6 不調 エクリプス研究所
次の日の朝、ナギサの足取りは重かった。
手に持った杖が妙にずっしりと感じる。まるで肩に重いモノが乗っているように、ナギサはうつむいて歩いていた。
雨は止んだが、空まで重たい雲で覆われている。それでも前に進まないといけない。遠くのほうから騒ぎが聞こえてくる。そしてその騒ぎのもとに、これから行かない溶けないのだ。一緒に来たアメリは少し心配するように、チラチラとナギサを見ている。
騒ぎの声が、すぐ耳元まで聞こえてきたとき、ようやくナギサは顔を上げた。
「…あれか」
目の前に、昨日遠くから見た、あの珍妙な建物が、その姿をさらしていた。
それは、住宅街の真ん中にあった。どうやら一つの区画を潰したらしい。家十軒分くらいの敷地が、一件の妙な建物のために、巨大な塀で囲まれている。鉄条網までほどこされた厳重なモノで、これだけでもジェリゾフェールの町並みにはそぐわない。そしてそのいかめしい塀は、いまは人々によって、さらに何重にも囲まれているのだ。誰かが叫んでいた。
「―――だから、毎晩毎晩あんな騒ぎを起こされてたんじゃ、こっちも迷惑なんだ。所長にかけあってくれよ」
「無理だ。所長は、いま、研究で部屋に閉じこもっておられる。私たちでは、無理なんだ」
「住んでるやつらのことも考えてくれよ」
「そう言われてもなぁ…」
その入り口、鉄柱の立つ門のところ、そこで住民と兵士の押し問答が繰り広げられていた。昼間のワイドショーでやっているようなやり取り。門のところに立つ兵士を相手に、何百人という住民が詰め寄っている。詰め寄られた兵士はまだ若い。今にも泣きそうだ。
目の前の光景に、ナギサはため息をついた。
「やっぱりか…」
「昨日の、あの騒ぎですからね。予想はついていましたが…」
目の前で繰り広げられるリアルワイドショーに、アメリはあきれ顔になっている。こういうときに、きまって出てくるヒステリックなおばさんが、金切り声をあげているのが聞こえた。やっぱり生で聴くと、堪えるモノがある。ナギサが呻くようにいった。
「…できるだけ、早く会いたいんだよね。出直して、手を考えた方がいいかな?」
「…本当に、リーダーの予想通りなんですかね? 私としては、外れていてほしいんですが…」
「私もだ」
ナギサは、答えながら、ぐるりと、あたりをうかがった。
ナギサたちが歩いてきた通りにはヒトがいない。研究所の前に集まっているか、さもなければ近づかないのだろう。よほど嫌われ、迷惑がられているらしいのがうかがえる。特に、この一週間は。
「…やっぱり、遅かったのかな?」
ナギサは誰かの金切り声を聞きながら、目の前の研究所を見つめて、ぽつりとこぼした。
「―――もう、こっちの人間になってるかもしれない?」
アメリが絶望の声を上げると、ナギサは食べていたトーストを、お茶で流し込み、重々しくうなずいた。
「…あの、クマのぬいぐるみ騒ぎ。毎晩違うらしいんだけど、この一週間、ずっと続いてるらしい。プレイヤーが、向こうに出るための手段を探して、何か無茶をやってるのかもしれない」
「あれを打ち上げてか?」
オリガが疑わしそうに言った。フォークで、サラダをつついている。あの騒ぎで眠れなかったせいで、どこか不機嫌そうだった。まわりに座る他の客も、似たような寝不足の表情で朝食をもそもそと食べている。クレスヴィルの小さな食堂とは比べ物にならないくらい大きさなのに(なんとウェイターまでいる)、ジェリゾフェールの食堂は、明らかに活気にかけていた
さっきのやり取りは食堂のど真ん中のテーブルでの会話だ。ここでこんな話ができるのは、フィーデルの魔石のおかげだ。音を遮るという結界を張るモノで、ナギサたちの声は外に漏れない。一つだけ静かという、不自然なテーブルが出来上がるが、混んでいるおかげと、まわりの寝不足のせいで気にされる気配もない。ウェイターたちは、他の、どこかトロンとした客たちの面倒をみるので忙しい。こういうところで目立つ巨体のロックフォールはまだ寝ている。
ナギサは小さく息をついて、言った。
「そう言われれば、たしかにそうなんですけどね…」
たしかに、あれが、どう帰る手段につながるのか、といわれれば、ナギサも答えに詰まってしまう。だが、一つ、ナギサには思い当るところがあるのだ。
「…一週間、と言うのが、気にかかってるんです。これは、クレスヴィルからの移動、プラス四日。つじつまが合いすぎる」
「…どういうこと?」
フィーデルが不思議そうに首をかしげた。
「フィーデルさん、あの『贖罪の騎士団』、人形なんですよね?」
「そうよ? 命令されたことをやるだけ。それ以外は、何もしない。そこが私と、唯一違うところね」
「…それが何の関係があるんです?」
アメリの質問に、ナギサは、眉間にしわを寄せながら、答えた。
「―――あの、『騎士団』は、けっこうな賞金が懸けられてるのに、まだ逃げ続けてる。討ち取ったモノが受け取れるという破格の条件なのに、それでも逃げられるのは、たぶん、フィーデルさんと同じだからだろう」
犯人をどうやって逃がすか。フィーデルさんのように、持ち運びができれば簡単だ。だれに見つかる心配もない。必要な時に出せばいい。だれが?
「…たぶん、私たちの探している、事情を知ってるこっち側の人が、クレスヴィルにいたんだろう。その人が、贖罪の騎士団を使ったんだ」
「…そして、『グレイ』を襲わせ、こっち側に、引っ張り込んだ?」
「かも、しれない…」
アメリに言われ、ナギサは自信なさげに言った。トーストは半分ほどになっていた。素材がいいのか、バターだけで十分に甘く、実においしい。
その点が、よくわからないのだ。なぜ、『グレイ』は殺して、自分を生かした? 異世界に人間を引っ張り込む。そんなことが、出来るのか? フィーデルにも聞いてみたが、その点は、よくわからないそうだ。それに―――。
「しかも、そいつがジェリゾフェールにやってきた?」
オリガが疑わしげな目を向ける。たしかに、その点まで言われれば、弱い。
ナギサはお茶を一口飲んだ後、言った。
「―――日数的には、ちょうどいいんですよね。私たちがこっちに引っ張り込まれた後、ジェリゾフェールまでやってきて、同じことをやる。そして、エクリプス研究所は暴走を始めた。私たちがこっちに来て、四日。多少の誤差を含めれば、ちょうどいい」
その、ナギサたちをこっちに引っ張り込んだ何かをやるのに、一日ほど準備が要ると思えば、それでつじつまが合う。他にも用事はあるだろう。
「それに、『エクリプス研究所』。たしかに、昨日のあれじゃ、有名にもなる。あれは、こっちには、無いモノなんでしょう?」
「…クマ?、の、ぬいぐるみと、言ったか? たしかに、こちらでは、見たことのないものだったが…」
「たぶん、それのせいで、変人ていう評価のうわさが流れたんでしょう。こっちの人に、理解できないモノを造ったから。そして、その、私たちが探している誰かさんも、そう聞いたかもしれない」
どんなヒトだか、想像もつかないが、少なくとも、オリガしか情報源のないナギサたちの耳にも聞こえていたウワサだ。聞いていても不思議ではない。プレイヤーを探す手掛かりには、なったはずだ。不確定要素が多すぎるが、少なくとも、ナギサたちが異世界なんてところに来ているという非常識が起きているのは、確かだった。何が起きても不思議ではない。
「…問題は、そのプレイヤー、エクリプス研究所の所長、”ジェシカ”さん。彼女が、無茶をやってるんでまわりの住人から目をつけられてるんじゃないかってことなんですよ…」
「放っておきませんか? こっちもこれ以上の問題はごめんですよ?」
「それも、考えたんだけどね…」
ナギサはアメリの意見に、考えるような表情で答え、言った。
「―――たぶん、今後どう動くにしても、戦力になってくれると思うんだよ。とりあえず、落ち着かせて、話をしてみたいんだよね」
「…また始まった」
アメリがあきらめたような口調で言ったが、そのままトーストをモクモクとかじり始める。あえて、反対はしないらしい。
「お前らがいいのなら、私は、べつにかまわん」
「私はナギサちゃんのやりたいようにで、いいからねぇ」
他の二人も、異存はないらしい。あとは、ロックフォールか。
「…じゃあ、とりあえず、ここでの話はついたってことで」
ウェイターが一人、こちらのほうへ近づいてくるの見て、ナギサは魔石に流す魔力を止めた。
そのウェイターはまっすぐナギサたちのテーブルに近づいてくる。
「…パワード様の、お連れの方でよろしかったでしょうか?」
「…ええ、そうです」
一瞬、ナギサは面食らった。”パワード”が、ロックフォールのこっちでの名字だ。ちなみにアメリはラ・セーヌと聞いている。川上と六条のほうが、まだナギサの頭には残っていた。
ウェイターはそれを確かめると、言いにくそうに言った。
「パワード様からのご伝言です」
「…え?」
ナギサが怪訝な顔になると、ウェイターは恐縮して言った。
「『熱があるみたいなんです』、だそうです。お水をお持ちしましたが、どうにもお加減がすぐれないらしく…」
アメリの顔が、どんどんひきつっていくのを見て、ウェイターは先を続けられず、言葉を切った。
ナギサは、すでにトーストを食べ終えていた。食事は美味しく、話も終わった。ただ、新しい頭痛の種が増えたらしいということも、よく、呑み込めていた。
「―――まさか、回復術でも治らないとは…」
「たぶん、気疲れを起こしてるんだろう。体が治っても、こればかりは、ね」
ナギサはため息をついて言った。
回復術が効かない。アメリが言うには、効いてはいるそうなのだが、効きが今一つらしい。
「―――精神的なモノには、いまいちなんだろう。彼もあれで、いろいろあるからね」
向こうに彼女まで残してきている。考え事は多いはずだ。
アメリは肩をすくめた。
「六じょ…、ロックフォール君が、こういう非常事態に弱いのは分かってるんで、あんまり気にはしてませんがね。それより、目の前のあれです。どうします?」
時間が経てば経つほど、住民が集まってきている。ますます入りづらくなってきた。
「…ヒドイな、これは」
ナギサが一回引き返そうとしたとき、聞き慣れた声が聞こえた。
ナギサが振り返ると、そこに、五人ほどの部下を連れた『隊長』が立っていた。
「…ああ、隊長さん。昨日はどうも」
「ん? 君は昨日の…。研究所に、用事かね?」
隊長は、すぐに渚たちのことが分かったらしい。来た時と同じような恰好(ナギサはおなじみの黒スーツっぽいモノ、アメリは色違いのローブに革鎧。フィーデルはいない)だとはいえ、大したモノだ。客商売なら喜ばれそうな才能だなと、どこかずれたことをナギサは思った。思ったが、口では別のことを言う。
「ええ、そうです。隊長さんたちは…、まあ、聞くまでもないですね」
そう言って、ナギサは目の前で繰り広げられる騒ぎに苦笑する。隊長が顔をしかめた。
「まったく、あんな騒ぎを起こせば、こうなることくらい解りそうなものを…」
「毎晩あんな感じだそうですね?」
「…困ったものだよ」
隊長も、疲れているらしい。げっそりしていて、顔色が悪い。あまり寝ていないのだろう。そのまま、ため息をつくと、じっと研究所を見つめ、またナギサたちのほうに目を向ける。
「―――君たちは、中に用事があるんだろう?」
「…ええ、面白いモノを取り扱っていると聞いたものですから。ですが、出直してきた方がよさそうですね」
研究所の前は、ヒトの壁でふさがってしまっている。もう群衆といっても良い人数だ。とてもじゃないが中に入れるような雰囲気ではない。もういったん、引き返した方がいいだろう。そう思っていた矢先だった。
「…しょうがない。中に入れてあげよう」
とてもそんな雰囲気ではないのに、隊長は、仕方なさそうに言った。ナギサが驚いてその顔を見る。やはり疲れているが、ウソをついているようにも見えなかった。
「え、良いんですか?」
「それが、仕事なんだよ」
驚くナギサに、隊長の顔は暗い。
「実はね、研究所の所長から、これじゃ客が入れないからなんとかしろと言われて、私たちは来たんだよ」
「所長から?」
「正確には、国のほうからの命令でね。あそこの所長の便宜を図るように言われてるんだよ。じゃあ、行くよ。おい…」
隊長が部下に二言三言、短く何かを伝える。
ついておいでと、ナギサたちに合図して、そのまま、隊長さんたちは群衆のほうに向かっていく。
アメリとナギサは目を見合わせた。
「大丈夫でしょうか?」
「平気じゃないかな? 一応、向こうはプロなわけだし…」
心配そうに言うアメリに、ナギサは応じた。明らかに群衆は、気が立っている。そこにわざわざ突っ込むのだ。気がたった群衆というやつは一種の猛獣だと、イタリアの警官が言っていたのだ。目の前にするのは、そこのバス運転手のデモに巻き込まれた時以来だが、その時のことはよく覚えている。おかげで昼食のパスタとプリンを食べそこなうハメになった。プリンの悔しさは今でも忘れていない。
ナギサは、少し躊躇したが、他に道もなさそうだった。とりあえず、ついていく。不味いようなら逃げる。どちらにしても所長とかいう人物とは、会わないといけない。アメリにそのことを伝えてから、ナギサは、隊長の後を進んでいった。
ナギサたちが歩いていくと、研究所のほうに向いていた人々の中から、数人がこちらを振り向いた。明らかにイライラしてますという顔だったが、隊長の姿を見た途端にその顔が少しだけ明るくなる。そのうちの一人が声をかけてくる。
「…あ、アントンさん。所長にかけあってくれよ」
男は隊長に駆け寄ってきた。
そんな男に、隊長は苦虫をかみつぶしたような、渋い表情でうなずいた。
「―――すまんな。コレオス。子どもの夜泣きか?」
「ああ、毎晩毎晩あの騒ぎだ。いい加減、勘弁してほしいぜ」
「すまんな。一応私からも言ってるんだが…」
隊長はそんなことを言いながら、群衆の中へと入っていく。
どうやら大半の住民が隊長さんのことを知っているらしい。そして、隊長さんはその住民たちの顔を覚えているようだ。次から次へとあいさつを交わしながら、隊長たちは群衆の中をすり抜けていく。その通り道はヒトがいなくなり、道ができる。ナギサは感心していた。
「すごいね。ずいぶん人望がある人だ」
「…この人数を全部覚えてるんでしょうか?」
ナギサとアメリはそんなことを言いながらも、遅れないようにそのあとをついていく。隊長さんが通った後だけに、きれいに一本道ができあがる。そしていよいよ群衆を抜けると、隊長は姿勢を正して、群衆に向き直った。詰め寄られていた兵士が、ほっとしたような表情を浮かべていた。
隊長が、群衆に向かって、なだめるように話し始める。その部下が、小声で、ようやく門の前までたどり着くことのできたナギサたちに、言った。
「さあ、君たちは、中に入るといい。あとは、隊長と、私たちで何とかするよ」
「…良いんですか?」
チラリと隊長をうかがいながら、ナギサは言った。隊長さんは何か謝罪の弁を述べながら、住民たちに語りかけている。疲れてはいるが、その顔は頼りがいがありそうに見えた。
ナギサに応えて兵士がうなずいた。
「よくあることなんだ。気にしないでくれ」
こんなことがよくあって、良いんだろうか? 疑問は浮かぶが、今はそれに構っている時ではない。ナギサは兵士にうなずいた。
「…すみません。アメリ君、行くよ」
ナギサとアメリはこっそりと、鉄柱が両脇に立っただけの門をくぐり、エクリプス研究所の敷地の中に入った。やたらと広い芝生の庭、そこにひかれた石の道を歩いていく。
ナギサたちの背中で、隊長が声を張り上げるのが聞こえた。
「みなさん! 申し訳ありません! 皆さんのご迷惑は―――」
「…やっぱり、こういうときに話すことって、似たかよったかになるんですね」
「そういうこと言わないの。やらなきゃいけないことが一緒なんだから、方法も似たかよったかになるんだよ」
ナギサとアメリはそれを聞きながら、研究所の中に向かっていく。例の奇妙な建物が、目の前に迫ってくる。見た目は近代的な、ナギサたちの世界にでもありそうな建物だ。あの奇妙な飾り(ロボットアームなどなど)が無ければ、病院でも通るだろう。実際にそのドアはガラス製で、しかも自動ドアだった。ピーっと音がしたかと思うと、サッと横に開く。まだ、時間も大して経っていないはずなのに、ナギサはどこか懐かしさを感じていた。
「ここは我々にお任せください。ですから今は―――!」
隊長さんの声が、ジェリゾフェールの街に響く。
住民たちも、とりあえず、話だけは聞くことにしているらしい。うなずきながら、大人しくそれを聞いている。
そびえたつ山とともに、街を覆う雲はますます厚くなり、街に暗い影を落としていた。
どんよりと、雲に覆われた空の下、エクリプス研究所の騒ぎ。それは、一旦の終息を見せていた。鉄の街に、一瞬の静寂が訪れる。




