生命の源
手を駆動させる。翼を駆動させる。
酷使した脳細胞は張り巡らされた全身への管を行き渡り、電流と燃料をフルスロットルで回す。
救済粒子はやはり、一部欠けていた。浮遊石は太陽の高熱に耐え切れず作動が停止している。
やはり、万能の物質などなかったのか。そんな完璧への疑念を抑える。
両義手の空何砲から冷却水を一定の間隔で満遍なくあてがいながら、フレームの一部分からゴフェルを取り出し、分解、改造していく。
破損した箇所へ押しやる。緻密な接合を腰にセットしてあったドリアーラとVVドライバーで作業していく。
もちろん両手はふさがっているため、腰に接続されていた触手を使って作業している。
脚裏からは絶えず蒸気が噴き出し、熱源は悲鳴をあげる。太陽熱に直にさらされながらも温度を保っていられるのは、熱遮断作用すらも含む救済粒子の繊維で編み込まれたセーラー服を着ているからだろう。
翼は絶えることなく躍動し、高度を保つ。どの機関も少しでも脳細胞からの操作を誤れば、直ぐさま墜落してしまうだろう。
――”極限”。
今、私が晒されているのはまさにその状況であった。
先の見えぬ暗闇。”もしも”の消極的な予期が稼働する機関の精度を鈍らせる。
舟を造るとはこういうことだったのだろうか。
ジイが、言ってた意味がようやくわかった気がする。完成の見えない悪夢は、絶えることなく深淵から魔手を注ぎ込む。
方舟が徐々に減速しているのが分かる。このままでは前舟との連結ができない。
そうなればこの方舟は一隻。孤立し放置され、太陽爆発から逃れることなく人類20万人ともども滅びることになるだろう。
「……っま、別に私はそれでもいいんだけど、さっ!」
そう奮起しながら、自らの仮定に反発しながら、フルエンジンで駆動させる。
視界端の【error】の文字は消えない。
ふと、一つ昔のことを思い返す。
確か、そうだ。もう10年前くらいのことになろうか。10隻目の舟の完成が見えた頃。人類の地球脱出が確実になった頃。
私たち方舟施工技師団は誓ったのだ。人類とともに脱出し、新たな生活をこの22機で送るのだと。
2機は、破棄されたが、まだあの時の誓いは消え去っていない。
そうだ、私たちも”人類”の一員だ。
生き残る権利がある。例え2000年以上舟造りに酷使され、人間と隔離されようが。
どんな人間たちよりも、人間らしく生きた――。
やり甲斐を感じたのだ。生き甲斐を感じたのだ。
生まれてきた意味はあったのだと。人類を救うために生まれてきたのだと。私は信じていたが、間違っていなかった。
だから、こんなところで終わらせるわけにはいかない。
ジイたち方舟の創り手の2000年の悲願が、こんな瑣末なことで潰えては行けない。
その一言が、私の筋電義身官の動きを。
より速く、より正確に、より能率よく、より強固に――。
調整者としての精一杯を。20年間、機械仕掛けの身体で成してきたその全てを。
【error】の点滅が絶えない中、一つ。
「――足りない」
どうしても破損した部分を補うことができない。
ダメだ、全て地球へ落ちた。
ならばどうする。今から甲板に戻るか。
だが、そのタイムロスは多大すぎる。後戻り出来ないところまできてしまった。
何か、ないのか。
衝動的に、筋電義身官の脚部分を強制的に接続解除しようとしたが、その際の脳細胞が起こすであろう負荷に機体が耐えられないと判断する。ただでさえ、全機器への供給量は不足しているのだ。
だが――。
「諦め、られるか!」
最期まで。諦めない。
その、強い意志は、魂は――っ。
その時、私の全身を貫いた超過電撃が、無造作に片義手の冷却を停止し、腰へと伸ばした。
そして、手に掴んだものは、”カタナ”
何故思いつかなかった。手放すのが惜しいからか?いや――。
私の、一部だからだ。
仲間からのたった一つの贈り物は。
だけど、この舟も――。
「――私の、一部。積み上げてきた方舟の創り手たちの遍歴全てが詰まっている……、染み込んでいるんだ、この方舟に!
これが、最後の歯車になる」
繊細な集中力で緻密な構造分解を、通常設定された速度の倍で行っていく。
取り出した原石の断片で、切り裂いたセーラー服から救済粒子の繊維を練り込ませる。
そして、”溶接”
欠けていたピースを一つずつ合わせていく。確実に、以前と同じように。
接合と同時に発生した大量の摩擦熱がこの場一体の空気熱を上昇させていく。
視界は消える。
だが――、この腕に染み込んだ技術と第六感が寸分の違いなく接合させる。
そして。
【error】の文字が消えた。
だが、予定されていた時間へのロスは否めない。喜ぶのは、まだ早い。
間に合わせるためには、どうすればいいか。
限界寸前の脳細胞が弾き出した答えは。
――押すっ。
両手を装甲につけ、脚下の噴射口から加速熱を全開で稼働させる。
グ……。と、200t:nの重量を持つ舟一隻を、僅か150k:gの私が押したところで、何も変わりはしないだろう。だけど。
このまま、帰るわけには行かない。
大気圏までもう少し、それまで、押し続ける。
そうしてひたすら押していると、ふと上空から何かの滑空音が聞こえた。
そして、次の瞬間。
全く手応えのなかった巨体が……、浮いた。
「マナっ、いつまで一人でやってんだ!!」
聴膜を震わせたのは、聞き慣れたロイトの声だった。
その隣には、他の仲間たちもいる。
――「どうして来たんだ!?」
……なんて、愚問だ。
「遅いぞ、みんな!!」
「悪いな、浮翔扇体の接合に手間取った。それより、errorはどうなった」
「何とかなった。ロイトのカタナのおかげだ」
「はっ、そいつぁ良かった。何よりだ。でもマナ、お前上半身はだけてんぞ」
「それがどうした?全て使い切った」
「ったく、年頃の女の子ってのはな。上半身を覆うものがなかったら、恥ずかしがるんだよ!」
笑いながら、ロイトの浮翔扇体もフル稼働する。目に見てわかる。このままでは完全に超過熱してしまう。
「みんなっ、そのままじゃ、甲板へ戻るための燃料が!」
「こっちに飛び降りた時点で、最初から生還なんて眼中にねぇよ!」
「ロイトの言う通りじゃ」
「……ジイ!」
「済まんの。遅くなってしもうて。何せ、屑鉄のより集めで急遽こしらえたんでな」
その一言に私は驚愕した。たったの10分で、ゼロの状態から19機の浮翔扇体を造ったというのか?
それが、どれだけ凄まじいことなのか。私がやっていた修理など取るに足らない。
よく見れば19機全ての浮翔扇体は一つとして同じものはない。
みな、記念になどと言いながら大量の残り物を持ってきていたが。ジイはその全てを余すことなく代用し、創り上げた。
2000年――。
その年暦で蓄積し続けた研鑽全てが、ジイの最後の集大成だとでもいうのか。
だとしたら。
「敵わない、な」
「ほっほ。老獪の手腕。舐めるでないぞ。
さあ、皆の者!最後の仕事じゃ!!タイムロス27秒。全機、全開稼働で間に合わせぇぃ!」
生き残った方舟施工技師団の方舟の創り手20機は、筋電義身官を廻す。
巨体は――ノアの方舟は、少しずつ。だが、確実に。
速度を取り戻し、加速していく。
「あと少し!」
「こんなところで諦めるようなら方舟の創り手はつとまらねぇぞ!!」
「2000年にわたって受け継がれてきたワシらの魂、とくと見せよ!!」
私一人では、とうてい無理だった。
こんなにも、家族が心強いなんて。
最後に造られた、家族の末裔。育ての親にも当たるみんなは、生きて還れる可能性は0%であるにも関わらず。
これ以上ないほど活き活きとした表情で舟を押す。
「ほんっと、馬鹿ばっかりだ。この家族は――」
「当たり前だろーが、娘一人にやらせられるわけねぇだろ。それにな、俺たちゃ全員――」
「「――ただの親バカどもさっ!!」」
全員が、声を合わせて叫んだ。その、一言に溢れ出した感情を精一杯抑えながら、私は舟を押した。
轟々と鳴り響く、巨体の進撃音。
堂々と魂ま消る、仲間の奮起音。
次々と壊れ散る、身体の構成器。
もう、身体に何が残っているのかさえ分からない。
目まぐるしく変わる景色。だが、目の前にあるのは先の見えない暗闇ではなく。
一筋の、光だった。
そして――。
光が暗闇に変わる。
――抜けたのだ。太陽の光に覆われた地球から。大気圏から。広大な宇宙へと。
その景色を見て、心臓の拍動が一度止まり、再び急激にに高まっていく。
転々と散りばめられた数億もの惑星と、形容できないほどの光と微粒子が織りなし産み出す星雲が、これでもかというほど、視界を包み込む。ついに、星を見たのだ――。
皆、一様にして言葉を奪われた。
そして、その中。ロイトが、呟いた。
「……やっ、た。終わっ、たんだ……。俺たちの最後の――」
言葉を言い終わる前に、事切れる。そうして、ゆっくりと押し続けた方舟からその手を離す。次の瞬間、ロイトは両腕を大きく広げ、誇らしげな顔で地球へ落ちていった。
次々と方舟から剥落していくノアクラスタたちは、皆清々しい誇らしげな表情で落ちていく。
これで、良かったのだと言わんばかりに。
「――マナ」
「――なに」
ジイの”姿”は、そこにはなかった。筋電義身官はなく、脳細胞もない。
だが、確かに”姿”は残っていた。
「ワシは、やり切れたのじゃろうか。2000年間、沢山の同胞の屑鉄を踏み越えて、あいつたちの分まで――」
「やり切れたよ。ジイがいなかったら、ここまで造ることは出来なかった。ジイは方舟施工技師団全機の意志を、夢を受け継いでいるんだから」
「そうか……。それは、よかった。
……じゃあの。儂らが紡ぎ続けてきた最後の芽、”生命の源”よ――」
そして、ジイの姿は、ゆっくりと宇宙へ消えていった。
私も、終わりか。
超電磁力で前舟と連結した最後の方舟は、人類20万人を乗せ静かに新惑星へ向けて進む。
乗せ忘れたノアクラスタ20機のことなど、意に会する風もなく。
私は、ノアの方舟から手を離した。
そして、振り向く。
そこには、私が45年間。人類が1億年――。いや、もっと多くの年月、生きてきた地球が見えた。
私は徐ろに左目を覆っていた外衝断界布を取り外す。
静謐に見開いた肉眼は、久々の光の洗礼を受け、眩む。
鮮明だった。初めて肉眼で見る、地球は。
「――綺麗、だなあ」
その一言だけで、充分だった。それが、私の感じた、全て。
すると、何かが頬を伝い、宇宙へと落ちていく。
――ああ、これが涙か。
人間だ。これは、ヒトの証だ。
そうして最後の役目を終えた肉眼は、宇宙の真空に耐え切れず、劣化していき……、灰になって消えた。
だけど、充分だ。
翼も刀も、仲間を失っても。
それでも、私は――。
「……私は、最後まで生きた!!」
人の紛い物、人に造られた機械は。
その背に付けた黄金の翼を持って自由を夢に飛び出した。
高く飛んだその翼は、ついに太陽の熱で翼が溶けてこわれ、墜落した。
――地球へ落ちていく少女”マナ”は、頭皮に付随させた黒髪を後ろで束ね。”女の子”として生きるためのセーラー服を纏い。地球の姿を最後に観るため、肉眼を外衝断界布で護り。仲間にもらったニ振りのカタナを腰に帯び、大空を飛び回る天使の翼を付けていた――。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
私は、ずっとそれを視ていた。
何を媒介にして観ていたのか分からない。
だけど、失われたはずの自我はまだこうしてある。
瞳はない。何に憑依して見ているのか分からない。
何も感じない、何も聞こえない。
だけど、その瞬間を、私はずっと視ていた。
まるで、神様が見ている視界を私が覗き見しているようだった。
そして、宇宙はその時を迎えた――。
――地球に幽閉され続けた人類は、遂に。
ノアの方舟をつくり、脱出した……、はずだった。
だが、人間は余りにも高く飛びすぎた。ずっと地球に留まっていればよかったものを。
これは欲望にまみれ、堕落しきった人間への。神からの天罰であったのかもしれない――。
地球に恩恵を与え続けた”生命の源”は、遂に。約50億年もの寿命を終え、超新星爆発を引き起こした。
付近一帯の――、地球を含む全ての惑星は瞬く間に消滅し、広がり続ける太陽爆発は太陽系――否。銀河系全て、隅々まで余す事なく行き渡り、そこにある物全てを無へ返した。
核融合反応の末に起こった銀河規模の超新星爆発は、人間が想定していた規模を遥かに超えた。
そして、人類は――――。
――「Noah:Ikaros」完――
着想、参考文献。
旧約聖書、『ノアの方舟』
ギリシャ神話、『イカロスの翼』
ということで「Noah:Ikaros」でした。いかがだったでしょうか?
スランプ脱却にはとにかく作品を完成させることっ。と、色んなところで見聞きしたので、こうして完結できて一息つけました。
こうして「メダリオンハーツ」を除く初の連載作品を書いたわけですが本当にゼロからのスタートで云々。(長くなるので割愛
今回は大橋なずな様の”このイラストで小説書いてみた企画”に参加させていただきまして、いろいろ学ぶ事がありました。目の届くところか分かりませんが感謝の言葉をっ。
またひょっこり小説上げるかもしれませんっ。