20.ゴリラ記念日(佑樹)
僕は[しるばー]で一旦、坂の上のトンネルまで駆け上がり、トンネルの中に[しるばー]を停めてから、ゴリラを押す彼女の所まで駆け戻った。
ブラインドカーブを曲がった所で鉢合わせた彼女は案の定、泣きながらゴリラを押していて、戻ってきた僕の姿を見るなり決まり悪そうにゴシゴシと袖で顔を拭った。
「なんだよぉ。私のことはほっといて先に行けっつったじゃん。あーもう、おせっかいな奴だな、君は!」
「まぁおせっかいは否定せんけどな。でも、この状態の女子を放置して行くんはさすがに後味悪すぎて今日一日授業に集中できんから、俺の精神の安定のためにも手伝わせてや」
そう言いながら彼女の反対側からゴリラを支え、押していく。とりあえずトンネルに入れば雨は凌げるし、照明も点いているから原因を調べることもできるはずだ。
二人で汗だくになってゴリラを押しながら坂を上っている途中で、彼女が急に言った。
「……わ、私、轟 響子。君は?」
「み、宮本、祐樹。い、1年C組。轟さんは?」
「に、2年H組。……あと、轟って呼ぶの禁止。響子って名前の方で呼んで! 轟って名字、強そうで嫌なんだ。お、女の子の名字じゃないよね」
「おっけ。響子先輩」
「先輩もいらない。そもそも学科も違うし、私が先輩として、なにかしてあげたわけじゃないし」
「分かった。響子さん」
響子さんが照れくさそうに笑う。
「さっきは、ごめんよ」
「なにが?」
「おせっかいなんて、言って。ほんとうは、戻ってきてくれて、嬉しかったんだ! ありがとうね、祐樹」
「どいたま」
……っていきなり名前呼び捨て? と、突っ込むタイミングを逸してしまった。今更指摘するのはちょっと気まずい。まあ、彼女は先輩やし、僕も彼女を名前で呼んどるんやで別にええかと納得する。
「そういえば、宮本って名字、もしかして、お姉さんとか」
「おー。沙羅姉は、俺の姉貴やけど。ああ、H組ってことは響子さんは食調だから姉貴とも面識あるんやな」
「そうだよー。入れ代わりだったから、重なってはいないけど、沙羅先輩は卒業後も、指導に来てくれてたからね。ふふ、そっかぁ、佑樹は、沙羅先輩の、弟かぁ。ふふ」
「何が、可笑しいん?」
「なんでもないさ」
ゴリラを押して坂を上りながら話すと息切れするので、その後はお互いにしゃべらずに黙々と押し続け、やっと坂を上りきって、トンネルに響子さんのゴリラを運び込んだ。まだ新しいトンネルの中はそれなりに広く、車道より一段高くなった歩道も車が通れるぐらいの幅がある。ここまでくればとりあえず安全だ。
響子さんがトンネルの壁に背中を預けて何度か深呼吸をする。
「くはぁ、けっこうきつかったね。助かったよ。……あーあ、学校に着く前に汗だくになっちゃった」
「とりあえず、合羽だけでも脱いどきなよ。ちょっと汗が引くまで」
「そだね。合羽着たまんまじゃ蒸れるもんね」
合羽を脱いだ響子さんはポロシャツの上に白のカーディガンを羽織り、下は夏服の水色のチェックスカートだった。
「うおっ……」
ショルダーバッグをたすき掛けにしているので、その肩紐がちょうど胸の双丘の間を通っていわゆるπ/状態になっている。
伸縮性の高いポロシャツでそれをしているのだから彼女のかなりのボリュームを誇る形の良いソレがかなり強調されてしまっていて、僕はさっき意図せずして触れてしまったその感触をつい思い出して一人で赤面してしまった。
誰が思いついたんやπ/とか。天才かよ。
「あれ? どうしたんだい?」
響子さんは僕のそんな様子にはお構いなしでショルダーバッグからキャップを取り出してさっとかぶり、へへっと笑ってみせた。
「この髪がね、悩みの種なわけさ。家を出る前にどんなに丁寧にセットしてきても、ヘルメットで蒸れ蒸れになってこうべタッとしちゃうわけだ」
「それで帽子」
「うん。Gジャンの似合う、帽子美人目指してます」
「……キョウコサンハ、ボウシビジンデスネ」
「うむっ。心がこもってないのがちょーっと気になるけどよしとしよう」
ニコニコと笑う響子さんに思わずドキッとする。きっとクラスでも人気者なんやろな。気さくやし、すごい美人やし、スタイルも抜群やし。
あかんあかん。こんなところに二人きりでおったら、何か妙な感情が芽生えてしまう。
僕は邪念を追い払うように頭を振って、リュックからいつも持ち歩いている携帯用の工具セットを取り出して響子さんのゴリラの横にしゃがんだ。
「え? ちょっと祐樹、なにするの?」
「ん。動かない原因をちょっと調べてみるわ」
「そんな、いいよ。そこまで迷惑かけられないよ! ここからは下りだからエンジンがかからなくても惰性で転がっていけるし、国道まで出ればバイク屋もあるからそこまで押していけば見てもらえるし。もう行かないと祐樹まで遅刻しちゃう」
「さっきも言ったけど、俺だけ先に行っても響子さんのことが気になって授業になんか集中できんって。言うやろ? 毒食わば皿まで。1マイルの奉仕に徴用されたら喜んで2マイル行くべし。右の頬を打たれたら他の頬も差し出せ……ってこれは違うか」
「……うん。最後のは厭味だね」
適当な格言を羅列しながら順番にゴリラを調べていく。88年式のゴリラは、最近毎日弄っている香奈の84年式モンキーと基本構造は全く同じだからチェックポイントは頭に入っている。
燃料の残量は問題なし。燃料コックは開いてる。チョークはかかっていない。さっきまで普通に動いていたことを考えると混合気のバランスは問題ない。……となると。
混合気に点火して爆発させる為の点火プラグに目をやる。
「なんや。外れとるだけやん」
「え? なにが?」
「これ。点火プラグのコードが転倒た衝撃で外れたんやな」
エンジンのシリンダーヘッドの点火プラグにつながってるコードが外れかかっている。家庭用電化製品に例えればコンセントが抜けかけている状態に近い。
カシャッとプラグコードを奥までぐっと差し込み、キーをONの位置に回し、ニュートラルランプの点灯を確認してからキックペダルを踏み込む。
──ドルンッ! トットットットット……
あっさりエンジンが再始動し、アイドリングを始める。んー、ちょっとアイドリングの回転数が低いんが気になるけど、まあとりあえず問題ないやろ。
「はい。問題なし」
「うっわぁ! 祐樹すごい! こんなに簡単に直しちゃうなんて」
「こんなん直すなんてレベルっちゃうて。普段からいじってれば自然に覚える程度やし」
「祐樹にとって大したことじゃなくても、私にしてみればすごいことだよぅ! 私だけじゃ途方に暮れて、バイク屋まで押していかなくちゃいけなかっただろうからね。よかった。ほんとうに助かったよ! もう一時はどうしようかと思ったよ~」
響子さんの目が潤んでいる。
「どいたま。これでなんとか一限目には遅刻せんですむかな。たぶんホームルームはアウトやけど」
僕は結局使わなかった工具セットをリュックにしまって背負いなおし、その上から合羽を羽織った。
半ヘルとゴーグルをかけなおし、[しるばー]にまたがってエンジンをかける。振り向けば、響子さんもわたわたと脱いだばかりの合羽を着なおしている。
「わっわっ。ちょ、ちょっと待って! すぐ着替えるから先行かないでっ」
その様子に思わず笑ってしまう。なんやこの可愛い生き物は。
「あれ? さっきは先に行けって言うてへんかったっけ?」
「さっきはあれだったからっ! ほらっ旅は道連れって言うじゃない? ……せっかくだから一緒に行こうよ~」
「おっけ、おっけ。待っとくからゆっくり着替えて」
響子さんが照れたように笑う。
「へへへ。なんか転んだことは最低なんだけど、おかげで祐樹と知り合えたんだから、そう考えるとまあそうまんざらでもないかな?」
「まあ確かになー。学年も学科も違うし、普通やったらまず知り合うことはなかったやろな」
「よしっ。じゃあ私は今日のこの出会いを記念してこれから7月6日を[ゴリラ記念日]と呼ぶことにしよう」
「しょーもない記念日作るなし」
「え? 知らないのかい? 有名な短歌なのに。このバイク 君が直して くれたから 7月6日は ゴリラ記念日」
「うん。俵万智先生に謝りや。でも微妙に上手いところがムカつくな」
「ゴリラで滑って 転んだだけに 滑ったネタさえ いとをかし。……都々逸で詠んでみたけどどうかな?」
「……なんか寒くなってきたから、やっぱ先に行こ」
「わぁっ! ゴメンて! はしゃぎすぎただけなんだよぅ。置いてかないでぇ!」
「……」
そんな馬鹿馬鹿しいやり取りも挟みつつ、ようやく合羽を着終わった響子さんと僕は一緒に走り出した。トンネルの向こうは相変わらず雨が降り続けてたけど、その雨はもうそんなに不快ではなかった。
【作者コメント】
遅れてきたサブヒロインの響子さんがついに登場。ちなみに都々逸は俳句や短歌と同じ和歌のスタイルのひとつで七七七五の二十六文字から成ります。
今回の話の舞台となった峠道のトンネルのモデルは新女鬼トンネルといいまして、すぐそばに廃道になっている旧女鬼トンネルがあるのですが、昔から肝試しスポットとして有名な場所です。




