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ミジンコから始まる異世界生き残り物語2 現代地球編  作者: 英目太郎


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第十八話 「退職願」

富士の樹海の奥深く、時空加速器の円環が黄金の火花を散らし、静止した。 幸田博が時空を越えて旅立った、わずか「一分後」。

見送っていた松田、佐藤、そして上杉特使の三人は、幸田が消えた地点を凝視したまま、瞬きさえ忘れていた。だが、その空間が不意に蜃気楼のように揺らぎ、次の瞬間、黄金の鱗の残像を纏った幸田が、そこにスッと立っていた。

「……ただいま。デボン紀のパフェは、少し甘すぎたよ」

「えっ……!?」 「主任、いま、消えたと思ったら……」

三人の驚愕をよそに、幸田は煤けたシャツの襟を直し、腕時計を確認した。針は一分しか進んでいない。だが彼の瞳には、四億一千万年の歳月を生き抜いた竜族の、深遠な知の光が宿っていた。

「上杉さん、実験は成功だ。だが、これからの世界は、この加速器よりもずっと激しく揺れることになる。覚悟しておいてくれ」

翌朝。新宿のオフィスに現れた幸田は、いつになく真剣な面持ちで、一枚の封筒をデスクに置いた。 「幸田ぁ! 昨日は無断欠勤かと思えば、今日はそんな薄っぺらい封筒を持って……なんだそれは!」 太田部長の怒号が飛ぶ。

「退職願です、部長。……あ、引き止めは無用ですよ。論理的に言って、俺がここに留まるメリットはもう、マイナスに振り切れてますから」

「ふ、ふざけるな! お前がいなくなったらうちの開発は……!」 「ご安心を。俺の担当していたコードは、後任が一生かかっても解読できないほど完璧に最適化リファクタリングしておきました」

幸田は部長の絶叫を背に受け流し、松田、佐藤、そして井口の三人を会議室に呼んだ。

「俺は新会社を立ち上げる。今の資本主義のバグを修正し、デボン紀で見てきた『真の理』を実装するための会社だ。……正直、最初は給料という概念すら消すつもりだ。ついてくるか?」

三人は言葉を失った。エリート街道を捨て、幸田という「底の知れない男」に賭ける。 「……主任。正直、めちゃくちゃ怖いですけど、主任のいない世界でバグ探しをするのは、もっと退屈そうです」 松田が震えながらも笑った。 「私も、幸田さんの創る『新しい世界』を一番近くで見たいです!」佐藤が続く。

「よし。デプロイ(展開)開始だ」

幸田が新拠点に選んだのは、千代田区の一等地に建つ、竣工したばかりの地上30階建てのガラス張りのビルだった。

「一棟丸ごと購入? 冗談はやめてください、幸田様。ここは外資系ファンドが……」 不動産会社の担当、高木は冷汗を拭いながら拒絶した。だが、幸田はタブレットを操作し、現在の為替レートと、彼が所有する特許ライセンスのリアルタイム収益を提示した。

「高木さん。貴方の会社がこのビルを運用して得られる30年分の利益を、今この瞬間にキャッシュで振り込もう。……それと、このビルの基礎構造、北側の支持梁に0.02ミリの歪みがある。俺の技術で無償で補強してやるが、どうする?」

高木の顔色が変わった。幸田は「欠陥」を指摘したのではない。解決策をセットで提示し、相手の「プライド」と「利益」の両方を掌握したのだ。 一週間に及ぶ喧々諤々の交渉の末、高木は幸田の右腕として、ビルの管理運営を任される「友人」となった。

ビルの最上階。 そこは、北欧のヴィンテージ家具が並ぶ、洗練された「静」の空間だった。 大きな窓からは、皇居の深い緑と、江戸城の石垣が借景として広がる。夕暮れ時になると、都心の摩天楼が琥珀色の光を放ち、部屋の白い漆喰壁に長い影を落とす。

しかし、その洗練されたフロアの奥に、幸田が最もこだわった「異空間」が存在した。 厚さ一尺の古い栗の木を床板に使い、天井には煤けた竹を配した、わずか四畳半の「囲炉裏部屋」だ。

「……ふぅ。やっぱり、これがないと落ち着かない」

幸田は、南部鉄器の鉄瓶がシュンシュンと音を立てる囲炉裏端に座った。 そこには、デボン紀の森の匂いに似た、薪が燃える芳ばしい香りと、古い木材が放つ温かな匂いが満ちていた。

床の間を兼ねた飾り棚には、彼が特注したアンチモン(錫合金)製の『1966年製トライアンフ・ボンネビルT120』の1/6模型が鎮座している。 幸田は、指先でその精緻なエンジンフィンを撫でた。

「見てくれ、このOHVの美しさを。アマル製モノブロック・キャブレターの、無骨でありながら精密な空気の吸入経路。丸い穴がパンチングされたエアクリーナーの、どこか機械的な冷徹さ……」

幸田の語りは止まらない。 「タンクのバーニッシュ・ゴールドとホワイトのツートンカラー。そこにしなやかに乗る、金色のロゴ入り『ステップアップ・シート』。……これこそが、機能美という名のパッチなんだ」

その日の夜。 幸田と退職を決めた三人の部下は、新宿の裏路地にある、馴染みの古い居酒屋にいた。

「かんぱーい!!」

安っぽいジョッキがぶつかり合う音。 「……主任、本当にいいんですか? 私たちの部屋、あのビルにタダで住んでいいなんて。3LDKなんて、一生かかっても住めないと思ってました」 佐藤が、焼き鳥のタレがついた口元を拭いながら言う。

「家賃というシステム自体が、人生のメモリを無駄に消費するバグなんだよ。……みんなには、余ったメモリを『世界を面白くすること』に使ってほしい。それが俺の報酬だ」

幸田は、安酒の喉越しを楽しみながら、新宿の喧騒を眺めた。 ここにはまだ、デボン紀のような完璧な循環はない。 だが、この泥臭い人間たちの「情熱」こそが、四億年前の竜族が忘れてしまった、進化の原動力ブーストなのだと幸田は確信していた。

「さて、明日からは忙しくなるぞ。……まずは、全人類の『電力料金』をゼロにするパッチを配布する」

「「「ええええええっ!?」」」

三人の絶叫が、新宿の夜空に響いた。 幸田博(34歳、個人資産:都心ビル一棟をキャッシュ買い)。 彼は、囲炉裏の炭をいじるような手つきで、世界のシステムを根底から書き換えようとしていた。

リビングの窓から見える皇居の森が、デボン紀の緑と重なって見える。 幸田の「ちょい悪」な革命が、今、静かに、しかし圧倒的な質量をもって動き出した。


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