四十一、設楽さんの弟
バイトをし始めて十日が経ち、私はようやく慣れてきた。
お客さんのクレームは、後を絶たないでいたが、私はそれなりに対処していた。
それにしても・・謂れのないクレームってこんなにあるんだな・・
私がブスなことを、言ってくる人も少なくなかった。
私と設楽さんが同じシフトの時に、それは多かった。
まあ・・これはクレームというより、セクハラだよね・・
それでも私は、あまりめげることはなかった。
それはやはり、時雨さんの存在が大きかったからだ。
「あのさ、設楽っていると思うんだけど、呼んでくれよ」
私がレジで立っていると、またそう言ってくる男性が現れた。
しかも、この子は学生じゃない?んで・・不良っぽいし・・
なんて生意気な。
「設楽は他の仕事に就いております。ご用件はなんでしょうか」
「いいから呼べばいいんだよ」
「私が対応いたしますので、仰ってください」
「お前は関係ねぇんだよ」
その男性は、カウンターをバンッと叩いた。
「なにをするんですか!」
「さっさと呼べってんだよ!」
その声で設楽さんが奥から出てきた。
「あっ・・」
設楽さんは、その男性を知っている風だった。
「亮介・・」
え・・誰・・?もしかして・・彼氏・・?
「あんた・・なにしに来たの」
「なにしにって、決まってんだろが」
「お金ならないわよ」
「っんな~つれないこと言うなよ」
「学校、終わったんでしょ。さっさと帰りなさい」
「金くれたらな」
「ないって言ってるでしょ!」
なに・・この会話・・
もしかして・・ヒモ・・?
「あ~あ、腹減ったっ!」
その男性は、店中に聞こえるような大声でそう言った。
「亮介!いい加減にしなさい!」
他のお客さんは、そのやり取りをしばらく見ていた。
これって・・マズイんじゃないのかな・・
「外に出なさい!」
そう言って設楽さんは、男性を引っ張って外に連れ出した。
私は気になって、中からその様子を見ていた。
すると男性は設楽さんを突き飛ばした。
げっ・・これは・・ますますマズイんじゃないの・・
「ちょっと・・やめてください!」
私は外に出て男性にそう言った。
「うるせぇよ!このブスがっ!」
「設楽は嫌がってるんです。これ以上やると警察呼びますからね!」
「薄柿さん・・いいの。放っといて」
「え・・だって・・」
「この子は、私の弟なの」
「えっ・・」
弟さん・・?
あ・・そういえば・・設楽さんは弟さんを養ってるんだった・・
でもこの不良が・・弟さんだなんて・・
「だから早く金くれよ」
「ダメだって何度言えばわかるの!」
「だったらいいぜ。万引きするからな」
「なっ・・亮介!」
「マジでやるから」
「ったく・・ちょっと待ってなさい」
そう言って設楽さんは店の中へ入って行った。
「亮介くんだっけ・・」
「なんだよっ」
「きみ・・お姉さんを困らせちゃダメじゃない・・」
「うるせぇよ!ブスには関係ねぇだろ」
「お姉さんは、あなたのために働いてるのよ」
「当然だろ」
「え・・」
「だって親いねぇんだぜ。姉貴が働くの当然だろ」
「あなた何年生?高校生?」
「お前には関係ねぇよ」
「亮介・・これだけよ」
設楽さんが戻り、亮介くんにお金を渡していた。
「ちっ。しけてんな。まあいいけど」
「早く帰りなさい。寄り道するんじゃないわよ」
「うるせぇよ」
そう言って亮介くんは歩いて行った。
「設楽さん・・」
「薄柿さん、迷惑かけたわね。さ、店に戻るわよ」
「はい・・」
そして私たちは店に戻り、それぞれの持ち場に着いた。
なんか・・複雑そうだな・・
あんな不良の弟さんの面倒を見てるんだ・・
大変だな・・
「あの・・設楽さん・・」
私はバイト終わりに、設楽さんに声をかけた。
「なに?」
「弟さん・・高校生ですか」
「ううん。中学生よ」
「そうなんですか・・」
「薄柿さん、言っとくけど余計な心配はしないで」
「え・・」
「店に迷惑かけたことは申し訳なかったけど、これは私たちの問題だから勘違いしないでね」
「・・・」
「バイト終わったんでしょ。早く帰りなさい」
「あ・・はい・・」
「小春~」
そこに時雨さんがきた。
「あ・・時雨さん」
「終わったか~」
「あ・・はい・・」
「んじゃ、帰るぞ」
「では・・お先に失礼します」
「お疲れさま」
設楽さんは相変わらず、私の顔も見ずにそう言った。
「どうだ、もう慣れたか?」
外に出て、時雨さんがそう訊いてきた。
「はい。やっと慣れました」
「そっか。そりゃよかったな」
「あの・・」
「なんだよ」
「設楽さんの弟さんが来てね・・」
「ふーん」
「なんか、すごく不良で・・それで設楽さんにお金をせびりに来たんです」
「そうなのか」
「設楽さんは、ダメだって何度も言ったんですけど・・弟さん、聞かなくって・・」
「へぇー」
「まだ中学生のなに・・設楽さん・・大変だなぁ・・」
「とんでもねぇガキだな」
「はい・・」
「って・・俺も人のことは言えねぇけどな」
「え・・」
「俺も不良だったし。でも金をせびったことはねぇけどな」
「そうですか・・」
「設楽って、親、いねぇーの?」
「はい、そうみたいです」
「ふーん。俺んちと同じじゃん」
「そうですね・・」
「まあ・・苦労してんだろな・・あの女」
「女って・・せめて女性とか・・」
「はっ。いいじゃねぇかよ。俺さ、あいつ嫌いなんだよ」
「え・・」
「あんな偉そうな女、俺は嫌いだ」
好きか嫌いかじゃなくて・・その言い方は・・
「まあ、小春がやっと仕事に慣れてよかったぜ」
「はい・・」
「な?俺、言っただろ?」
「え・・」
「ぜってー慣れるって」
「はい」
「何事も経験なんだよ」
「そうですね」
「お前、他になんか困ってることとかねぇの?」
「いえ・・別に」
「そっか。それならいいけどよ」
「いつも気にかけてくれて、ありがとうございます」
「なんかあったらいつでも言えよ」
「はい」
時雨さん・・ほんとにいい人だなぁ・・
そういえば・・前に翔さんが言ってたっけ・・
たけちゃんの良さがわかる日が来るよって・・
こういうことだったのよね・・
「んじゃ、小春、おやすみ」
私のアパートの前で、時雨さんがそう言った。
「おやすみなさい」
「じゃな」
私は時雨さんの後姿を見て、思わず駆け寄った。
そして・・後ろから抱きついた。
「えっ・・小春、どうしたんだよ」
「時雨さん・・いつもありがとう・・ほんとにありがとう・・」
「小春・・」
時雨さんは私の方に向きを変えた。
「お前、どうしたんだよ」
「どうもしてませんよ」
私はそう言って笑った。
「もしかして、まだなんか悩んでんのか?」
「いいえ、悩んでません」
「だったら・・なんで・・」
「好きな人に抱きつきたい・・それだけです」
「小春・・」
そして時雨さんは私を抱きしめた。
「俺が守ってやるからな・・」
「はい・・」
「ぜってー、一人で悩むんじゃねぇぞ・・」
「はい・・」
「小春・・」
時雨さんは私を見つめた。
私も時雨さんを見上げた。
そして初めてキスを交わした。
とてもぎこちなく・・ほんの少し唇を重ねただけのファーストキスだった。




