04
痛い。体のあっちこっちが痛い。
よく見ると、体には無数の傷があった。逃げる際にいろいろなところを通ったのを覚えている。
「もうこの剣は使えませんね」
真っ二つになった寂れた剣を拾い上げ、ため息を吐いた。
ため息を吐きたいのはこっちだ、と無性にそう言いたい。言いたいけど疲れた。体力的にも精神的にも疲れたのだ。休息が欲しい。
それに傷の手当てもしたい。足に出来た一番ひどい傷口をジッと見つめる。見つめたら治るとかはないけど、気になるだけだ。
「おや、いろんなところに傷が出来てますね」
私の傷を上から見下ろしてそこにあることをただ呟いたという感じだ。心配も何もない。
別に心配されたいというわけではない、ただ腹立たしいということだ。
レオンは地面に肘を付いて、座っている私の足にそっと手をかざした。触れられるのではないかと思って体が硬直した。その一瞬の硬直を彼は見逃すはずもなかった。
「せっかく治して差し上げようと思ったのですけど…やっぱり止めますね」
「……いっ、あっぁ」
傷口をレオンは指でぐりぐりとする。血が出ていることも気にせずに素手で傷口を触りだした。
足に激痛が走る。体を強く抱き締め、唇を噛み、痛みを堪えた。
この感覚が痛みに悶えるというのだろうか。永遠に知らなくていいものだった。
「やっ、め…あっぅ」
痛い。痛すぎて意識が飛びそうだ。それでも意識が飛ばないように必死で堪える。
どうなっているか気になり、傷口を見ると血が溢れ出ている。ただその血を見つめるレオンの瞳は酷く綺麗だった。
「このぐらいで止めといてあげましょう」
「はぁ…っ」
傷口から指が離れる。指に付着した血を舌で舐めとった。
レオンは何をしているのか分からなかった。自分の指を舐めて何をしているのか。
呼吸を整えながらレオンを見つめるが、彼は私の視線なんか全く気にしていない。
「なるほど、だから貴女なのですか。貴女の血は魔族や魔物が好みそうな味ですからね」
「…このみ?」
「えぇ、好みそうです。奴らにしてみたら極上ということですよ」
だから血を舐めたというのか。だから傷口を広げたというのか。
それを確かめるために私は痛い目にあったのか。そんな情報は別に必要ではない。
振り絞った力で睨み付ける。この男に会ってから睨み付けるのが日常になりそうだ。
「別に知りたくもなかった…」
「そうですか?」
「自分の血が何だというのよ」
「魔族に狙われますよ。血が極上なので」
それさえも知りたくなかった。知ってもどうも出来ないのなら知らない方が良かったと思う。
それに魔物は何となく分かる気がするが、魔族も血を飲むのか。それも衝撃的だ。特に好き好んで知ろうとは思わなかった。
私の考えていることなんかどうでもいいというようにレオンは血が出ている傷口に手をかざす。呪文のようなものを呟いたと思ったら、傷口が綺麗に消えていた。
「あ……ありがとう」
「いえ、魔族や魔物が匂いに引き寄せられても困りますので」
「……貴方は人を心配する気持ちが足りないと思うんだけど」
「心配されたいのですか?」
「別に今更されても嬉しくない」
ふふっと笑みをこぼし、レオンは立ち上がった。服に付いた土を叩き、きっちりと服装の乱れを直す。
私も立ち上がろうとするが、どうやら腰が抜けたようで立ち上がれない。それをレオンに悟られないように普通に振る舞う。
だが、レオンは敏い男だ。腰が抜けていることを見抜いていて、私の腕を引っ張り上げ、無理やり立たせる。座り込ませないように腰に腕を回した。
「離して」
「嫌です。貴女がいつまでもそこに座っていると僕までここにいなければならないではありませんか」
「分かったから、貴方に掴まっているから変な触り方しないで」
「変な触り方って何ですか?」
変な触り方は変な触り方だー!とつっこみを入れたくなった。
腰に回している手が私のお腹を撫でている。その度に体がビクッと跳ねた。それをレオンは楽しんでいるみたいだ。
お腹を撫でている手を叩くと、体を支えているものがなくなりバランスが崩れる。地面に倒れると思ったが寸前のところでレオンが私の体を支えた。
ホッと息を吐き、また顔から地面に倒れ込まないで良かった。お礼を言おうとレオンを見る。彼は呆れた表情をしていた。
「貴女様は馬鹿ですね、わざわざ自分から地面に倒れて。そんなに地面がお好きなのですか」
「自分でもさっきのは馬鹿だと思ったの!でも貴方があんな触り方しなかったら、私も」
「あんな触り方ってどんな触り方ですか?」
「もうっ、いい!」
さっきのことで討論をしてもレオンは反省しないと分かっているので意味がない。私が怒鳴って疲れる意味もない。
この世界に来てから怒鳴ってしかいない気がする。それに最初は敬語を使っていたが、いつの間にかそれも取れていた。
何だかレオンのことが気になり、盗み見る形で彼を見る。だが、彼は私を見つめながら微笑んでいた。
「最悪…」
「どうしてですか?」
その問い掛けには答えなかった。いや、答えられなかったんだ。自分でもなんであの言葉が出たのか分からないからだ。
視線をレオンから外し、辺りを見渡す。
自然の中にある神殿みたいなところは神聖だと思った。それに森も美しい。
ふと目に留まったのはいくつもある森の入り口の一つだ。そこだけ異様に人が通ってないような感じだ。
他の森の入り口は道が綺麗に出来ているのに対して、そこだけ草や木が立派に生えている。まるでそこに道があるのを隠しているようだ。
「あそこ…」
「あぁ、分かりましたか。あそこの入り口からは絶対に森に入らないで下さいね?」
「どうして?」
「探せなくなります」
脳内まで響く低い声でレオンは呟いた。
透き通るほど綺麗な蒼の瞳は隠された森の入り口を睨み付けている。まるで親の敵だというように。
ぶるりと震える冷気がレオンから漏れている気がして、私は恐怖で腰に回っている彼の腕の袖をギュッと掴む。心配で彼を見上げる。
私の視線に気付いたレオンは素早くさっきまでの怖い印象を隠し、顔に笑みを張り付けた。
「死にたくなかったら、あそこからは森に入らないで下さいね?」
「……うん」
「いい子です」
よしよしと腰に回してない方の手で私の頭を撫でる。いつもの私なら誰にでもそうされたら手を叩くが、今はただレオンを見つめ続けるだけだった。
「もう行きましょうか」
レオンがその場から動くと自然に私も動くことになる。その動く一瞬に彼が隠された入り口に向けて何かを囁くように口を動かしたことを私は見てしまった。
長い廊下を歩き、広すぎる部屋に辿り着いた。一人では絶対に部屋には辿り着けないと心から思うぐらい廊下が同じ造りだった。
「一人で廊下は歩けないと思う」
「では、常に僕と行動をともにすればいいのですよ」
「それもいや」
「我が儘な方ですね」
ふぅ、やれやれというようにレオンは首を振る。
我が儘だっていいじゃないか。私は何を言われようとレオンと常に一緒に行動なんか無理だ。
呆れた表情をしているレオンのお腹を目掛けて拳を入れる。殴られると分かっていたのにレオンは私の拳を避けなかった。
「非力ですね。それでは死にますよ?」
「うるさい、言われなくても分かってるの!」
「そうですか。それなら良いのですが…」
レオンのお腹は思ったより硬く、よく鍛えられていることが分かる。それに比べたら、私の拳は豆腐みたいな柔らかさだろう。
ジッと自分の手を見つめていると何を思ったのか、レオンは私の手を取る。大きい手が指が私の手をぷにぷにと触りだした。
「小さくて柔らかいですね」
「なにが言いたいのよ!」
「戦いには向かない手だと思っただけです。傷一つない綺麗な手ですね」
「別に、綺麗じゃないけど…」
ぷにぷにと肌の感触を確かめたり、指で形を確かめるようになぞる。
くすぐったくて手をレオンの手から抜け出そうとするが、離れない。仕方ないのでされるがままになっていた。
綺麗な手だとレオンは言ったが私はそうは思わない。私は日々の家事やバイト先が飲食店だったので皿洗いなどの水を使う作業が主だった。手は荒れてばっかりいた。
「いえ、綺麗ですよ。誰の血で穢れたわけではない、凄く綺麗な手です。僕には信じられないぐらい…」
「そんなことないと思うんだけど…貴方も私から見れば素敵な手をしてる」
私の言葉にレオンは珍しく目を丸くした。こんな顔も出来るんだと感心していたら、すぐに彼はただ口角を上げるだけの笑みを浮かべた。
「素敵、なんですか」
「……なによ」
「いえ、勇者様にそう言われて嬉しいものなのですね」
ふふっと笑い声を上げながら、私の手を未だに触っている。何度も感触を確かめる触り方は本当にくすぐったい。
止めて、と睨み付けるがレオンは何を勘違いしたのか、私の手の甲を自分の口元に持ってくる。そのままチュッとわざとらしくリップ音を付けて、唇を押し当てた。
「なっ、離して!」
「えぇ、もういいですよ」
「最低で最悪で失礼男!」
「そうですね。自覚しています」
妖艶に微笑むレオンを私はただ熱くなった顔で睨み付けるのだった。