11 ウワサの広がり その三日
「あいつが、ここに来た?」
オリガは、フィーデルから聞かされた話に、怪訝な表情を浮かべた。
フィーデルはカウンターの奥にすわり、いつもの甘ったるい臭いをさせながら、ニコニコ笑って、うなずいた。
「そうよ、昨日。ロックフォール? あの、剣士さんと一緒に来たわ」
フィーデルの店で、オリガはフィーデルと向かい合っていた。オリガと一緒に来たイリサが言った。
「あの娘。また魔石買いに来たの?」
「ううん、違うわね。ただ、面白いこと聞きに来たのよ」
楽しそうに笑うフィーデルに、オリガが聞いた。
「何をだ?」
「魔物で、魔法使うやつっていないのかって、さ」
「魔物? 魔法?」
クスクスと、フィーデルが笑った。
「そうよ。ほら、この大陸の、ここからだと、ちょうど反対側かしら? あそこに、『赤ひげの魔王』なんて呼ばれてるのがいるじゃない。あれの話を聞きにきたのよ」
「なぜ、フィーデル殿に?」
あれは、魔物の類だ。自分たちも、一応の情報は持っていた。しかし、目の前の女性は、ただの魔石屋だ。
フィーデルは、あいかわらず笑っていた。
「ほら、昨日、私がいろいろ見せてあげたじゃないの。それで、強い魔物なんかにも、魔法みたく詳しいんじゃないのか、って、聞きにきたみたいよ。それはそうと、二人ともどうしたの?」
時刻は昼。オリガとイリサ、二人がそろって来店したのだ。ついついその雇い主の話になってしまったため、まだ二人の要件を聞いていなかった。
フィーデルに聞かれ、二人が少しだけ目を合わせた。
「…昨日のことについて、オリガがお礼がしたいそうよ」
イリサが、申し訳なさそうに言った。
フィーデルがキョトンとした顔になった。
「何の?」
「…昨日、あいつ、ナギサを助けてくれたことだ」
ああ。
フィーデルが納得したようにうなずいた。
どうでもいい、というように手を振る。
「別にいいわよ? 何だか騒がしくなったから、様子見に言っただけだし」
「だが、あなたが現われなかったら、ナギサを見殺しにするところだった。ありがとう」
丁寧に、頭を下げるオリガに、フィーデルは困った顔だ。
助けを求めるようにイリサを見た。
イリサがため息をついた。
「…ほら、やっぱりフィーデルさん、困ってるじゃないの。ほら、頭上げて」
「そうよ」
フィーデルが呆れたように言った。
「別にいいのよ。ちょっとした気まぐれ。そんな、かしこまるようなものじゃないし、ハンターが魔石屋なんかに頭下げないの」
そう言って、フィーデルもため息をつく。
首を振りながら言った。
「…それにしても、昨日はツイてなかったわね。あんなとこまで、魔物が飛び出してくるなんて。下にいた子たちは、大丈夫だったの?」
話題を変えるように、フィーデルが話を振る。イリサが言った。
「第三区画が破られたらしいのよ。ヴァン・ラニの群れが出てきちゃって、下にいた連中が防ぎきれなかったんだってさ」
「あら、災難ね。やっぱり、どんどんスゴイことになってきてるみたい。ああ、またね…」
鐘が鳴り始めていた。いつものように、激しい鐘。今日だけで十回は鳴っている。
フィーデルが二人に目を向けた。
「そういえば、ナギサちゃんはどうしたの? 今日は一緒じゃないみたいだけど?」
「…ああ」
オリガの顔が苦痛にゆがむ。
昨日のことの話をフィーデルに聞かせた。
「あら、そうなの。でも珍しいことじゃないんでしょ? 彼女のウワサ、けっこう聞くんだけど?」
フィーデルが頬に指を当て、考えるように言った。
「…なんでも、剣士さんが泣きついた、とか。どこかの落ち伸びたお姫様なんじゃないか、とか。山を吹っ飛ばすようなスゴイ魔法を使うらしい、とか」
「…あいつのは、たしかに威力は高いが、大したこのとのない、使い勝手が悪い代物だぞ?」
ようやく頭を上げたオリガが、疑うような表情になる。
フィーデルがおかしそうに笑った。
「ウワサよ。ウ、ワ、サ。魔石屋なんかやってるとね、本当に次から次へと冒険者さんが来てくれるから、話の種が山ほど集まってくるのよ」
「…なるほど」
三百年もやってればな、とは、オリガもさすがに言えなかった。
フィーデルが小さくため息をついた。
「…でも、そろそろ飽きてきちゃってね。この場所を、だれかに譲って、どこか、ほかのところに行こうかな、なんて、最近思ってるのよ。ここじゃ、うるさいしね」
そう言って、窓の外を見た。鐘は鳴りやんだが、今日も、仕事を求めるハンターたちが大通りを闊歩していた。今では、クレスヴィルは、仕事が有り余っている。
イリサが驚いたように言った。
「でも、フィーデルさんのところがなくなったら、冒険者、困るんじゃないの?」
「大丈夫よ。私のとこがなくなったら、また、誰かが魔石屋を始めるわ。ま、それまではご辛抱を、ってことで」
「…でも、セールをやってくれるかどうか分からないじゃない」
フィーデルは、どうでもいいというように肩をすくめた。
「ま、そのことは、その時の店主さんと相談して、って感じかしらね。それにしても、ナギサちゃん、どうしてるかしらね?」
フィーデルがぼんやり窓の外に目を向ける。オリガが気まずそうな表情になる。
「…なあ、やはり」
「だぁから、こっそりついてくのはやめなさいよ。依頼主から言われたんだから、私たちが口を挟むことじゃないんだって…」
「なに? オリガちゃん、あとをツケてく気だったの?」
からかうように、フィーデルが口の端をクイッと上げるような笑みを浮かべた。
イリサが言った。
「そうなんですよ、フィーデルさん。あそこなら安全だって、さっきから言ってるのに…」
「あら、まぁ…」
オリガは、二人から散々に言われ、その後もイリサにずっと連れまわされ、結局その日、ナギサについていくことをあきらめた。
ナギサはその日の夕方、疲れた様子で帰ってきて、すぐにベッドに入って、眠ってしまった。
その次の日、ハンターギルド長の部屋。
夕日を浴びながら、ランクルは書類の山におぼれていた。
「―――ああ、くそ。いつまでたっても終わりゃしねぇ」
悪態をつくが、書類の山はいつものようにふてぶてしく机の上に陣取っている。見るたび見るたび、それは増えていく。現実から目をそむけるように、ランクルは部屋の隅に目を向けた。
「…で、いつまでそうしてるつもりなんですか? ギルモア行政官?」
書類に埋まった部屋の隅、そこにギルモアがいつもの仰々しい恰好で、青い顔をしながら立っていた。
ギルモアが、その薄い唇をなめた。
「…あさって、いよいよ森狩りですが、本当に大丈夫なんですね?」
震えるように、ギルモアは声を絞り出す。
ランクルは、その書類の山のように、重苦しいため息をついた。
「何度も言ってるでしょう? こっちで対処しますから、そちらは、ご心配なく、と」
「ですが、どうも今回の活性化は、不安になってしょうがないんですよ。本当にダンジョンをなくしてしまうのは、無理なんですか?」
「無理です」
きっぱりと言い切って、ランクルは腕を組んだ。どっかりと椅子にもたれかかる。書類のせいで固まった体が、バキバキと音を立てた。
「…あれの壁は、どんなことをやっても、壊せないんですよ。大昔の遺産、でしたか? おかげで、今でもこっちは迷惑を被ってるんです」
「…ですが、核を壊してしまえば」
「それも一緒ですよ。何でできてるんだか、今じゃわかりませんがね。壊すことは不可能です」
ギルモアは視線をさまよわせた。おずおずといった。
「最近は、とんでもなく強い人々が現れています。本当に無理なんですか? ”城崩し”なんて、常人ばなれした力の持ち主だと聞いています。今度の評定会議でも、話題らしいです。やっぱり、彼なら…」
「無理です」
ランクルが椅子にもたれたまま、ぴしゃりといった。
「―――たしかに、常人離れしてはいますが、戦い方がダメです。使い方がなっちゃいません。このあいだ見てて、分かりましたよ」
きょときょと。
ギルモアの視線が書類の山から山に飛び移る。
さっさと帰ってもらわないと、どんどんたまっていく書類の山。
ランクルが言った。
「―――お分かりになられたんでしたら、今日はお帰りください。これを、すべて処理しないといけませんから…」
「…あの娘」
ギルモアが、すがるように言った。
ランクルの眉がピクリと上がる。
ギルモアは続けた。
「―――ロックフォールが、リーダーとか言ったという話の、あの娘、ナギサ、とかいう娘は、どうなんですか?」
「…嬢ちゃん、あれが、なんですか?」
「ロックフォールがリーダーなんて呼ぶような相手です。強いんじゃないんですか? 彼女なら…」
「いい加減にしろ!」
思わず怒鳴りつけ、ランクルは舌打ちをした。
見ればギルモアが青い顔をしながら震えていた。
ランクルは身を乗り出した。子供でも落ち着かせるように手をかざす。
「…失礼。だが、少し考えてモノを言ってほしい」
おびえるようなギルモアに、ランクルはなだめるように言った。
無情にもドアが開き、また書類が追加される。
ランクルはそれを横目に見ながら続けた。無表情に書類を持ってきた男は、何も言わずに出ていった。
「―――あいつは、ただの小娘ですよ。それだけです。リーダーというのも、ただ、ロックフォールの奴が言ってるだけでしょう。だから、期待するだけ、無駄というものですよ」
「…そうなんですか」
ギルモアは、がっくりと肩を落とした。
ランクルは小さく唸った。
「…まあ、たしかに、私もあいつのウワサは聞いてますがね。なんでも、隣の王国で、山をふっ飛ばしたとか、なんとか…」
ランクルの言葉に、ギルモアは目を丸くした。だが、打ち消すように、すぐに手を振る。
「ウワサはやたら大きくなるもんです。たぶん、ギルモア行政官と同じように考えた奴がいたんでしょう。私が見る限り、そんな感じはありませんでした。だいたい、魔法でそんなマネはできません。アルブだって、そんな魔力量のある奴らはそうそういませんよ。フィーデルさんでもあるまいし。だから、無理。やはりウワサですね」
「…そうですか」
すみません…。
そう言って、トボトボと、ギルモアは部屋から出て言った。
ランクルは安堵のため息をついた。だが、その表情は、今一つ、晴れない。
「―――あの嬢ちゃん、いったい、なんなんだろうなぁ?」
ランクルがそう、つぶやいたとき、突然、目の前の書類の山が、ぐらりと揺れた。
「なんだこりゃぁ…?」
ロッシは目の前の光景に唖然としていた。
他の調査に来た面々も、ポカンとした表情を浮かべて、足元を見下ろしている。
そこには、穴があった。
「…だれか、爆弾の山でも爆発させたかな?」
となりにいたグラスが、じっとそれを見ながらつぶやいた。
クレスヴィルから、だいぶ離れたところにある草原だった。まわりには何もない。もともと、そうであったはずのそこに、本当に何もない、からっぽの大穴が、家を一軒飲めるほどに大きく、その口を開けていた。
「いわれて、来てみたは、良いけどな…」
正直言って、これは、どうしようもない。まわりはただの草原。青い空。そして穴。周りには何もない。調べようもない。
「…これでは、誰かが見ていたということも、ないだろうしな」
まわりを見回したグラスが言った。この辺りまで来るような奴など、いそうもない。
そう、思っていたのに、なぜか、見知った顔がそこにあった。
「オリガじゃねえか。どうしたんだ?」
グラスが声をかけると、鎧姿のオリガが、何やら怖い顔でこちらに歩いてくる。黙ったまま、歩を進めていたかと思うと、じっと大穴を見つめた。
「…これが、昨日の揺れの原因か?」
「ん? ああ…、そうみたいだ。本当のところは、分からないけどね」
そう言ってグラスは手を振ってまわりを示した。
オリガは考え込むように、顎に指を当てた。
「…分からないのか?」
「ああ、だれかが見ていた様子はないし、あるのはこれだけだろう? どこかの研究機関にでも頼まないと、私たちでは手に負えないな」
「お前も、似たようなもんだろうが、なんとかならねぇのか?」
ロッシが言うと、グラスは首を振った。
「私は、ダンジョン調査が本来の仕事だよ。こんなのは専門外だ。だれか、よそにでも頼むんだね。最近は、ずいぶん有名な研究所もできたって話だし…」
「そんな金が、ギルドにあるとも思えねぇな。こりゃただ報告するしかないか…。―――そういえばオリガ、お嬢ちゃんの依頼の最中だったんじゃないか? こんなとこにいて、良いのかい?」
ロッシが言うと、さっきから考え込むようにうつむいていたオリガが顔を上げた。そして、言った。
「…ああ、今日、あいつは宿で寝ているよ。イリサがついてる」
「そうかい。ああ、お譲ちゃんの教育係だったか? あれは上手くいってるか? なんか、門のとこで無茶やったらしいって聞いたが…」
「…ああ、あいつは無事だ。問題は…ない」
オリガは相変わらず表情を曇らせていた。
ロッシはグラスを見たが、ただ肩をすくめて見せただけだった。
小さく息をついた。
「―――ま、いいや。それより、明日は森狩りだろ? お前も参加するんだってな。調子はどうだい?」
「心配はありがたいが、体をなまらせたつもりはない―――ああ、そういえば、”晴嵐”は参加するのか?」
「ん、するんじゃねぇのか? ああ、そういえば、なんか、お嬢ちゃんとも仲良かったよな。お嬢ちゃんが心配してんのか?」
「そうだな…」
オリガの答えに、ロッシはおかしそうに笑った。
「なら、心配するだけ無駄だって伝えときな。このあいだから、ばしばし活躍してるからよ。おかげで塔の連中、仕事取られちまうってぼやいてたぜ」
ロッシはそのまま、クレスヴィルの方向を見た。
ぽつりと、緑の中に赤い壁が、しみのように見えていた。
「…ま、どっちにしたって、明日まで、だ。やっと、森もおとなしくなるってもんさ」
ロッシは、気楽に言った。ピクリと、その表情が動く。
「どうした、ロッシ?」
すんすんと、ロッシが鼻をひくつかせていた。
グラスが尋ねても、何も言わない。しばらく、あたりの匂いを嗅いでいた。
やがて、首を振った。
「―――いや、何でもねえ。毎日、森の中にいるもんだから、鼻が馬鹿になってるらしい」
そのまま、グーッと伸びをした。
「…やっと、森とも、おさらばできる。宴もあるし、やれやれ、あしたが待ち遠しいってもんだね。ったくよぉ」
ロッシのつぶやきに、グラスは苦笑しながらうなずいた。毎日暗い中にいるのは気が滅入る。調査に来た面々も、苦笑して頷き、そのまま、街に引きあげ始めた。
じっと、オリガは考えるように、目の前の大穴をながめている。だが、やがて、一人首を振ると、そのまま、来た道を引き返した。すぐにロッシたちに追いつき、最近の話を始めた。オリガはこの三日のことを話し、お返しとばかりにロッシが最近の手柄話をはじめた。グラスはそれを聞いて、やれやれと天を仰ぐ。
青い空、その大きな青の中を、一羽の鳥が飛んでいた。




