第16回 鍾繇、曹操に仕える
長安では、相も変わらず、李傕と郭汜の権力闘争が続いていた。天子である献帝に危険が及びかねないほど、切迫した状況となってきた。
そこで、一部の者たちから、長安を脱出すべし、という意見が出るようになった。しかし、具体的な策は思いつかない。
なんせ、軍権は全て李傕、郭汜に帰しており、誰一人兵を動かす力のある者がいなかった。しかし、「董承」が一計を案ずる。
それは、「白波賊」という「賊」の力を借りて、献帝を脱出させるというものであった。
「天子様の身を賊軍に委ねる・・・。」
誰もが反対するのが普通の考え方であるが、白波賊はいわゆる山賊、盗賊というわけではなく、天下の人々の為に立ち上がったという黄巾の影響を受けており、私腹を肥やす役人や悪徳商人しか襲わない、「義賊」という触れ込みであった。
董承はその幹部格である「楊奉」に接触し、天子が長安を脱出する際の護衛を出してもらう様に、交渉した。見返りとしては、今までの罪は全て見逃す、そして幹部には官位を与える、というものであった。
この話を首領の「韓暹」は了承し、献帝脱出の際の護衛をようやく確保できたのである。
そしてこの時、鍾繇は、現在の朝廷に唯一、自分から近付いてきた曹操を頼るべし、と進言をして、採用された。
―数日後―
計画立案から時をおかずして、献帝の長安脱出が決行された。夜陰に紛れての脱出であったが、すぐに李傕、郭汜に悟られ、追手の軍が出された。
しかし、白波賊が伏兵をもって長安からの軍を撃破し、献帝の長安脱出は成功する。
韓暹が大笑いしながら言う。
「李傕、郭汜、何するものぞ。我ら、白波賊の敵ではない。」
楊奉が呼応する。
「ああ、本当にな。こんなあっさり成功するとは思わなかったぜ。」
「ちょっと拍子抜けだったな。ところで、董承殿。」
「何でございましょうか。」
「これで、俺たちの過去の罪は全て帳消し。あとは、官職を頂けるのだったな。」
「もちろん。約定を違えるようなことは、致しませぬ。」
「それを、聞いて安心した。」
「ええ。それなりの官職をご用意します。」
「希望を言っていいかい?」
「聞きましょう。」
「俺を大将軍、楊奉を驃騎将軍で頼む。」
「な、なんと。」
驚くのは無理もない。軍職の官職としては、一番が大将軍、二番目が驃騎将軍だからである。
「それくらいの働きはしたつもりだ。今若し、俺たちがいなくなったら困るだろう。」
「・・・。わかり申した。天子様にお伝えいたしまする。」
こうして、白波賊という族の頭領と幹部が、大将軍、驃騎将軍に任命されたのである。
「曹操が来るまでの間だけだ。」
鍾繇は、心の中で呟いた。
今、頼れる兵は白波賊のみ。曹操が来れば、解消されるのである。
一行は、ひとまず、洛陽へと向かった。洛陽で、曹操軍と落ち合うことになっているのである。
この十数日の逃避行は、天子である献帝にとって、かなり過酷なものであった。天子である自分が賊軍に守られ、その賊軍の幹部を大将軍、驃騎将軍に任じて、身を任せているのだ。泣きたいくらいの気分であったろうが、涙も乾いてしまうほどの状況であったといえよう。
そして、どうにか洛陽に到着。
待つこと数日、颯爽と曹操軍が現れた。
その数は、五千程の立派な軍であった。
曹操は早速、献帝に謁見した。
「天子様。ここまで、よくご無事で。住み慣れた洛陽を離れて頂くのは恐縮ではございますが、我が本拠地である許昌を許都と改名し、天子様を迎い入れる準備が整っております。」
「曹操よ、お前の忠義、本当に感謝する。長安にも、定期的に上奏をしてきたのは、お前だけだ。」
「恐れ入ります。して、白波賊の者たちですが、私の一存でよろしいでしょうか。」
「うむ・・・。全ては曹操、お主に任せよう。」
曹操は韓暹と楊奉を呼び出した。
「これは、これは。大将軍に驃騎将軍。ここまで、天子様をお連れ頂いたこと、感謝の意に耐えません。」
「当然のことをしたまでだ。」
「ここからは、私曹操が引き継ぎます故、どうぞ、お里にお帰りください。」
「何だと、我らを裏切る気か!」
「一時でも、大将軍、驃騎将軍を拝命したのだから、お主たちの名は歴史に刻まれるであろう。それで満足するのが一番だと思うが・・・。」
「ふざけるな。これで引き下がれというのか。」
「そうだ。過去の罪も一切問わないとの約定も得たとか。ならば、今からお里に戻り、普通の民として励むがよい。」
韓暹は激怒して言う。
「曹操とやら、言葉が過ぎようぞ。お前たち、やっちまえ!」
韓暹は賊の頭領に戻り、部下に号令した。
しかし、曹操が引き連れてきた五千は百戦錬磨の精鋭たちである。勝負は、一瞬にして終わった。
韓暹、楊奉は即刻斬首。捕らえた者たちも、従わない者は斬って捨てた。
ことが終わり、曹操が董承に聞く。
「董承殿。ここに、鍾繇殿はおりますか?」
「はい、私が鍾繇です。」
鍾繇は、曹操に拝礼した。曹操が言う。
「鍾繇殿。曹操孟徳と申す。以前、私が長安の天子様宛に書面を送った時、あなたが曹操とのつながりは大切にすべき、と助言してくれたことを聞いている。また、公達も鍾繇殿の事は類まれなる逸材と激賞している。そこで、私に仕えてもらうことは出来ないであろうか。」
「・・・。私如きに過分なお言葉、恐れ入ります。しかし、今は天子様の側に仕える身でございまして・・・。」
「それは、構わぬ。天子様のお側にいてもらって、一向に構わぬ。ただ、私も天子様の為に働きたいと思っており、それを助けて欲しいのだ。それに、もう一人、鍾繇殿を推薦している者がおるのだ。」
「私を、推薦、でございますか。」
曹操は手招きをした。すると、曹操の後ろから端正な顔立ちの佇まいの男が現れた。荀彧である。荀彧が言う。
「元常様、ご無沙汰しております。」
「文若・・・殿。確か、冀州に行かれた、というお話までは知っているのですが・・・。」
「ええ。私は、漢王室の復興をしたいと思っております。そこで、今一番力のあると思われる袁紹殿の所に身を寄せてみようと思いました。しかし・・・。」
「しかし?」
「袁紹殿は名家の出身なれど、残念ながらそれまでのお人、私が身命を賭して仕える方ではない、と思いました。」
荀彧は続ける。
「その点、曹操様は、決断力、実行力に優れており、且つ、優秀な人材をしっかりと優遇してくれるお方です。元常様、是非、曹操様と私共で、漢王室の復興をめざそうではありませんか。」
「そこまで言っていただけるとは・・・。わかりました。天子様のため、曹操様のために尽力をさせて頂きます。」
こうして、鍾繇、荀攸、荀彧と言った潁川郡きっての名士たちが、曹操に仕えることになったのである。




