第25話 新生活
父が行方不明になってそれなりの時が経ち、失ったことへの悲しみや衝撃も薄れていったある日のこと。航大にある話が舞い込んだ。
母の再婚話だ。父は死んでいない。航大ははっきり言って嫌だった。見ず知らず、血の繋がらないの他人との共同生活が急に始まろうとしていることに恐怖を感じた。
だが、母は言う。お父さんとは縁が切れたのよ、と。すでに出された離婚届。消息を絶つ前に父は離婚届にサインし、自室の机の引き出しに忍ばせていた。父が婿養子であったことも後々わかることだったが、そんなことはどうでもよい。
「私はね、寂しいのよ。この部屋もお父さんが居なくなっただけなのにずいぶん静かになったわけだし」
「……俺は嫌だ。家族が増えるのは」
山川京子のような、自分と分かり合える人間だけでいい。それ以外の他人との必要以上のかかわりは要らない。航大はずっとそう思っていた。
「わかってちょうだい、航大」
その言葉には重みがあった。今度こそは幸せを長く感じていたい。そんな願いだった。
「大丈夫よ。新しいお父さんの連れ子は二人。二人とも優しい女の子よ」
そうか、と返して航大は言う。
おそらく自分ではダメなのだ。自分に父の代わりはできない。仕方ないではないか。だが、航大にも譲れないものはある。この苗字だけは変えてはいけない。なぜだかそんな気がするのだ。
「ひとつだけ。苗字はそのままにしてほしい。お父さんたちと3人で過ごしたこの空間を忘れないように。絶対に忘れちゃいけないことだと思う。いつかお父さんを見つけたいって思うから……」
再婚話が条件付きで成立し、しばらくして引っ越しが決まった。新しい父親の仕事場が京都にあるという理由からだった。
卒業式の翌日に母と二人暮らしをしていた広い部屋を引き払い、京都へと移り住むことになった。
最期の挨拶が必要なほどの人間関係は航大にはない。一人を除いて。
小学校卒業式の日。また会えることを誓い、航大は京子との別れを惜しんだ。
また会おう、なんてことも言っていたが期待しない方がいい。疎遠になった絆は忘れられ、時間がいつの間にか、なかったことにしてしまうのだから。
別れた後、家に戻って外を眺めると、密集住宅街が目に映る。見上げると大小さまざまな星がきらめく夜空を見ることができた。
この風景をこの場所で見るのは最後か、と思うと自然と目が潤った。
あれから一、二週間が過ぎた。家に引っ越した航大やこれから苦楽を共に過ごす新しい家族。
家自体はそれなりに広く、それぞれの自部屋を確保できるくらいの余裕はあったが自部屋それぞれが特別広いわけではない。3階建てで1階が浴室とトイレ、2階に中部屋が二つ。3階にそれぞれの部屋とすることにした。
航大はというと、苗字をそのままにするという条件を吞んでもらうことで新しい家族を渋々受け入れた。
新しい父親は前の父に比べれば話す方だと思ったが、航大に対してはどこかよそよそしい感じが見受けられた。経歴に元プロ野球選手の肩書きを持っているとのことだが、今の風貌にその面影は全くない。通算成績を見るにあまり活躍したとはお世辞にも言えない。
新しい父親の連れ子は二人。母が言った通り、確かに両方とも女の子だ。義姉となった千夏は1歳上で、義妹の理々香は航大と同い年である。
義妹はおしとやかで他人を思いやる気持ちが言動の所々に感じられる。航大と同い年ではあるが、心は大人びて見えた。
そっと人に寄り添い話をすることもあれば、時には何も言わずそばにいてくれる。距離感はいささか近いように感じられたが、人とかかわることがそれほど多かったわけではない航大にとって義妹の存在は人の温かさに触れる数少ない機会だったといえる。
対照的に問題なのは義姉だった。
容姿端麗という言葉がぴったりで背が航大より高く、成長著しく豊かな胸を除き過不足ない体形は、陸上系のスポーツをしていたかのよう。これだけならむしろプラス要素しかないと思うのだが……。
その様子を打ち消すくらいの自由奔放さが家では目立つ。義姉なりのスキンシップなのかはわからないがとにかくくっつきたがるし、航大が出かけようものならほぼ必ずついてくる。鬱陶しい。一歩引くという言葉を知らないようだ。男女として意識することもあるわけで。航大にとっては困ったことだった。心地よいと感じる時間は母の再婚前と比べて少なくなったように感じる。
「ねえ、一緒に学校行こうよ! 航大」
「嫌だ。俺先に出る。じゃあな」
「あ、こら、待ちなさい!」
制服姿で食パンをほおばっていた千夏をよそに航大は家を出る。
理々香はというとすでに学校を出発したらしい。必要な時に寄り添い、余計な干渉をしないことを望む兄のことを義妹は数日の付き合いだけでなんとなくわかってくれているような気がする。だが姉は時が経てども相変わらずである。
小学校の頃、行き帰りは京子を除いてほぼ一人だったが、いつも千夏はついて来ようとし、先に家を出ても追いつかれる。どんな体力があるのか。
これが毎日のように起こる騒がしい航大の日常。静かで心地よかった日常はどこへやら。航大はため息をついた。
千夏は始業式当日に転校生としてクラスで紹介されたらしい。
モデルみたいな美人がいる、と瞬く間に学年にそして学校中が大騒ぎして注目の的になった。本人はまんざらでもない様子。だがその凄さが容姿だけでないことをすぐ学校の生徒たちは知ることになる。
学校が始まってしばらくした頃。
千夏の話は航大の耳に嫌というほど入ってくる。学業、スポーツ共に優秀。おまけに人望が厚く、皆から好かれる。クラスの事実上トップの位置である評議委員というのにもなり、注目度は増すばかりだ。
いつも千夏の周りには取り巻きらしき人たちがいて千夏のクラスは賑わいを見せている。
一方で航大は日に日に影が薄まり、千夏の義弟という印象しか抱かれない存在となってしまった。
しかしながら航大はその点などどうでもよかった。野球という居場所がまだあったからだ。
これだけは千夏の干渉がない。千夏は陸上部に所属していて、土日も大会がある。練習や試合に応援に来る機会はほとんどなく調子を狂わされることは無さそうだ。
クラスメイトの中村と練習をこなし、北近畿シニアの入団テストを受けに行く日。
このチームは少し田舎に練習の拠点を構えており、少々時間のかかるところだったため実のところ最初は遠慮した。近所の小規模なクラブチームはいくつかあったのだが、中村の押しに負けた。
強豪チームなら試合に出られない。怪我をきっかけに右投げに転向してからそれなりの時間が経ち、馴染んでは来ていた。だが、強豪チームで通用するかと言われるとその自信はない。
ただ、できることはある。自分の持てる力を余すところなくぶつけることだ。
その思いを胸に航大はテストに臨んだ。
時刻はあっという間に夕暮れ時。カラスの鳴き声が響くグラウンド。
一人の野球少年が落胆の表情を見せている。
項垂うなだれたまま動かない中村。しばらくして航大に言った。
「全然……ダメだったよ。三軍を通告された。俺は精一杯やったんだがな」
「そうか……」
中村の落ち込みようを見て、どう返せばよいかわからなかった航大は一言だけ。自分も全力は出したが判定するコーチがどんな決断を下すのかはわからない。この際仲良く三軍でも成り上がれば問題ない。どの道一年生。一軍に行ったところで試合に出られるはずもない。
入団テストを受けたのは百人ほどだったが、五分の一が脱落していた。残っているメンバーが一軍から三軍へと振り分けられる。ほとんどは二軍スタート。航大もおそらくその一人だろう。そう思っていた。
案の定、中村は三軍。次に二軍配属となるメンバーの名前が読み上げられる。
「……以上二軍だ」
航大の名前は読み上げられなかった。まさか脱落なのか……。航大の頭に最悪の二文字がよぎる。だが、テスト監督員は少し間をおき、続けた。
「今年は六年ぶりに一軍配属になる入団希望者がいる。八番、青木竜二。一八番、大村航大。以上2名だ」
練習場が騒然となった。それもそのはず、いきなりの一軍配属は今いる三年の代でも経験がないのだから。中学に上がったばかりの新入りに何ができるのか、なんて言われることもあるだろう。だが、やることは変わらない。
「自分の持てる力を余すところなくぶつけること、でしょ?」
肩を軽く叩かれ、振り向くと北近畿シニアのジャージを着た大人の女性がこちらの顔を見て笑いかける。なぜかこちらが思っていることを当てたのかはわからないが直感の鋭い人だ、と航大はその女性の凄さを感じ取った。
「あの……あなたは?」
「水原涼子、北近畿シニアの1軍監督よ。これからよろしくね、大村君」
簡単な挨拶を済ませる。そのあと航大と、同じく1軍に呼ばれた青木は水原監督に呼ばれて1軍グラウンドに行くことになった。
行く前に航大は中村を引っ張って行く。
「お、おい航大! 俺をどこに連れて行く気だ?!」
「監督! こいつも一緒に1軍の練習、見学して行ってもいいですか?」
「ええ、いいわよ。今日はどうやら入団希望者はテストだけみたいだし、見るだけなら全然大丈夫!」
OKサインをつくり、笑みを浮かべる監督。優しい雰囲気のある監督なのだが、そんな彼女が率いる一軍とはどんなチームか。航大は気になる。それにいずれ上がる一軍の実力を中村に見せる必要はある。そこまでの階段はどれくらいのものなのか、まずはそこを知るところからなのだ。
「待っていたよ、大村、青木。ようこそ北近畿シニア一軍へ。君たちのテストは見させてもらったよ」
「はあ……。で、どちら様ですか?」
航大が無神経な言葉を言った途端、そばにいた青木が叫ぶ。
「あ、あほかお前! この人は北近畿シニアの頂点。主将の東さんだ。二年でUー15日本代表候補に選ばれてる凄腕の外野手なんだぞ!」
「ああ、知らないのも無理ないね。大村は関東出身だもんな。新宿リトルの影の実力者。俺は知ってるぞ」
意外だった。自分のことを知っている人は関西ではほぼ皆無。確かに野球経験や所属していたチームは記入していたが、そこまでのことを調べていたとは。いや、影の実力者は言い過ぎだ。結局全国大会の土を踏むことはなかったわけだから。
「まあ、練習観ていってくれよ。来週試合だからちょっと緊張感持ってやってるからあまり目立たないようにだけ頼むね」
一軍の練習は本当に目を見張るものがある。無駄のない動きで流れるような連携。打撃のレベルもリトルとはレベルが違った。
かといってこれで驚いているようではレギュラーを掴むことはできない。この選手を抑えてアピールしなければ、と航大は思った。
監督から色々と話を聞く三人。練習は間も無く終わるそうだが、このあとレギュラー組のほとんどはナイター設備を使い、自主練に励むらしい。さすがの練習量。レギュラーに選ばれる選手も努力を重ねていることに感心した。
「中村、1軍で待ってるぜ」
「……え?」
「忘れんなよ。俺が1軍で投げるとき、マスクを被るのはお前だからな」
さすがにこのチームを受けようと誘った中村に辞められて自分が残るのは何か嫌だった。まだまで険しい道のりだとは思うが、なんとか乗り越えてこちら側に来てほしいという思いはあった。
中村はああ、とだけ返す。三軍行きを告げられて落ち込むより練習だ、と航大は心の中で中村にメッセージを送る。伝わっているかどうかは知らない。
「さて……航大は今日一日何してたのかな~?」
千夏の前でなぜか正座させられている航大。何だ、これは。
「野球チームの入団テスト。もういいかな、自分の部屋に戻っても」
「え~?もっと聞かせてよ、その話。お姉ちゃん、興味出ちゃったかもね。練習はどう? 友達はできた?」
その言葉に緊張が走る航大。興味を持った……だと? 根掘り葉掘り聞こうとする千夏に嫌気がさす。
「ふざけるのも大概にしてもらいもんだ。だいたいあんた、俺にいちいち付きまとうな、干渉してくるな。いい加減鬱陶しい」
「鬱陶しいって……。あのね航大、あなたはずっと一人でいるじゃない。学校でもこの家でも。一人より二人、二人よりみんな。たくさんの人とかかわっていく方が楽しくなるし笑顔もきっと増える。私は周りのみんなが大好き。あなたもそう思わない?」
両手を広げて笑い、派手なジェスチャーをしてみせる千夏に呆れた表情を浮かべる航大。
やれやれ、と航大は思う。こいつはなにもわかっていない。
「俺は一人が好きなんだ。あんたは群れること、みんなと居る方が好き。それは結構だ。だがあんたのその考えを俺に押し付けるな」
航大はそう言って自分の部屋に向かって部屋を出る。
「……お姉ちゃん、お兄ちゃんに必要以上に干渉するのは止めたら?」
「航大にはわかってほしい。仮にも野球を始めたのならみんなと居る時間はーー」
「野球は別だってお兄ちゃん言ってた。お兄ちゃんにとっては居場所なんだよ」
居場所、と千夏は反復し、思いつく。
にやりと笑う千夏の表情を見て不穏な先がよぎる理々香だったが、首を横に振って打ち消す。
二人の仲が良くなることを願う理々香であった。




