躓く石も縁の端1
霜の張る葉を茂らせた木々の隙間から、小鳥のさえずりが響き渡っている。そんな朝の静寂が一変したのは、アルビレオが放った魔法が地面に衝突したからだ。
高い鳴き声を発しながら、魔物たちは木々へ乗り移って行く。
「あくまでもこれは威嚇だから」
そう言ったアルビレオの勇ましい横顔を見ながら、少し前の出来事を整理し直した。
それは霊族領地との領地境まで来た後、森の片隅の川岸で休憩をしていた時だ。
スィフィと二人で川を覗き込んでいると、高い獣鳴き声が山彦のように木霊を始めた。
川の向こう岸に黒い影の塊が蠢いている。その正体は尻尾が異様に長く、赤茶色の毛並みをしている猿に似た魔物の群れだ。
私がスィフィを自分の懐へ引き寄せると、木陰で座っていたアルビレオが瞬時に立ち上がり詠唱を始める。
彼の周囲に風が巻き起ってロングコートが舞い上がると魔法が発動した。
掌から火玉が放たれるとそれは群れの脇へ落ちて土煙を上げ、驚いた猿たちは散り散りになりながら素早い動きで逃げて行ったのである。
「あくまでもこれは威嚇だから」
アルビレオがそう言うと、天馬に水を飲ませていたハーティが近寄ってきた。
「あいつらは大人しい系統の魔獣だからいいが、この辺りは大物も出るんだ。トリも気を付けてな」
大物と聞いて私は首を傾げる。魔物はファンタジーゲームの画面上や本の挿し絵でもよく見かけるが、それだけでは大きさが想像し難い。
確かに中ボスクラスになると冒険者よりは大きい印象だが、そんなものが果たしてこんな普通の森林に出現するだろうか……。
「トリ。……お前、想像できてないだろ」
私の心を悟ったようにハーティが苦笑したので、その通りだと頷く。するとアルビレオが私の隣にしゃがみ込んで呟いた。
「何が出てきても、僕が魔法で一掃してやる」
「ありがとう」
「別にお前に言ってないから」
そう言うと彼はそっぽを向きながら離れて行った。今度はハーティが黒天馬を撫でながら言う。
「人族ってさ、マナが少ないんだってな。俺も昔は知らなかったんだが、本来はほぼ魔法が使えない体質なんだぜ。アルビレオって不思議だよな」
「えっ、でもハーティだって回復術を使ってたでしょう?」
「ああ、あれは聖剣の能力で魔法じゃないぞ。俺は詠唱もしてないし、自動的な効果みたいなもんかな。だからそれしか使えない」
「それもう、聖剣を持った者が最強だよ。それ拾っただけなのにずるい!」
「いや、でもこれは俺にしか扱えないんだぜ」
「……」
「――※※※※、※!」
スィフィは魚を捕まえたいようで手をバタバタとさせている。私は複雑な思いを抱いていたが、無邪気な彼女を見ているとそんな気持ちも和んで消えた。
滅多なことでは降りられないという霊族領地を高速で飛び過ぎると、旅も六日目に突入した。
その広大に続く森が消える直前に黒天馬はゆっくりと高度を下げる。目的地である人族領地の境界へ入ったようだ。
「まだ日は高いけど、降りるの?」
「ああ。ここからは徒歩で行くぞ」
ハーティがそう言うと、大地が徐々に近付いてきた。その開けた場所に、風を巻き上げながら黒天馬はふわりと着地する。
その背からハーティが勢いよく大地に降り立つと、私に手をかざした。
「ほら」
その先導に従ってゆっくりと土の上へ足を降ろす。馬に乗るのも降りるのも、ずいぶんスムーズに出来るようになっていた。
「うわぁー、疲れた」
大きく伸びをすると、遅れて着地した白天馬を引きながら、アルビレオとスィフィがやってきた。
「予定通り、天馬は城に帰すだろ?」
ハーティは「おう」と言いながら天馬の黒い毛並みを撫でると、懐から丸い実を取り出す。
それを黒天馬にかじらせると、彼は私の手を掴んでの場を離れた。
「お疲れさんだったな」
それを確認するかのようにこちらを見つめていた天馬は羽ばたいて飛び上がる。
アルビレオもが同じようなことをすると、白天馬も後に続く。二頭は仲良く並んで空の彼方へ飛び去って行った。
「あれ、帰りはどうするの?」
「シャーデンから文を預かっててな。これを送れば、天馬をここへ寄越してくれるのさ」
「そっか、最初からそういう予定だったんだね」
「天馬を連れて領地内に入る勇気はねぇな。下手すりゃお前の正体がバレかねん」
「なるほど」
うんと頷いたら、スィフィが足にしがみついてくるので顔が綻んだ。アルビレオがシャーから貰った紙を見て口を開く。
「住居は竜族領地に近い場所みたいだ。徒歩だったら西側を通る方が早いし、それでいいよな」
「いや、ちょっと遠回りだけど東側から行こう」
「親父……」
アルビレオはじっとハーティを見ている。彼は頭を掻いた。
「まぁ、せっかく来たから俺も家に寄ろうかなと思ってな。トリ、構わないか?」
「うん。私も二人の村に行ってみたい」
「よし、そうと決まれば出発だ」
ハーティは足元にいたスィフィを抱き上げる。その後を追ってアルビレオが歩き出すと、私は彼らの故郷を想像して胸を躍らせた。
人族領地は東側と西側に分かれていて、他領地に近い西側には大きな首都がある。対照的に東側は一般的な町や小さな村が点在している。とハーティが歩きながら説明してくれた。
休憩を挟みつつ舗装されていない土道を歩き続け、夕暮れにはライミという町へ到着する。大きな町はここで終わってしまうらしいので、今夜はそこの民宿へ泊まることにした。
++++++
緩やかな日光が民宿の室内へ入っている。私が寝台で、もぞもぞと体を動かすと一緒に寝ていたスィフィがつられたように起き上がった。彼女は目を擦りながらわぁっと大きな欠伸をしている。
「おはよう、スィフィ」
「おはうお」
どうやらスィフィは標準語で挨拶を返したいようだ。偉い偉いと頭を撫でる。
そこで静かな部屋を見回した。どうも、私たち二人以外の姿がない。
そのままスィフィの髪を結ってあげていると、彼女は自分のお腹を触って唸った。グルルと腹の虫が鳴く。
「※※……」
「私もお腹空いた」
続くように私のお腹も鳴ったタイミングで、部屋に紙袋を持ったアルビレオが入ってきた。
「あ、アル。どうしたの?」
「どうしたって、もう昼だよ」
「え、嘘っ」
「親父が寝かせとけって言うから起こさなかったけど、さすがに寝すぎだろ」
「ごめん、すぐ仕度するから待って」
「慌てなくていいけどさ。飯も食べるだろ」
彼は苦笑してから、つるりとした橙色の形が歪な果実を渡してくれた。
これは甘い中にもほどよい酸味がある物で、日本でいうところの蜜柑に近いかなと考えている。
「わざわざ買ってきてくれたの? ありがとう」
「別に」
アルビレオは寝台に腰掛けると、紙袋から果実を出してかじった。私はというと、いそいそとそれを剥く。皮はそれほど厚くないので、果汁で指がベトベトになった。
「これ剥いて食べる奴、初めて見た。魔族って皆そんな感じなのか?」
彼は奇妙なものを見るような目でこちらを観察している。スィフィが私の手元を見て「早く早く」とでもいうように唇をパクパクとさせるので、実を小さく千切って口に入れてあげた。
「うーん、私はなんとなく。……林檎とかは剥かなくても食べるけど、やっぱり蜜柑は抵抗あるよね」
「りんごとか、みかん?」
「ううん、なんでもない」
「お前ってたまに変だよな」
身近にいる者で私が日本から来たことを知らないのはアルビレオとスィフィだけである。彼にもいつか話をする機会があるかとは思っていたが、なかなか切っ掛けが掴めなかったのだ。
「ねぇ、アル。私、異世界の人間だって言ったら驚く?」
アルビレオが果実をかじろうとした手を止める。そこでスィフィかまた実をねだってくるので口に入れてあげた。
「いきなり何の話だよ」
「日本っていう国から、アバイドワールに来たの」
「にっぽん?」
「うん。私、元は人だったんだよ。こっちに来てから姿が変わっちゃって」
「……」
「向こうでは普通の学生だったのにいきなり魔王になれって言われてさ。今はまだ馴れた方だけど、こっちは私が暮らしてた世界と違い過ぎるよ」
しんみりして俯くと、すぐ隣にアルビレオが腰掛けた。
そのまま彼は背を撫でてくれる。その暖かい手がハーティを思い起こさせるので、私は親子はやっぱり似てるなぁと笑う。
「……トリは元気な方がいいよ」
アルビレオは手を離してぼそりと呟いた。トリと呼ばれてなんとなく恥ずかしくなり、お互いにそっぽを向くと、妙な雰囲気になってしまった。
「――※※※※、※※!」
スィフィがバタバタと手を振って叫ぶと、その気まずい空気が吹き飛ぶ。
残りの実をあげると、フンと鼻を鳴らして彼女は小動物みたいに口をモグモグと動かした。




