝てない、なんてことはないんだ。たとえどんなに厳しい戦いでもな、必ず攻略法はある」
航大は諦めない。一度も掴むことができなかった全国の頂点。それを掴むまでは、彼は走り続ける覚悟だ。
「相手は俺たちと同じ人間だ。三振だって打ち損じだってするんだ。やつの打率が五割近いというのなら、残りの五割の凡退を引き出せばいい」
「それはーー」
「無茶だと思うか? 俺は思わんね。俺もお前も一人じゃない。逃げ場はなくても、俺たちならまだ戦える。三球でケリをつける」
何を言おうが満塁のピンチに変わりはない。だが、航大は焦ってなどいない。むしろこれが当たり前だな、とでもいうように達観としている。
(とはいえ、どうする気だ。航大? 三球で、だと?)
航大は中村に二つの指示を出した。
『一つ目。中村はど真ん中に構えるが、どんな球が来ても球を取れる体勢で構えておくこと』
これはど真ん中と見せかけて違う球を投げ、相手をかく乱させる意図があると中村はみた。
『二つ目。それはーー』
三球目までの配球だ。球種はすべて真っすぐ。万が一四球目以降の勝負に持ち込まれたならばど真ん中に投げる、と彼は言った。
四番相手にこれは賭けだ。三球目までに抑えると航大は言ったが、そんなに上手くいくとは思えない。
初球。航大は迷うことなく足を踏み出し、投じる。
インハイ高めの直球。代々木の体近くに迫る球だ。代々木は思わず避ける。だが判定はストライク。
(ストライクだが、間違えれば当たってしまう危ないコースだ。四番でなかったらこんなリードはできない……)
インコース高めギリギリの直球に肝を冷やす中村。当たっても一点であることを忘れてはならない。
(投手に容赦ないな。捕手の構えはダミーか)
代々木は流石に対応できなかったのか、バットを出すことが出来ずかわすので精一杯。当たれば一点だったが、それは代々木が許さないことだった。
(お前と白黒つけるのはちゃんとバットでケリをつけないとな。四球も死球も面白くない)
ニ球目。今度はインコース低め。代々木はバットを出し、難なく当ててきた。だがスイングのタイミングが早すぎたせいか、三塁側ファールゾーンへと消えていく。
(ちっ。早かったか)
これで代々木を追い込んだ航大。
(さあ、ここだ。この場面で抑えるからこそ意味がある。だから「あえて」満塁にした)
運命の三球目。
(次あたり外に来る。それを確実に捉えて先制点を奪う)
強打者相手に同じコースを三球連續続けたりはしないだろうと代々木は読んだ。前打席を見れば中村のリードは想像がついてしまうほどお粗末なものだった。
内に投げれば外。外に投げれば内。ここまでの配球で三球連続同じコースというのはない。
航大は投げる。
勝負の一球。それはインコースの直球だった。
「何……?」
アウトコース狙いの代々木はインコースに対して振り遅れる。キャッチャーミットを鳴らす音は代々木を打ち取ったことを知らせた。
(まさか三球ともインコースとは。それにさっきの直球は前の打席より速く感じた。これは一体……)
航大の球について、代々木と同じことを後続の打者も感じていた。
一打席目より速い。五番の浦戸は初球を見送った。だが実のところは手が出なかった。前の打席のタイミングを体が覚えているせいか、バットを前に出せなかった。
航大は元々打たせてとる投球をしていたため、速球と言えども加減され、トップギアではない。ピンチの場面に備えた余力を今ここで使う。
(……当たらない!)
前の打席で捉えていたはずの直球に困惑する。この打席では打てる気がしない。浦戸は思った。
(これが幻の天才、その所以か。いや、幻はとうに現実となっていたんだな……)
三球三振に倒れ、浦戸は膝をついた。
六番高須も航大の前に打ち取られ、四回を終える。マウンドからベンチへ帰る航大はふう、と息を吐く。
満塁という絶好の機会で点が取れなかった明王第一はあと一歩、航大を崩しきれなかった。
両チームは自覚する。
この試合は最強の盾同士のぶつかり合いなのだ、と。
試合は怒涛の投手戦が展開された。ランナーは許すも後続を断つ航大、完璧な代々木といった展開が続く。
どちらも二巡目に入った打線なのだが、両投手が得点を許さない。ただ、龍山学院の打線は取り付く島がないほどやられてしまっている。ランナーどころかバットに球が当たらない。
唯一期待ができるのが同じ投手である航大のバット。大会での打撃成績はお世辞にも良いとはいえないが、彼は代々木の球筋を知っている。
現状航大しか頼れる打者はいないという悲しい状況。加えて彼が塁に出たとして、後続の選手が何もできない状況で点など入るのか?
水原監督は頭を悩ませる。何も手を打てないこの状況。ただ好機をじっと待つしかない。
監督は唇を噛みしめる。
「なぜ当たるかって?」
「そうだ。現状打球を前に飛ばしたのは航大、お前だけだ。何か方法でもあるのか?」
ベンチで航大に尋ねる中村。ニ打席とも三振に倒れていた彼は、自分の技術不足を痛感していた。
だが、打撃練習などほとんどしていない航大が、剛速球をバットに当てられたのは何か理由があるはずだ。
「技術が上がっても、人が投げる球ってのは案外変わらないものさ。それがアピールポイントなら尚更、な」
「アピールポイント?」
ああ、と頷き航大は言う。
「あいつは昔から直球だけは速かった。それが不思議と通用した。だから変えなかった。変わらなかった」
そうか、と相槌をうつ中村だが、この話を聞いただけでは攻略法など無いに等しかった。
「まあ、焦るな。機会は来る。やつは最強だが無尽蔵ではない。そこが唯一の攻略法だ」
回は進み、六回表。ピンチを脱しても点を取られるだけで勝ちが遠くなる。ヒットで出たランナーがバントで進塁し、二死ながら二塁。打席には四番の代々木。三度目の対決だ。
(一塁は空いている。だが他の打者も代々木と同等以上の実力者。……逃げるな!)
そう心に言い聞かせ、代々木と対峙する。
投じた球は決して厳しいコースではない。
だが、航大の球は打席を経るごとに、球威が増してきているように代々木は感じた。
振り遅れているつもりなどないーーはずだった。
打球は勢いなく、外野にすら飛ばなかった。今西が定位置でがっちり捕球。代々木はセカンドフライに打ち取られた。
(振り遅れた? 一打席目のタイミングで完璧のはずだ。一体、何をした……?)
六回裏。先頭の航大が打席に入る。代々木の無安打無得点は継続中だ。
(二度目か。自分を貫き通すか、攻め方を変えてくるか……。いや、代々木の性格からしてそれはない)
代々木は航大に負けるわけがないと思っているだろう。臆することなく全力でねじ伏せにかかるはずだ。
(相手が俺というわけだから、意識はしているだろうな。少しでも置きに行けば打たせてもらう)
一方の代々木。前の打席での航大がちらつく。
(大村航大ではなく、代々木隼人が上だ。上のはずなんだ。お前なんかに、俺が負けるはずないんだ!)
その雑念は、制球を甘くした。
航大に投じられた初球。その球は来た。
球威、球速がわずかに落ちた球。決して甘いコースではないが、打つならここしかない。
(飛べ!)
快音が空気を伝い、耳へと届く。
その光景に誰もが目を疑った。
航大が、無安打無得点試合を阻んだのだ。
龍山学院の攻撃で初めて打球が外野に飛ぶ。
航大は一塁を蹴って、二塁へと向かう。
内野にボールが返って来たとき、航大は二塁を既に陥れていた。
(打たれた? 投手で打率が低いはずのあいつに? 投球だけでなく、打撃も俺は……)
航大は代々木に動揺は与えたかもしれない。だが、それが得点につながると言えばそうではない。
わずかに球威球速が落ちただけで、下位打線がなんとかできる力はない。
後続の高井川と倉田は、なすすべなく三振に倒れ二死二塁。次は一番の鍵谷だが、こちらも期待できない。
すでに二ストライクと追い込まれ、苦しい表情の鍵谷。明らかに余裕がない。
(こりゃ無理か……)
実は、代々木の球はただ速いだけでなく、さらに打てなくさせる手が存在する。それを理解しない限り、彼の速球は打てない。
球にかかる回転数はそれは尋常なものじゃない。プロに匹敵する球の回転数であることは間違いないのだが、回転のかけ方も三パターン存在する。かけ方で速く見せるだけでなく、スライダー、シュート方向などに曲がるような回転のかけ方。いわば球速はそのままで左右に抜ける球。これを意図的に繰り出せている。それを感覚で理解できたのは龍山学院では航大だけだ。
「ストライク、バッターアウト!」
鍵谷も三振。龍山学院が始めて二塁を踏んだこの回だったが、ゼロに抑えられてしまった。
攻守交代し、七回表。航大はまたピンチを背負う。
さっきの打席で、攻守交代までベンチで休むことができなかったことが仇となる。スタミナ温存の意味もあった打たせて取る作戦は序盤で計画変更を余儀なくされ、ここまで全力投球。徐々に疲れが見え始めていた。
結論から言えば、二度目の無死満塁。ヒットと四球二つでこの回アウトひとつをとることすらできない。
たまらず、タイムを取り、マウンドへ向かう中村。
「もう一点は仕方なーー」
と、こぼした中村に航大から腹部に強烈な一撃。うぐっ、と声を漏らして腹を抑える中村。間もなく胸倉を掴まれた中村は、航大にこう言われた。
「一点もやるか! 点取られたらその時点でこの試合は決まる。俺たちが明王第一に勝つ方法。それは一対ゼロのスコアのみだ!」
「……とはいっても、この状況でどう戦うんだ。併殺でも場合によっては一点だ。勝算なんて、どこにもーー」
いや、ある……かもしれない。中村は先ほどの代々木との対決で彼を打ち取った。あの球を投げられるなら、あるいは……。
「もうスタミナ切れなんてとっくにしている。でもな、勝ちたい。勝ちたいんだ。もっと先へ、俺たちが見たくても叶わなかった頂点の景色を見たいんだ! だから、諦めずに最後まで頼むな、司令塔」
また、諦めそうになったら何度でも、ぶん殴ってでも目を覚まさせてやる。そう航大は言った。
そうだ。俺たちが目指しているものはーー。
「この回、ノーサインだ。お前に任せる。だから力いっぱい投げてベンチに戻ろうぜ」
「ああ!」
試合再開。無死満塁で打席には八番の井口。下位打線に似合わず、県予選では打率三割。次の九番宇津野も普通のチームでは主軸を張れる。
(恐ろしい相手だ。だが、こっちにだって修羅場をくぐり抜けた凄腕の、俺たちのエースがいる!)
初球の直球を見逃し、ストライク。井口はバットを振らない。というより、手が出なかった。
(こんなに、速かったか? こいつの球)
二球目もバットを出すが、振り遅れ、空振り。航大は追い込んだ。
(こんな。こんなことが。くそっ、何が幻の天才だ! 俺は県大会で三割打ってーー)
三球目。遊び球は要らない。振り下ろした腕から放たれる直球は、航大のベストボールになった。
「ストライク、バッターアウト!」
航大は九番も三振に打ち取り、二死。ここで問題の打者。一番の新谷だ。
「下位を抑えても、俺はそう簡単にはいかんで、大村」
新谷。関西出身の選手だが、彼は関西屈指の名門である大阪桐将の誘いを蹴り、日本一を目指す明王第一に入った。
彼の打撃センスは本物。明王第一の打線の火付け役として機能し、チームを勝利に導いてきた。
(準々決勝まではかなり楽させてもらったわ。けどな、大村航大。こいつは一味違う。幻の天才とか言われとったその実力。さっきの投球で確信した。こいつは化け物や)
「……こっちも負けられんのや! 来い、大村航大!」
「それはうちも同じです。一歩も引くつもりは、ない!」
抑えるか、否か。
球場の熱気は、まだ冷めない。




