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 私の命が終わるまで残り五日になった。現状、私はアルの家で寝たきりの生活を送っている。私の命は十八歳で終わるようになっていたが、こういった終わり方をするのは初めてだ。いつもはフェリクスに差し向けられた刺客に殺されるか、何か適当な理由をつけられて処刑されるかのどちらかだったからな。私の横にアルがいるのではそういった死に方をさせるのが難しかったのだろう。今回の人生では私は病か何かで死ぬ運命らしい。


「アイリスが原因不明の病? 一体どうなってんだよ」


 ベッドの中にいる私の隣で吐き捨てるようにアルは呟いた。


 当初倒れた私をアルは最速で街の医者にまで診せてくれた。しかし体調は一向に回復が見込めない。それどころか日に日に衰弱していくばかりなのだ。


 そんな状況を見てアルは心当たりがあるのかと尋ねてきたのだが……。私の事情はあまりにも馬鹿げている。それをアルに告げるのは気が引けた。それに私はアルの前ではただのアイリスとして在りたかった。アイリス王女でもなければ、王位後継者でもないただの"アイリス"としての日々をアルと一緒に刻みたかったのだ。


 だからアルの言葉に私は首を振った。アルに遠慮しているわけではない。これが私の望みなんだ。ずっと繰り返してきたこと。最後の最後で私は楽園に辿り着いたのも知れない。アルという男に出会えたことがアルテナ神の巡り合わせだったのかもしれないな。


 そして私の命が終わるまで残り三日になった。十八歳の誕生日まで残り三日。自分の命だ。なんとなく終わりの時が解る。


 結局私が何も語らないことを察したのか、アルは何も言わずに傍にいてくれるようになった。今日も変わらずアルは傍についてくれている。


 もうすぐ死ぬであろう私だが、不思議と恐怖はない。むしろ穏やかな気持ちになれていた。それはきっとアルのおかげだろう。


 こんなにも誰かを愛しく思えるなんて知らなかった。


 あぁ、この感情を知ることが出来ただけでも幸福だ。


 ……そういえば、アルは私の事をどう思っているんだろう。


 気にはなるが怖くて聞けなかった。


 アルという男に拒絶されてしまったら、私を支えていた糸が切れて今にでも地獄へと落ちてしまいそうになる。要は怖いんだ。それに私はもうすぐ消える人間。想いを伝えたところで意味はない。だけどもし、もしも来世というものが存在するならば――――その時こそは勇気を出してみようかな。なんて、いよいよ馬鹿げた思考になってくる。私に来世はない。それが契約のルールなのに。


「アイリス、薬だ。早く良くなってまた街とか行こうぜ。お前に元気がないと俺も張り合いがねぇよ」


 アルが優しい言葉をかけながら水差しに入った水と一緒に薬を飲ませてくれた。少し苦味があるが喉を通るたびに体の奥底まで薬効が染み渡っていくような感覚に陥る。これのおかげで幾分か楽になることが出来るのでとてもありがたい。ありがとう、と感謝の言葉を伝えようとするものの、口を開くだけで体力を奪われる。喋ることすらままならないとは本当に不便だな。


「無理すんな。今は休めって」


 私の体調を案じて微笑むように言うアルを見つめる。その表情を見ると胸が締め付けられる。苦しい。だけど幸せを感じる。相反する二つの感情が同時に沸き起こる。


 ――――アルが愛しい。


 私はアルが好きなんだ。


 きっとこんな男とはもう二度と出会えない。こんなにも好きになってしまった。叶うのであればアルと共に人生を歩みたかった。


「……すまない」


 思わず謝罪を口にする。何故謝ったのか自分でもよくわからない。だけど涙が出てきた。泣き顔を見られたくなくて横を向いて目を閉じると、頬から一筋の雫が流れ落ちた。


「いいさ。謝らなくても」


 アルに優しく頭を撫でられる。


「私は……」


 声を振り絞る。


「……もっと生きていたかった」


 嗚咽混じりの声が出る。


「まだお前とやりたいことが沢山あったのに……!」


 今までの人生で一度も言えなかったような言葉を吐き出すと堰を切ったかのように次々と溢れ出てくる。


「一緒に色んなものを見たいし、色々なことを知りたい。もっとアルと一緒にいたいのに」


 これまで抑え込んできた思いが一気に噴き出す。私は一体何を言っているんだ。まるで子供じゃないか。


「すまない、アル……わがまま言ってしまって……」

「好きなだけ言えば良いじゃねえか。それにお前は死なない。すぐに良くなる」


 何も知らないアルはそう言ってくれる。


「……分かるんだ。私の命に終わりの刻が近づいてくるのが」


 私は弱々しく呟いた。私の死は避けられない運命なのだ。私がどんなに抗おうとも変えられない。ずっとそうだった。


 力ない私の手をきゅっと優しくアルは握ってくれる。


「弱気になるな。今は風邪ひいて弱ってるだけだ。諦めるな」


 諦めるな、か。今まで諦めてばかりだった私には酷な言葉だ。でもアルの優しさは痛いほど伝わってくる。


 私はアルの顔を見るためにゆっくりと顔を向ける。アルの瞳に映った私はひどく衰弱しているように見えた。こんな私の姿をアルに見られたくなかった。アルはそんな私の手を握ったまま離さないでくれた。私もそれに応えるようにしてアルの手を強く握り返した。手から彼の暖かさが痛いほどに伝わってくる。


 そして迎えた私にとっての最期の日。十八歳の誕生日を私は迎えていた。


 ここまでくるとアルも私の回復が望めないことを悟っていただろう。私も自分の最期がすぐそこまで迫っていることを自覚していた。


 いつものようにアルが私の傍にいる。彼は私の手をずっと握っていた。彼の手から暖かい何かが流れ込んでくる。それは私の体を駆け巡り、心を満たしてくれる。


 不思議と気分が良い。体が軽い。心なしか体調が良くなっている気がした。何故かは分からない。不思議な力が私の身体中を満たそうとしていた。


 しかし私はこの暖かい力の正体に気付く。


 やめろ、アル。この力はお前の――――


 アルの命の一部が私に流れ込んできている。どういう方法を使ってこのようなことをしているのか分からなかったが、このままではアルの刻が無駄になる。


 だが私の願いも空しく、アルは私の手に自分の生命力を注ぎ続けていた。


 ――――やめろ! 何、馬鹿なことをしてるんだ!


 そう叫んだつもりだった。しかし私の口から出るのは掠れた空気の音だけだった。


 私が死ぬ定めは決して覆らない。それでもアルは、この愛すべき馬鹿は私に命を注ぎ続けていた。


 そして私は至る。悪魔との契約の果てに辿り着けなかった十八歳の誕生日のその先へ。


 ♦♦♦


 俺の目の前でアイリスの命が潰えようとしている。


 最初はただの季節性の風邪だと思っていた。しかし日々病状が悪化していく中で、俺は事態の深刻さを思い知った。


 アイリスを医者に診せても事態は一切好転しない。俺に医術の心得もない。原因不明の謎の病がアイリスの命を奪おうとしている。


 まるでオカルトだ。誰かがアイリスの死を望んでいるとしか思えない。


「オカルトならこっちだって一過言ある。オカルトにはオカルトで対抗してやるよ」


 俺は力を行使するために小さく"祝詞"を唱える。本当はやりたくなかった一手。力の制御を誤ればアイリスが壊れてしまうからだ。それでもやるしかない。俺がアイリスにできることはこれしかない。目の前で苦しむ俺の大切な女を指くわえながら見送るなんてこの俺にできるわけがなかった。


 アイリスの華奢な体に俺の命を限界いっぱいまで流し込む。俺とアイリスの命の容量は違う。こうして力を使ってアイリスの手に触れているから分かる。俺を砂漠とするなら、アイリスの命の力強さは砂粒ほどでしかない。だからこそアイリスの身体が俺の命で破裂しないように、ギリギリまで俺の命を送り続ける。


 減り続けているアイリスの命を補充するように俺の命で満たす。それでもアイリスの命は長続きしないだろう。アイリスの手に力を使って触れているからこそ、その現実が解ってしまう。


 弱弱しい目線でアイリスが俺にやめろと訴えかけている。今俺がやっていることをやめろと叫んでいる。


「バーカ。やめてほしかったら直接お前のその口で言ってみろ」


 これは話せないほど衰弱しているお前の責任だからな、アイリス。


 時間にしておよそ十年。俺がこれから生きるはずの時間だった十年分の命をアイリスに送る。それが俺がアイリスに送れる命の限界値。


 俺は自分の十年と引き換えにアイリスとの"一日"を手に入れた。

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