7 所内にて
建物の中に入って、ナギサは小さく唸った。
エクリプスの奇抜さというのは、どうも見かけ倒しらしい。中はいたって簡素なつくりだった。むしろこの感じは、
「…病院みたいだね」
ナギサはその空間を評して、そう言った。閑散とした玄関ホールだった。蛍光灯のようなモノに照らされたそこは、まるで待合室のようにソファーがずらっと並んでいる。これで患者でもいれば完璧だ。どことなく漂う薬品臭が、それを確固たるイメージにしている。しかし、どうやら病院であれば、ここはよほどの藪医者だろう。ホールは閑散としていた。ソファーに座るヒトは無く、受付に足を運ぶ人も、白衣で歩きまわっている人も、誰もいない。外の隊長さんの演説が、ずいぶん遠くに聞こえる。周りを見回していたアメリが首を傾げた。
「変ですね。いつも、プレイヤーでにぎわっているはずなんですが…、店員も、いない?」
「誰か、受付の人はいないのかな?」
ナギサはだれもいない部屋の隅、そこのカウンターを見た。おそらく、レジなのだろう。小部屋とホールに挟まれた場所に、どっちかというとタイプライターのようなレトロなモノが置かれていた。しかし、それを打つべきヒトはいない。
「やってる、はずだよね?」
「隊長さんはそういう感じで言ってましたね。客が来れないから、とか何とか」
「…客ね」
ナギサは眉をひそめてあたりを見回した。きぬずれとか、物音とか、まず人の気配がない。
「本当に繁盛してるのかい? どんなに不味い洋菓子屋でも、ここよりは活気があるよ」
「プリン買いに来たわけじゃないんですから…」
「店にはちがいないだろう? ここ、武器が人気なんだっけ?」
「そうです。すみません! 誰かいませんか?」
答えながら、アメリが呼び掛けた。しかし、どこからも、なんの反応もない。奥に関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアが見える。チラリ、とアメリがナギサを見た。
「行ってみます?」
「うーん。しかたないかな?」
相手は、ひょっとするとこちらに引き込まれているかもしれないプレイヤーだ。会って、とにかく話をしないことには始まらない。
ナギサもアメリを見た。二人して頷きあうと、その扉に向かって歩を進める。
「昨日のあれは、なんだったんだろうね?」
歩きながら、ナギサは唐突に言った。
アメリが首を傾げた。
「あれ?」
「ほら、あのクマのぬいぐるみだよ」
「…ああ、あれですか?」
思い出したのか、アメリが眉間にしわを寄せた。
結局、あれは一晩中浮かび続け、そして光り続けていたのだ。結局終わりまで見ていたから、よくわかる。オリガなんか一晩中ベッドでもぞもぞしていた。クマは夜が明けたかと思うと、空に溶けるように消えていった。結局、あれはなんだったのか?
「魔法の一種よ」
「フィーデルさん? 起きてたんですか?」
突然、杖の形になっていたフィーデルが会話に混じってきた。
今朝は旅の疲れ(一応疲れはあるそうだ)のため、ここに来るとき、眠いから寝てると言われていたのだ。
ナギサは首を傾げて言った。
「あれが、魔法ですか?」
「うん、そう。たぶんだけどね。ほらあのクマの人形―――ぬいぐるみだっけ? あれ、ペンダントしてたの気づいた?」
「ペンダントですか?」
言われて、昨晩の光景を思い出す。黒い雲の漂う空に浮かぶ、輝くクマ。見た感じテディベアのそれは、行儀の良い姿勢で空の上に鎮座していた。そしてその首には…。
「ああ…、してましたね。何だか鎖につないだ奴」
どうだったかなと首をかしげていたナギサをよそに、アメリが答えた。疲れてさっさと部屋に行ったわりには、ちゃんと見ていたらしい。何となくフィーデルがうなずいたような感じがした。
「そうなの。あれ、魔石のペンダントよ―――ずいぶん大きいけどね」
「魔石、ね?」
ナギサは会話を頭の片隅で考えながら、ドアの前に立ちどまった。
赤地に黒の毒々しい文字で、立ち入り禁止と書かれていた。ひとまず、ノックから。
―――コンコン。
「もしもーし」
「リーダー。それ、電話です」
「他に話しようもないだろうに―――誰かー、いませんか―?」
ナギサの呼びかけに応えるモノはない。
ホールは相変わらず、しんとしている。ナギサはもう一度叩いてみたが、やはり何の反応もなかった。例え立ち入り禁止と書いていたところで、入ってくる奴は入ってくる。鍵はかかってるかなと、そんな気持ちで、ナギサはノブに手をかけた。少しだけ、回す。
「―――開いてる?」
ドアは何の抵抗もなく開いた。ナギサの眉間にシワがよる。半開きになったドアがキーキー鳴る。ナギサは思わず一歩下がった。
「…何でしょうか?」
ナギサの、さらに後ろにいたアメリが、いぶかしげに暗闇の中を睨んでいた。その少し開いた向こう側は、なんの明かりも付いていない。ペンキで塗りたくったような、イヤな暗闇がのぞいていた。足元にかすかに階段があるのが見える。真っ暗な穴が、地面の下に向かって伸びている。様子をうかがっていたアメリが、チラリとナギサを見た。
「行きます?」
「うーん…」
どこまでも気が進まない。というか、あれは何なんだろうか?
ナギサはじっと、こちら側の明かりで、かろうじて見える足元に目を落とした。リノリウムと言うのか、ゴムっぽい、つるつるの階段だ。いまもナギサの顔が映るくらいにはつるつるしている。そこに、何本も、鏡のヒビのような線が走っているのだ。しかもなぜか毛羽立っているし、どれも五本ひとそろいになっている。ちょうどヒトが手を開いて、床に爪を立てれば、こうなるだろう―――何かに足を引っ張られ、引きづり込まれたときに。
アメリが何か呻いて、一歩下がった。
「…大丈夫でしょうか?」
「うーん…」
これを見て、大丈夫なんて言える奴がいれば、御目にかかってみたいものだ。きっと、よほど無責任なやつだろう。
ナギサはため息をついた。
「アメリ君、フィーデルさんを持っててくれ」
ぐいと、ナギサはアメリの腕に杖を押しつけた。
「え?」
「ここで待ってなさい。ちょっと見てくるから」
ナギサはそう言って、金属の扉を押した。キー…と、イヤな音を立てて、扉が開き、ぱっくりと、その口を開けた。あわてて、アメリをナギサの服を引っ張った。
「ちょっと! リーダー、一人でいくつもりですか?!」
「…そうだけど?」
どうかしたのかと言うように、ナギサは首を傾げた。
「そうだけど…、じゃ、ありません!」
アメリはナギサの肩に手をかけて、力任せに回転させた。ナギサはされるがままにアメリの方に向き直る。そういえば、いまの状況だと、アメリの肩までしか身長がない。ますます上司の威厳がなくなった気がする。
ナギサはそんなことを考えながら、何やらこわい顔をしたアメリを見上げた。
「どうしたの、そんな怖い顔して?」
「…そんなだから、ボケてみられるんじゃないですか?」
ナギサは少し首をかしげたが、そのまま言った。
「…まあ、いまはどうでもいいよ。とりあえず見てくるから、あとから来るといい」
「あとって…。何かあったらどうするんです。六条君も寝込んでるんですよ?」
「だからだよ」
ナギサはアメリの手を外しながら言った。思いのほか、ガッチリ掴まれていた。ちょっと痛い。
「フィーデルさんから、いろいろ教わってるんだよ。何かあっても、大丈夫だから…」
ナギサはそう言いながら、アメリを見上げた。眉間にしわが寄っていて、ちょっと怖い。そういえば、この妙な時に眉間のしわが寄る癖は、いつまで経っても治らなかった。これで向かってくるものだから、大抵の人にアメリは怖がられる。アバターの体になっても、やはり癖は変わらないようだ。というか、作りこまれた顔のせいで、迫力が増しましになっていて、前のアメリの上司だったら間違いなく泣いていただろう。そのおっかない顔のまま、ずいっとアメリが顔を寄せた。
「大丈夫じゃありません、何かあったらどうするんですか?」
アメリの怖い顔を間近で見ながら、ナギサはため息をついた。
「だからだよ。いつまでもロックフォール君をオリガさんに任せ切りというわけにもいかないだろう?」
「それはそうですけど…」
「二人揃ってどうにかなっちゃたら、彼の方もどうにかなっちゃうんだ。ここは任せなさいな」
「ですが…」
「大丈夫、フィーデルさんからも、いろいろ魔物について習ってるんだ。平気だよ。でしょ? フィーデルさん」
「そうそう、平気へーき」
アメリがじろりと杖を見た。
「本当ですか?」
「あら? 疑うの?」
心外だと言わんばかりに、杖が尖った声を上げる。
「教えてるって、なにを教えてるんです?」
「いろいろよ。ねえ…?」
「変な話に聞こえるからやめてください。フィーデルさん」
「リーダー…。あのですねぇ」
「ダイジョーブよ」
フィーデルが、アメリの手の中でお気楽な声を上げる。何か言いたげに、アメリが口をパクパクさせた。しかし、声は出てこない。ナギサはとどめにニコリと笑いかけた。
「その時は、あとでフィーデルさんと、オリガさんと相談してくれ。最悪、一旦ここから離れちゃっても良いから」
「ですから…、はあ…」
なぜか呆れられた。今現在、アメリの方がどうしようもなく背が高い。少し、ばれない程度に背をのばし、胸を張る。何となく服が窮屈なのがアレだが、仕方ない。どうにもこうにも、頼りない見た目なのだ。少しくらい見栄を張らないとどうにもならない。
「…じゃね、アメリ君。フィーデルさん、あと、頼みましたよ?」
「はいはい、いってらっしゃい」
心持ち、ぐったりとしたアメリをよそに、ナギサは銀色の扉を、その小さくなった手で押し開けた。中はやはり真っ暗だ。こちら側はやたらと明るいくせに、ランプどころか、窓の一つもないらしい。胡散臭い感じがぷんぷんする。ナギサは少しだけ、自分の行く先を観察していた。観察していたが、それで何かが進展するわけでもない。ナギサは意を決して、暗闇の中に、一歩踏み込んだ。
「…え?」
すっかり細くなってしまったナギサののどに、冷たい感触が押し付けられた。




