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初恋オルゴールで君は再び蘇る  作者: いっしー
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いつもの日常

「おはよ、歩」


 翌日。教室に入ると、たまたま前の席で友達と話している椿と目があった。「おう、」と返事をする歩に、椿が近づく。


「昨日はありがと……。お姉ちゃんも、歩が来てくれて喜んでくれてたと思う」


 伏し目がちに話す椿の言葉に、歩の心臓が大きく脈を打った。夢のように過ぎ去った先日の信じられない体験は、いまだ実感が持てないものの、妙な感覚だけを心に残していた。


「ああ、なら良いけど」


 まさか、死んだはずの姉と会ったなんて馬鹿げたことも言えず、歩は端的に答えると自分の席へと向かった。いつも通り始まった教室の風景に、ますます昨日の出来事が嘘のように思えてくる。


「おっす。どうした? そんな浮かない顔して」


 席に着くと、すでに前に座っていた真一が声をかけてきた。


「べつに。何もないよ」

「ほんとか? なーんか、お化けでも見たような顔してたぜ」


「どんな顔だよ」と呆れた感じに答えながらも、歩は一瞬その言葉にドキリとする。そして無意識に椿の方を見た。彼女は普段通りの笑顔を浮かべながら、友人たちと楽しそうに話しをしていた。


「そういや、今度貴弘のやつがバーベキューしようぜって言ってたけど、歩もくる?」


 人懐っこい笑みを浮かべながら聞いてきた真一に返事をしようとした時、歩の背後から声が聞こえてきた。


「真一、今週の練習試合は布施高らしいぞ」


 そう言って現れたのは、白いエナメルバッグを肩から掛けた和輝だった。彼は歩の方は一切見ることなく、真一に話しを続ける。


「今回は二年だけの試合もあるから、三宅先輩がお前らでポジション決めとけってさ」

「お、マジか。なら俺フォワード」

「バカかお前。ちゃんとみんなで話し合えってことだろ」


 そう言って和輝は笑いながら真一の肩を叩いた。パシンと爽快感のある音が歩の目の前で響く。


「とりあえず今日の練習の後にミーティングしようぜ」

「さっすが張り切るねー、次期キャプテン」


「黙れって」と彼は冗談めかして言うと、再び後ろの席へと向かおうとした。その時、歩と一瞬目が合った和輝はその表情から笑みを無くし、すぐに視線をそらすと無表情のまま歩いていった。


「……和輝のやつ、そろそろ許してやってもいいのになあ」


 真一が少し呆れた感じの口調で言った。


「別に俺は気にしてないからいいって」


 歩は小さくため息をつくと、鞄を机の上に置いてチャックを開ける。いつも無理やり突っ込んでいるせいか、ほんの数ヶ月前にもらったはずの教科書は早くも端が折れ曲がっていた。それを何となく親指でなぞってみた時、ふいに真一が口を開いた。


「そういや椿ちゃんのねーちゃん、昨日一周忌だったんだよな」


 その言葉に、歩の指先の動きが止まる。「ああ」と返事をした声は、自分が思っていたよりもずっと乾いていた。たぶん、動揺を悟られないように。


 真一はそんな歩の様子に気づくこともなく、ぼんやりと椿がいる方を眺めている。


「椿ちゃん、ああ見えて結構無理してるみたいだから、お前がしっかり支えてやれよ」

「わかってるって」


 歩は少しぶっきらぼうに答えると、チラリと彼女のほうをもう一度見た。するとたまたまこっちを見ていた椿と目が合い、彼女がニコリと笑って小首を傾げる。特に何もない、という意味を込めて歩は小さく首を振った。



 チャイムが鳴り、いつも通り始まった学生生活は、何の代わり映えもないものだった。担任の藤原が早くも文化祭について何やら話しをしているが、それはBGMのように耳に響くだけで、心は昨日起こった夢の続きについて考えていた。


 真那は、また会えると言っていた。


 それは嘘ではなく、一週間経ってもう一度あのオルゴールを鳴らせば可能だと。だからぜったいに鳴らしてほしいと、彼女は最後に笑顔でそう告げていた。


 歩は学ランのポケットに入れた真那からの小さなプレゼントをぎゅっと握りしめた。皮膚に食い込む確かな感触が、彼女のからの贈り物が本当にこの世に存在することを教えてくれる。


 歩は何となく窓の方を向いてみる。四角形に区切られた薄いガラスの向こうには、どこまでも広がっていく青空。

 

 本当は真那がまだ生きていて、同じ空の下で繋がっているんじゃないか?

 

 自由に形を変えていく雲のように、そんな馬鹿げた妄想が勝手に頭の中に浮かび上がる。


「じゃあ今から文化祭の実行委員をくじ引きで決めるぞ」


 藤原の野太い声がいっそう大きく鼓膜に響いた時、歩はふと我に返った。黒板の方を見ると、『文化祭実行委員』という白文字の下に、『十二』と『三十四』という二つの数字が書かれている。


「くじを回していくから、黒板の数字が当たったやつは手をあげろ」

「まじかよ……」



 歩は思わず嫌そうな声で呟いた。立候補で募ればいいのに、藤原はこういうゲーム形式を選びたがる。まあ挙手制にしたところで、誰も手を挙げるやつはいないのだろうけど。

 

お手製のくじでも作ってきたのか、やたらと割り箸がささった缶が流れ作業のように、窓側の席から回っていく。その度に、「俺はセーフ!」とか「助かった!」なんて声が耳うるさく聞こえてきた。


確率は三十五分の二。そう簡単に当たるはずがない。一つ前の席では何が楽しいのか、真一がくじを引いていく生徒と一緒に声をあげて盛り上がっていた。


「お前、なんでそんなに楽しそうなんだよ」

「え? こういうのは盛り上がっときゃな損だろ!」


 一体何に対して損なのかまったくわからないが、できれば早いところ誰かがハズレくじを引いてほしい。


心の中で切実に歩はそんなことを願うも、どうやら自分の些細な願いはなかなか天に届くことはなく、くじはスムーズに生徒たちの席を渡っていく。すると、それまで誰もあげる事がなかった手が、歩の視界の隅にチラリと映った。


「十二番……、わたしです」


 不安げに恐る恐る右手を挙げたのは、椿だった。彼女は恥ずかしそうに少し俯いていた。


「よし、とりあえず一人目は住田だな。あともう一人だ」


 無駄に大きな声で話す藤原は、黒板に彼女の名前を書いた。椿が当たってしまった事は可哀想だと思ったが、その反面ほっとしている自分もいた。


これで万が一、当たってしまったとしても、相手が椿なら問題ない。他の奴らだったら面倒なことや頼みたいことも言いづらいが、気の知れた相手だったらこっちも楽だ。


そんなことを思いながら彼女の方を見ると、まるで助けを求めるかのように椿が自分のことを見ていた。歩は小さくため息をつくと口パクで、「ドンマイ」とだけ伝える。


「おっしゃー! 俺三十三番。ぎりぎりセーフ!」


 目の前でいきなり立ち上がった真一が嬉しそうに叫んだ。その声に、「うるさいぞ」と藤原が呆れた表情を浮かべて注意する。


「ほら、歩の番だぞ」


 そう言って彼は、自分が助かったのをいいことに、ニヤニヤとした顔で割り箸が突き刺さった缶を差し出してきた。


歩は少し怪訝そうな顔をしながらその缶を手に取ると、手前にあった一本をすぐに取り出す。こういうのは考えれば考えるほど、どうせ結果は良くならない。そう思った彼は、取り出した割り箸の先端を見た。


「さんじゅう……いち」


 三という数字に一瞬ヒヤッとしたが、どうやら真逃れたみたいだ。とりあえずほっと胸をなでおろした歩は、そのまま後ろの席へと割り箸の本数が減った缶を渡した。


「なーんだ、歩も当たらなかったのか」


つまらなさそうに呟く真一に、「何期待してんだよ」と歩はわざとらしく目を細める。すると、後ろの席のほうから今度は和輝の声が聞こえてきた。


「俺です」


 はっきりとした口調で宣言した彼は、椿と違って堂々とその手を挙げていた。


「じゃあこのクラスは住田と三嶋で決定だな。今度のホームルームで出し物を決めるから、その時は二人で司会進行を頼んだぞ」


 はい、と先ほどと同じく教室に和輝の声が響く。椿はというと、まだ恥ずかしそうな様子で、首をコクンと動かすだけだった。そんな二人の様子を、歩はただぼんやりと眺めていた。



「私ってほんとくじ運ないんだよなぁ」


 帰り道、隣を歩く椿が呟いた。べつに一緒に帰る約束をしているわけではないのだが、家の方面が同じなのでよくこうなる。


「まあ相手は和輝だし、頼めば何かとやってくれるんじゃないか?」


 歩はそう話すと、右手に広がるフェンスの向こうを見た。縦に長い運動場には、元気な掛け声と共にサッカー部がランニングをしていた。


その中には今名前を言った人物と、真一の姿も見える。歩は再び視線を前に戻すと、同じように家路へと向かう学生たちの後ろ姿を眺めた。その視線は、ありもしないのに、真那の姿を無意義に求める。


「ほんとは、歩が良かったんだけど……」

「え?」


 ぼそりと呟く椿の言葉に、彼は隣を見下ろす。緩やかなカーブを描いた彼女の睫毛が、何度かぱちくりと動く。


「ううん、何もないよ。歩はもう、サッカーしないの?」


 伏せ気味だった椿の瞳が自分の顔を見上げる。そこには、さっきまでの会話が無かったかのように、真っ直ぐにこちらを見つめる彼女の姿があった。


「ああ……そうだな」


 歩は反射的に椿から目をそらすと、もう一度運動場の方を見る。一年前に自分がやっていたのと同じように、彼らは声を掛け合いながらシュート練習をしていた。


「そっか……。じゃあ歩が活躍している姿はもう見れないね」

「そんなに活躍してなかっただろ。中学の頃じゃあるまいし」


 残念そうに話す椿に向かって、歩が呆れたように言った。


幼稚園の頃から地元のサッカークラブに所属していた自分は、中学に上がりサッカー部に入部するとすぐにレギュラーに選ばれるようになった。


そこまでサッカー部の部員がおらず、経験者も多くなかったことも影響するが、それでも自分にとっては大きな自信の一つになった。


その時に同じく一年からレギュラーに選ばれたのが、和輝だった。


彼はもともと地元がこの辺りではなく、小学四年の時に引っ越してきた。そして偶然同じクラスになった自分は、和輝がサッカー経験者と聞いて当時通っていたクラブを紹介した。


それから去年自分がサッカー部を辞めるまでの間、ともに同じフィールドで仲間として戦ってきたのだった。


「歩と和輝くんのペア、すごく強かったよね」


 過去を懐かしむような口調で椿が言った。その瞳は歩と同じようにグラウンドの方を見ている。がしゃん、とフェンスにボールが当たる音が鼓膜を揺らす。


「べつに俺らぐらいのレベルの奴なら、この学校にもいっぱいいるよ」

「でも一年の時に試合に出れたのは二人だけだったんでしょ?」

「あと真一な」


 歩はそう言っていつも自分の前の席から茶化してくる彼の方を見た。向こうもこちらの存在に気づいたのか、シュートを決めて嬉しそうに親指を立ててきた。


「ほんと調子良いやつだな、あいつ」


 歩は呆れたように小さく笑うと、右腕を少し上げて彼とは反対の方向に親指を向ける。そんな様子に椿がクスリと笑った。


「歩はいつも真一くんと仲が良いよね」

「まあ、サッカー部やめて今も仲良いって言ったらアイツぐらいだからな」


 去年部活を辞めると言った時、和輝含めて同級生の部員たちは毎日のように引き止めようとしてくれた。もちろんそれは仲間が一人減る寂しさからでもあったが、実力的にも彼らは自分のことを認めてくれていた。


特にずっと一緒にサッカーを続けてきた和輝は、何度も家まで来ては、自分のことを説得しようとしてくれていた。


しかし自分は、真那が事故で亡くなってから、もうサッカーに注げる情熱は完全に失っていた。それどころか、本業である学生生活でさえままならないほど、当時は投げやりになって塞ぎ込んでいた。


真那の存在は自分が思っていた以上に、心の奥深くまで繋がっていたのだと、手遅れになってからやっと気付いた。その後悔が、今も鋭い爪で心臓をかきむしるかのように残っている。


 歩はそんな自分から逃げるようにそっと運動場から視線を逸らすと、意味もなくポケットからスマホという言い訳を取り出す。


べつにやる事がなくても、意識を逸らせることができるアイテムは便利なようで、ほんとは悪影響なのだろう。そんなことを思いながらも画面をタップして、自嘲じみにため息をつく。


「そういえば真一くんに誘われたんだけど、今度の日曜日にバーベキューやるらしいよ。歩も来るの?」


 不意に話し始めた椿の言葉に、歩の心臓がドクリと音を立てた。その表情が、一瞬固くなる。


「ああ……そういえば真一のやつ、そんなこと言ってたな。日曜なのか」


 歩はできるだけ声を抑え、いつも通りの口調で答えた。


「うん。私も行くって返事したんだけど、歩はどうするの?」

「俺は……」


 日曜日は、真那との約束の日だ。昨日の出来事が夢なんかじゃなく、本当に現実だったのかを知ることができる日。


喉の奥に用意された返事は決まっていたけれど、それをどんな声で伝えればいいのかわからない。歩は心を落ち着かせるように小さく咳払いすると、ゆっくりと口を開いた。


「その日はちょっと……無理だな」

「そっか」


 期待していた言葉とは違っていたのか、椿は少し寂しそうに返事をすると下を向いた。足元に落ちている落ち葉が、意思もなく流されるように風に飛ばされていく。それはまるで、たった一つの出来事で散り散りになっていく繋がりのように、あてもなく四方に散らばっていった。


「でも珍しいな。椿がそういうの参加するって」


 歩は、沈黙の間を埋めようと口を開いた。その言葉に、彼女は「うん」と静かに頷く。


「去年はお姉ちゃんのことがショックで、そういうの参加できてなかったから。でも、昨日の一周忌で、時間は確実に流れてるんだって思って……。たぶんお姉ちゃんがいたら、『学生生活に悔い残すなよ!』って怒られそうだよね」


 そう言って彼女は少し困ったような笑みを浮かべた。


「だから今年はできるだけ色んなことにチャレンジしようと思って。『あの時こうしておけばよかったな』って後から後悔するのは、お姉ちゃんがいなくなった時に散々思い知ったから」


 歩は、そう言って黙った椿の様子をちらりと伺った。彼女は自身の足取りを確かめるように、足元をじっと見ている。


自分よりも一回り小さなその足は、歩幅は違えど向かっているところは同じなのだろうか。


隣を歩く椿の姿を見ながら、歩はそんなことを胸の中で思った。


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