第24話 きっとまた会える
そのニュースが流れたのは航大の退院前日のことだった。
リハビリの時間難なくを終えた航大は病院の広場でお茶を一口含み、テレビを眺めていた。
航大は未だ取れることがない左腕のギブスに目をやる。
明日退院となる航大だが、残念ながら完治というわけにはいかず、当分の間野球はおろか、学校の体育は見学になりそうだ。
歩行のリハビリを数回こなし、歩行は問題ない程度に回復していたのだが、運動はストップがかかっている。
仕方ない、と思いつつ航大は再びテレビ画面に視線を移す。
速報、と書かれた警告色のテロップが目に入る。大抵の場合は無関係なので気に留めることはなかったのだが、アナウンサーの発した言葉に航大は耳を疑った。
『速報です。今日未明、橋より乗用車が転落したとの通報を受け、警察が捜索を行っています。行方不明となっているのは、元社会人野球選手の大村雄一さんーー』
航大は病室のテレビでその様子を眺めていた。
「航大くん、お見舞いにーー」
「あ、ああ……」
航大の額から溢れ出る涙。
橋から落ちた車が引き揚げられる様子がテレビに映し出される。
『これは……絶望的でしょうね。ここまで運転席がグチャグチャだとーー』
京子は映し出されるテレビの映像と音声から全てを察した。
「航大くん!!」
京子は航大の体を抱き寄せた。
消えてしまわないように、ただ強くーー。
夕暮れが目に染みる。
航大は病室のベットで力なくうなだれている。
京子は心配そうに何も言わない航大の手を握っていた。
今の航大の苦しみを分け合うことができるのならそうしたい。
だが、彼の心が晴れることはない。親を失う悲しみを京子は知らない。
誰かを亡くすという経験のない京子にできることは、ただ寄り添うこと。
ずっと黙っていた航大が口を開くまでに日は落ちていた。
「今度ばかりは……ダメそうだ」
「航大くん……」
やっと退院というところまで来て、身内の不幸。無理もない。
「俺は……不幸の星の生まれたのかな……」
「そんなことない!」
京子は大声で叫んだ。航大は驚き、京子の顔を見る。
「航大くんには、私がついてる」
「なんか……今度は俺が泣いてばっかりだな」
枯れ果てたと思った感情が溢れ出す。
「いいんだよ今は。困ったときはお互い様、ってことで……ね?」
二つの影は一つとなる。
裂けそうな心と腕を傷つけないようにそっと包み込む。
あれから数週間が過ぎた。当然のことだが航大は学校に復帰した。ギブスも取れ、体力が怪我の前に戻ったわけではなかったが運動も問題なくできている。ただ、父親というカテゴリーが失われた家庭。これまで家を空けることが多かった航大の父だったが、薄まった要素が完全に消えることの意味など、航大は知らないし知りたくもなかった。
立て続けに航大を襲った不幸にどう寄り添うべきか、どう接していいのか、とクラスメートは誰も航大に声をかけない。
彼自身も目に光は見えず、悶々とした日々を過ごしていた。何も手につかず、野球の練習も休んでいる。
あれから航大の父親の遺体は探せど発見されず、行方不明のまま。捜索は近日中に打ち切れられる見込みだそうだ。
つい最近、遺書と思わしき文書と航大の父が直筆したらしい離婚届の入った封筒が見つかった。
文書には、自分が何者かに狙われているなど内容を読むと事件の影が見え隠れしているように感じるものだったが、航大の父の交友関係に不審な点は見られず、真相は闇に葬られた。
昼休み。航大は京子と廊下で偶然会い、口を開く。
「……今日、母さんが離婚届を提出するそうだ」
「え?」
感情なく、航大は言った。京子は驚きのあまり声を漏らす。
京子にとって大切な人ではあるが、所詮は他人の家庭の事情。だが京子にはどうも他人事には思えなかった。
「何もお前が驚くことじゃないだろ。これは親父の望みだったわけだし」
望み……? と京子の脳裏に疑問符が付く。
遺書と思わしき文面には離婚についても書かれていた。
航大や、彼の母を守るため許してほしいなど謝罪の言葉もあったという。ひと通り読み終えた航大の母は涙したという。
確かに家庭は穏やかではなかったのかもしれない、と航大は語る。理由なく家を空ける父に対してのもやもやを口に出せない日々もあった。父と母が喧嘩する声も耳に残っている、と。
「苗字は大村のままだ。何も変わらない」
行方不明ではあるが、生存はほぼ望めない状況で、淡々と話す航大の姿は異常であった。その裏に、目の前にある現実を避けようと必死に、冷静にいようとしている姿を京子は感じとった。下手に航大の心をえぐるような質問をするのは本意ではない。
京子は一つ、大切なことを尋ねる。
「……野球は、どうするの?」
航大は何も答えない。
「辛い現実はある。生きてればきっと。でもここで逃げたらきっと後悔する。お父さんは航大くんに野球辞めてなんて一言も言ってないでしょ?」
航大は黙って京子が発する言葉を聞いている。
「それに、約束したよね? また勝負しよう、って」
大切な約束。
「そう……だったな。俺ってホント情けない。余裕がなくなるとこんなに脆くなってしまうんだな」
航大は息を吐き、京子に向かって笑みを見せる。
「絶対に復活してみせる」
「うん! 私、待ってるから!」
航大が新宿リトルの練習に復帰した日。いつものメンバーの中にある人物がいないことに気付く。
航大はチームメイトの一人に尋ねる。
「なあ、代々木はどうしたんだ?」
「あーそうか。練習休んでてお前知らなかったんだよな……。辞めたぜ、あいつ」
「え? な、なんで?」
チームメイトは自分もわからない、というそぶりを見せ、航大に言った。
「うちは大変だよな。コーチや監督も頭を悩ませてるみたいだ。投打ともに代々木を中心に回っていたからな……」
航大が休んでいる間に姿を消した代々木。謎だらけだ。
急に柱がいなくなったチームを立て直すのは至難の業。代わりの柱なんてものはすぐ用意できるわけではない。
戦力ダウンや士気の低下は必至。次の大会は、おそらく勝ち進めないだろう。
だが、航大は歩みを止めることなく、練習に励む。約束を果たすために……。
「「ありがとうございました!」」
航大にとって最後の大会が終わった。航大はまだ成長途中の右投げで一失点完投。踏ん張ったが、打線が援護できず、完封負けで初戦敗退。
悔し涙を流すチームメイト。航大は嗚咽が響くチームメイトの輪から抜け、連絡用の簡単ケータイで電話をかける。
「ごめん。勝てなかったよ」
「航大くん……」
電話の相手は京子だった。
「そっか……。じゃ、約束は中学に持ち越し、だね」
「ああ、俺の分まで頑張れよ」
「うん。じゃ、試合前だからここで」
電話を切られ、通話終了の画面と、ツーツー音が延々と耳と目に情報として流れていく。
「次だ、次!」
航大は声を張り上げ、潤んだ目を擦り、目の前の悲しみを振り切った。
リトルでの最後の試合からあっという間に時間は過ぎていく。
リトルを引退した京子と航大は放課後一緒に過ごすことが増えた。
たくさん話し、たくさん遊び、その日々の一つ一つが思い出として残る。
航大も京子も願った。この時間がずっと続けばいい。
だが、いつまでも一緒に居られるわけではなかった。
「俺、転校することになった。中学からは一緒に居られない」
卒業式を終えた二人は引退してからずっと遊んでいた児童公園。そのブランコに座った二つの影が揺れる。
先生にもクラスメートとその親にもすべて伏せ、騙し誤魔化し様々な手を打った結果、幸か不幸か知る人はいない。京子もこの日初めて耳にしたことだ。ここで告げられることがなければ、誰も航大がこの街を去ったことに気付かなかっただろう。
「ちょっと前からそうなるかも、とは言われてたんだけど、まさか本当になっちまうとはなー」
そう言って渇いた笑い声を発する航大だったが、無理をしているのは明らかだった。
「なんで、私だけに?」
「俺と仲が良かったのはお前くらいだからな。どうしても伝えておきたかった」
夕日が二人を照らす。
「いろんなことがあったな。時にはライバルとして、大切な’仲間’としてーー」
「仲間……ねぇ」
少しがっかりしたような態度をとる京子に航大は怪訝そうな顔をする。
「な、なんだよ」
「私たちの関係なんて、仲間なんていう言葉で簡単に括れるものじゃないでしょ?」
「……そりゃそうさ。確かにあるんだ、簡単に語れないほどの深い絆が。切っても切れないような、ね」
過ごした日々の思い出に浸る二人。夕日のまぶしさが少しずつ和らぎ、日は沈みかけていた。
「京子、お前は……俺の居ない日常に耐えられるのか? 俺は向こうでやっていける気がしない」
航大は不安を吐露する。見知らぬ街へ行く彼を、京子はただ見送ることしかできない。
「なら、高校はそっちに行くことにする! これでどう?」
「んな無茶な……。そもそも一人暮らしになるだろうし、そんなのお前の両親が許さないんじゃないか?」
そういう航大に京子は笑って言った。
「航大くんのためなら、私はどこへだって行くから! だってあなたは私のーー」
大勢の鳥が羽ばたく音で、二人は我に返る。日は落ち、そろそろ帰らねばまもなく夜になる時間だった。
「……そろそろ、だな。しばしの別れだ。さよなら、になるのかな」
座っていたブランコから立ち上がって発した航大の言葉に対して、首を横に振る京子。
「さよなら、じゃないよ。きっとまた会える。ううん、きっと会う!」
「ああ、またな」
笑みを浮かべたまま、背中を向けて歩き出す航大。その背中が見えなくなるまで京子は手を振り続ける。
「約束! 私は必ず会いに行く!! あなたに!」
後ろを向いたまま、航大は右手を上げ、去っていく。
航大の背中が見えなくなった後、誰もいない公園で京子は一人、ブランコをこぐ。
あたりはすっかり暗くなっており、静かな夜の世界が広がっていた。
「あなたに出会えて本当に良かった。航大くんもそう思うよね……?」
語りかける京子の目線の先には誰もいない。先程まで彼が座っていたブランコはただ風でわずかに揺れるだけ。
「さようなら、私の野球。ありがとう、私の初恋」
目から零れ落ちる涙を電灯の明かりが照らす。それは美しく、大切に想い、築き上げた心の証だった。
人は、出会いと別れを繰り返す生き物である。
人生という階段を上っていくうえで、それは避けられないことである。
その先に待つものは何か。答えを知っていてはきっとつまらないだろう。
わからないからこそ人は悩み、ときには涙する。
だが、築き上げたものは決して無駄ではない。特に深い絆は離れていても決して切れない。
互いが互いを想い続ける限り、忘れない限り、別れてもまた会える。
京子はそう信じて、涙を拭いた。
過去の記憶、小学生編、読み込み終了。
過去の記憶、中学生編を読み込み中……。




