第十八話
「案内灯がついた」
カイルの声に、全員が頭上を見た。
搬入路を横切る梁の下で、長いあいだ煤に曇っていた方術灯が一つ、また一つと白く灯っていく。光は右手の交差路へ折れ、その先の広い道を順番に照らした。工場棟の壁には、荷車同士がすれ違えるほどの道幅を示す古い標線が残っている。
テッサはそちらへ向かわなかった。
「左だ」
長剣を杖代わりにすることもなく、右脚を庇いながら狭い保守路へ入る。
「来た時は、あの灯りは点いていなかった。私たちが通ったのもこっちだ」
ライオが手帳型の試験端末を開いた。帰還経路を示す線も、白い灯りと同じ右へ伸びている。彼は画面を一瞥しただけで誘導表示を閉じた。
「前は現物を見ろ。端末に引っ張られんな」
「分かってる」
カイルは複合盾の灯りを保守路へ向けた。傷だらけの防御面が白く照らし出す先には、油と埃に汚れた石畳が続いている。
保守路は、エヴァンジェリンが大剣を横へ振れば両側の壁へ当たりそうなほど狭い。彼女は長い柄を右肩へ預け、左腕でノアの腰を支えた。右膝へ体重がかかるたびに鈍い痛みはあるが、歩けないほどではない。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「……無理はしないでくださいね」
エヴァンジェリンは一瞬ノアの様子を見て、支えていた手を離した。
頭上の冷却管から滴る冷たい雫がノアの頬へ落ちる。
見上げた先で、太い導管が工場棟の壁を貫いていた。継ぎ目から浮いた錆が濡れ、天井のさらに上から伝わる振動に合わせて細かく震えている。押し潰された二階の窓には石と補強材が詰め込まれ、その向こうで、現在の工業区の設備が低い唸り声をあげている。
別の振動が足元を抜けた。
通路の左にあった圧力弁が回り、溜まっていた水を石畳へ吐き出す。続いて遠くの工場棟から、重い機械が順に噛み合う音が響いた。
「放棄区画……なんですよね?」
ノアが言うと、ライオは歩みを止めずに答えた。
「図面上はな」
「二人とも静かに」
テッサの伏せ気味だった耳が、後ろへ向いた。
一行の足音が止まる。
最初は、配管の中を流れる水の音にしか聞こえなかった。
やがて、右手の広い搬入路に据えられた拡声器から、荒い呼吸が漏れた。
『――班長。聞こえるか』
テッサが目を見開く。
『ネレスが動けない。隔壁の……右側だ。早く来てくれ』
「ルッツ……今行く……!」
彼女が右へ踏み出した。
カイルの盾が、その歩みを止めるように胸元へ差し出される。
「待って」
『――班長。聞こえるか』
今度の声は、一行が進もうとしていた左の保守路の奥から聞こえた。
言葉だけではない。最初に息を吸う長さも、ネレスの名を呼ぶ前に混じった小さな咳も、背後で鉄片が転がる音も、すべて同じだった。
『ネレスが動けない。隔壁の……右側だ。早く来てくれ』
テッサはしばらく右手の暗がりを睨んでいた。それからカイルの盾を押し下げ、左へ向き直る。
「同じものだ」
苦々しげに彼女は吐き捨てて、小さく長剣の柄を拳で叩いた。
かちゃりと金属のぶつかる音が響く。
「てめぇら本当に何に襲われたんだ……?」
ライオが眉をひそめる。
「罠を使う知性がある相手ってことだ。ここから先は見たもん以外信じるな。二度言わせんじゃねぇぞ」
「声を使った理由も、今は考えない方がよさそうですね」
エヴァンジェリンの言葉に、ライオは短く頷いた。
「テッサ。お前らが残したもんを探せ」
「探している」
テッサはすでに壁際へしゃがんでいた。石畳の溝へ指を差し入れ、真鍮色の筒を拾い上げる。
「ルッツの光弾用だ」
その大型化した薬莢にも似た筒の縁には、排出時についたのだろう新しい擦り傷がある。同じものが数歩先にも落ちていた。乱れた間隔で二つ、さらに左へ一つ。
ノアは彼女のそばへ寄って、壁へ手をついたまま右膝を曲げずに腰を落とす。筒の近くには黒い染みがあったが、血とは限らない。石畳を覆う油膜はあちこちでまだ濡れている。
指では触れず、カイルの灯りの角度を変えてもらう。黒い染みだけが光を返さず、その横で埃が細長く払われていた。
「たぶん、壁へ手をついて歩いています」
低い位置の埃に、五本の指を擦った跡がある。そのさらに下では、床と壁の境目を何かが一定の幅で撫でていた。途中で持ち上がり、二歩ほど先からまた続いている。
「あれはネレスの尾だろうな。匂いも、二人のものが僅かに残っている」
テッサが言った。
ノアは足元へ視線を戻した。
血の滴は左へ続いている。片方だけ深く沈んだ靴跡。油膜を削った新しい爪先の跡。壁の埃を払う尾の高さも、進むにつれて少しずつ下がっていた。
「右へ曲がった跡はありません。左で合っています」
「進むぞ」
ライオが決める。
ノアが立ち上がろうとすると、エヴァンジェリンの手が先に差し出された。掴んだ腕に引かれ、右膝へ負担をかけずに身体を起こす。
「ありがとうございます」
「礼には及びません」
背後で、右手の案内灯がまた一つ点いた。
一行は振り返らなかった。
保守路を抜けると、搬入路は半ば崩れた倉庫の前で二つに分かれていた。片側は落ちた鉄骨と煉瓦で塞がれている。テッサが選んだのは、錆びた荷役軌道に沿うもう一方だった。
使い切った筒が一つ。壁に血が一筋。尾の跡は、今度は床を大きく払っている。
どこからか金属音がした。
甲高い音が二度。間を置いて一度。
テッサが腰の長剣を抜き、柄頭で傍らの冷却管を叩く。
二度。一度。
返事はすぐに来た。
一度。二度。最後に、間を置いて二度。
その音はどうやら通路の奥で道を塞ぐ鋼鉄製の隔壁の向こう側から聞こえているようだった。
「生きてる」
テッサの声から、わずかに力が抜けた。
彼女は返事を待たずに走り出した。右脚がもつれかける。カイルが追いつき、肩を貸そうとする。テッサはその手を避けなかったが、体重を預けることもしなかった。
隔壁の上端は低い天井の中へ埋まり、左右は工場棟の壁へ食い込んでいる。赤錆に覆われた表面へテッサが手を当てた。
「ルッツ! ネレス!」
「班長!? なんで戻ってきた!」
厚い鋼板を挟んで、くぐもった声が返る。
「第三班の協力のもと救出に来た! いま開ける。二人とも隔壁から離れろ!」
「……手早く頼む……ネレスが保たない……!」
その声を追うように、隔壁の向こうで鉄が擦れた。
近くはない。だが、音は一度で止まらず、壁の中を移っているように場所を変えた。
カイルが隔壁へ耳を寄せる。
「向こう側のダクトかな」
「こっちにもあります」
エヴァンジェリンが大剣の先で示した壁際の暗がりに、格子蓋の外れかけた通風口が並んでいる。
「急ぐぞ。制御盤はどこだ」
テッサが隔壁の左を指す。
黒い筐体が壁へ半分埋め込まれていた。上部の蓋はひしゃげ、内部の一部が露出している。銅線と陶板の間へ、細い光が断続的に走っていた。
ノアは筐体の前に立って表示板を覆っていた煤と埃を袖口で擦って落とす。
「セブンスヘブンのものとほぼ同じです」
「開け方は」
「開け方も同じか?」
ライオとテッサの声が重なる。
「通常なら、均圧を確認して開放許可を入れます。でも……」
ノアは割れた表示板の下にある筐体の、ネジ止めが外れて剥き出しになった配線を覗き込んだ。
「配線が足されているみたいなんです……。なにに繋がっているのかは、分かりません」
筐体の奥には、他の灰色の被覆線とは異なる、黒い線が二本通っていた。固定金具の規格も合っていない。後から無理に押し込まれたらしく、蓋の内側で被覆が潰れている。
「触んな、調べる」
ライオが隣へしゃがみ、長杖の先を露出した方術回路へ近づける。接触はさせない。先端に浮いた薄い光が、陶板へ刻まれた封鎖術式の上を滑った。
「隔壁だけじゃねぇ。この線は冷却管の圧力弁と、前の遮断扉まで噛んでる。力ずくで割ったら、そっちも閉じるぞ」
カイルが複合盾を見下ろした。
「パイルが動いても、使えなかったね」
「動かねぇもんの話してる暇があったら後ろ見ろ」
「もう見てるよ」
カイルは隔壁へ背を向け、一行の殿となる位置で来た道へ盾を構えていた。
ダクトの奥で、何かが曲がり角へぶつかった。格子が揺れ、乾いた埃が落ちる。
ノアは制御盤へ意識を戻した。
「この二つは駆動端子です。左右の巻き上げ機へ一つずつ。赤い方は……文字が削れています」
「赤を読め。黒い線の行き先と、圧力退避が生きてるかも見ろ。駆動の開閉子は――」
「……え、えっとどれのなにを……?」
青い表示は二つ、赤が一つ。その下に四つの開閉子と、後から足された黒い線。見なければならない場所だけが一度に増え、どこから触れれば安全なのかが分からない。
金属を引きずる音が、また近づいた。
ノアの手が、盤面の前で止まった。
「止まってんじゃねぇ!」
「先輩」
エヴァンジェリンの声が割り込んだ。
ライオが振り返る。
「順番に聞いてください。固まらせた方が遅れます」
「んな時間――」
ダクトを内側から引っ掻く音が、その先を遮る。
カイルの警戒が背後からダクトへ移る。テッサも隔壁から離れ、長剣を構えた。
ライオは鋭く舌打ちをして、盤面の前で止まったままのノアの手を見る。
「赤の刻印を読め」
「『圧力封鎖、保持』です。赤は異常表示ではなく、封鎖圧が残っている印です」
「黒い線は」
「盤の裏です。待ってください」
ノアは筐体の側面へ顔を寄せた。曲がった外板との隙間から、黒い線が下へ回り込み、古い四角形の部品へ入っている。
「補助接触器です。圧力退避回路へ入っています」
隔壁を押さえている圧力を、開放前に逃がし管へ移す回路だ。セブンスヘブンの圧力隔壁にも同じものがある。
「生きてるか」
ノアは試験端末から短い検査針を引き出し、補助接触器の二点へ当てる。画面の目盛りがわずかに振れた。
「ダメそうです。黒い線を右の駆動端子、その電源側へ繋ぎ替えれば動くと思います。開閉子より手前なら、巻き上げる前から圧を逃がせます」
ライオの目が、青い端子と露出した術式を往復した。
「術式側への逆流はない。やれ」
「工具を」
言い終えるより先に、カイルが腰のポーチから小さなレンチを抜き、後ろ手に放った。エヴァンジェリンが受け止め、ノアへ渡す。
エヴァンジェリンが筐体の蓋を押さえる。ノアは錆びついた端子を回して黒い線を外し、右側の電源端子へ繋いだ。
補助接触器が硬い音を立てた。頭上の配管が震え、隔壁脇の圧力計で、張りついていた針がゆっくりと下がり始める。逃がし管の継ぎ目から白い霧が噴いた。
制御盤の上方、壁に埋もれた丸い観測窓へ細い光が入る。曇った硝子にノアの赤い瞳が映り、その奥で針のような影が一度だけ振れた。
古い検流計だろうか。確かめる間もなく光は消え、壁の奥を小さな作動音が遠ざかっていった。
ライオは長杖を方術回路へ向け、揺れる封鎖術式の出力を退避側へ押さえ込んだ。
圧力計の針が落ちる間にも、ダクトの格子から錆がこぼれる。留め具が一つ弾け、次の衝撃で格子が内側から持ち上がった。
テッサが長剣を突き込む。刃先が隙間へ入り、何か硬いものとぶつかって甲高い音を立てた。格子は一度沈んだが、すぐにまた膨らむ。
不意に、刃を押し返していた力が抜けた。格子が落ち、その向こうで硬く長いものが身を翻す。金属を引きずる音がダクトの中を遠ざかっていく。
「まだか!」
「あと一目盛りだ、押さえてろ!」
ライオの額に汗が浮いた。長杖の周囲で細い光の線が幾重にも重なり、古い陶板の亀裂から白い還流残渣が漏れる。
「均圧した。赤を解除しろ!」
ノアは赤い開閉子を下げた。
「巻き上げます」
二つの青い開閉子を同時に下げる。筐体の奥で接触器が噛み合い、左右の巻き上げ機が唸り始めた。
第二隔壁が震えた。
錆と埃を落としながら、鋼鉄の板がゆっくりと持ち上がっていく。向こう側の暗がりが足元から広がり、最初に一足の靴が見えた。続いて、床へ伸びた灰緑色の尾。
「開いた!」
テッサが叫ぶ。
隔壁は、腰を折れば通れる高さまで上がっていた。
テッサは即座に身をかがめる。
その頭上で軋む音が変わり、鋼板が落ち始めた。
「テッサ駄目だ!!」
カイルは振り向きざまにテッサを押し戻し、隔壁の右端へ滑り込んだ。左腕の複合盾を上向きに返し、落ちてくる鋼板へ突き出す。
隔壁が盾の防御面へぶつかった。衝撃でカイルの左膝が石畳へ落ち、上体が沈む。それでも腕を曲げず、盾を頭上に掲げたまま鋼板を受け止める。
「ぐっ……!」
カイルは左肩を盾の内側へ押し当て、片膝と右足で荷重を支えた。盾の脇には、人ひとりが這えるだけの高さが残っている。半開きの放熱板が鋼板に軋み、戻りきらない杭が盾の内部で嫌な音を立てた。
「カイルさん!」
「大丈夫。早く!」
「テッサ早くしろ! 長くは保たねぇぞ!」
「それ、俺の台詞なんだけど!」
「すまない、耐えてくれ……!」
テッサが隔壁の隙間へ滑り込んだ。
その向こうで、誰かが悪態をつく。
「くくっ……帰還命令無視だぞ……不合格だな……班長……」
「口が回るなら手を貸せ。ネレスから出す」
暗がりから、こめかみから喉元まで灰緑色の鱗に覆われた男が引きずられてくる。肩の鱗が何枚も剥がれ、下の皮膚へ血が滲んでいる。胸が呼吸に合わせて動いていることで、なんとかまだ生きていることがわかる。
その身体をテッサとともに支えるルッツも、左腕を胴へ押しつけるようにしていた。足元から離れたダクトの前まで、使い切ったカートリッジが点々と散らばり、短剣の光はもう点いていなかった。
「ネレスを先に。俺は歩ける」
「見れば分かる」
ネレスが薄く目を開けた。
「……すまない、班長」
「すまないと思うなら、救急班に受け渡すまで寝るな」
隔壁がまた下がり、カイルの盾が軋んだ。
「できれば早くして……!」
カイルが息を詰めながら、隙間の高さを見た。
「頭から通す。右脚は曲げないで。テッサが脚、ルッツは肩を押して」
テッサがネレスの傷ついた右脚を持ち上げ、ルッツが脇の下へ腕を入れる。二人が身体をまっすぐにしたまま、隔壁の下へ送り出した。
エヴァンジェリンが外側で両腕を掴む。
「引きます」
ルッツが肩を押し、エヴァンジェリンが引く。鱗に覆われた身体が石畳を滑った。最後に尾が盾の縁へ寄り、ノアは左手で先端を押さえて隔壁の下へ寝かせる。
尾まで抜けると、エヴァンジェリンはネレスを抱え上げて壁際へ運んだ。
「次!」
ルッツは短剣を鞘へ押し込み、右肘を先にして腹這いになる。隔壁をくぐる途中でエヴァンジェリンと目が合い、反射的に首を押さえた。
「……今度は蹴るなよ」
「なら早く進んでください」
テッサに踵を押され、ルッツが隙間から転がり出た。
最後にテッサが床へ伏せ、隙間へ滑り込む。隔壁がまた盾を押し下げ、猫耳が鋼板の縁へ触れそうになった。
カイルは右手でテッサの腕を引いた。猫耳まで隔壁の下を抜けた瞬間、盾から肩を外して後ろへ跳ぶ。
「全員出た!」
鋼鉄の板が落ちる。
石畳が大きく震え、巻き上がった埃が一行を包む。
第二隔壁は床まで閉じ切り、それきり動かなくなった。制御盤の三つの灯りも消えている。
しばらく、咳と荒い呼吸だけが聞こえた。
カイルは最初に複合盾を確かめた。防御面は大きく歪み、外縁に隔壁の跡が深く残っている。それでも腕から外さず、すぐにネレスのそばへ膝をついた。
「肩は動かせる?」
「少しなら」
「足の感覚は?」
「ある」
「分かった。立つ時は俺につかまって。自分で体重を支えようとしないで」
そのやりとりを横に見ながら、テッサもルッツへ向かい合うと、彼が痛みに顔を歪めながら短剣に触れようと腰に伸ばしていた手を掴んで止めた。
「歩ければ十分だ」
「分かってる」
「分かっている顔ではない」
どこかで聞いた言い方に、ノアはカイルを見た。
当人は気づいていないらしく、ネレスの左腕を自分の肩へ回している。
——助けられた。
その実感は、遅れて胸へ入ってきた。
自分がここまで来たから隔壁を開けられた、などとは思わない。
誰か一人が欠けても間に合わなかった。
「ノアさん」
エヴァンジェリンが手を差し出した。
「戻りましょう」
「はい」
その手を取って立ち上がる。
ライオは制御盤から検査針を抜き、ノアへ返した。口を開きかけ、やめる。代わりに、来た道へ視線を向けた。
「隊形を変える。カイルがネレス、テッサはルッツを支えろ。エヴァはノアにつけ。俺が――」
言葉が止まった。
誰も喋っていない。
それでも、先ほど音が遠ざかった方――帰還路となる搬入路の奥から、また金属を引きずる音がした。
先ほどまで帰還経路を照らしていた案内灯が、一つ消える。
少し遅れて、その手前の灯りも消えた。
暗闇が、順番にこちらへ近づいてくる。
テッサがルッツから腕を離し、長剣を抜いた。片方の猫耳が頭へ張りつく。
「あれだ」
カイルはネレスを壁際へ座らせ、歪んだ複合盾を構えた。
エヴァンジェリンがノアを背後へ下げ、大剣を肩から外す。ライオは閉じ切った第二隔壁を一度だけ振り返り、長杖の先を搬入路へ向けた。
最後の案内灯が消えた。
カイルの盾に残った灯りが、石畳を低く照らす。
その縁へ、何かが踏み込んだ。
最初に見えたのが何なのか、誰にもわからなかった。白く濁った結晶の塊が床を擦り、その内側で、黒い金属片が関節のように一定の間隔で連なっている。それは異様に長い人の腕のようで、先端で五本の指のように食い込んだ鋼材が石畳を削り、あの耳障りな音を立てる。
荷役軌道の陰から、歪な輪郭が身を起こした。
全身を覆う結晶と金属。その隙間に残るものが作業着なのか、皮膚なのか、ノアには見分けられなかった。結晶と金属の食い込む場所から赤黒いなにかを滴らせ続ける人型の、肉。
背後の隔壁はもう開かない。
頭部らしき場所が、ぱくぱくと動いた。
《異常、ありま、せん。異、じょう、アりま、セン》




