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03

「信じて貰えましたか?」


 その問い掛けに私は答える声の出し方を忘れてしまった。

 ここはどこなのか。私はどこに来てしまったのか。もう帰れないのか。あの世界に、私が存在していた世界に。


「いや、帰して…元の世界に帰してくださいっ」


 自称レオンに、いやもう自称ではないのだろう。ここは日本ではないのだからこの名前は珍しくない。

 レオンの胸元の服を掴み、何度も訴える。帰して、と。


「無理です。何度言わせれば分かるのですか?もう貴女は帰れないのですよ」

「…いやっ、勝手に連れてきて、何が帰せないよ!」

「そうですね。貴女に利点はない、この世界を救っても救わなくても貴女には利点がないです」


 何を言い出すのか。利点とかそんなのどうでもいい。私はとにかく帰りたいんだ。

 キッとレオンを睨み付けるが、彼は全く動じてない。逆に楽しそうに目を細めた。


「ですが、今はもう貴女はこの世界に存在しています。この世界を救う価値はありますよね?」

「あるわけない…私は貴方が言うような勇者とかじゃないし、普通の高校生だったんだから!」

「いいえ、貴女は勇者です。貴女様は勇者様なのですよ」


 聞き分けのない子どもに呆れたようにレオンはため息を吐く。そんな仕草が癪に障る。

 私は好きでこの世界に来たんじゃない。この人が私を呼んだんだ。なのに勇者を演じろと?それは無理な話だ。何の力もない私が演じられるわけがない。


「いいのですよ、普通で。勇者さえ演じて下されば、僕自身は貴女に何も求めてないですから」

「……っ」

「貴女は非力です。儚くて、脆くて、何も出来ないのです」


 体が一歩も動けない。いや、動かされなかった。

 レオンは己の腰に差していた剣を鞘から抜き取り、その剣をあろうことか私に向けた。笑顔を張り付けたまま、冷たい剣先を私の首に添える。

 下手に一歩でも動けば首が斬れてしまう。緊張で汗が噴き出る。

 恐怖でガクガクと体が震えないように必死に体を抑えつけた。


「ほら、ここを斬れば貴女は簡単に死ねるのですよ。そんな貴女に期待する方が間違っていると思いませんか?」

「…‥ぁ、っ」


 怖い、怖い。この目の前でにっこりと顔に笑顔を張り付けている男が怖い。

 未だに首から離れない剣先が更に恐怖を募らせる。体の震えが大きくなり、ギュッと自分自身を抱き締めた。


「動いたら斬れちゃいますよ?」

「……ぁ、ならそれ離して!」


 力を振り絞って睨み付けるが、体は正直なので震えていた。それをレオンは楽しそうに見つめる。

 首に添えてある冷たかった剣が私の体温を奪い、生ぬるくなってきた。


「もういや…きらい、貴方なんか大っきらい!」

「ふふっ、嫌われましたか。いいですけどね」


 やっと首から剣を離し、レオンは鞘に納める。顔は未だに笑みを張り付かせたままだ。

 この男は信用ならない。この世界が異世界だとは信じるが、他は信じられない。こんな男が信じられるわけがない。

 私が勇者だと言ったが、そのこと自体はどうでもいいという顔をしている。もしも私が暴れて剣で首を斬ったとしてもレオンは笑うだけだろう。笑って「だから暴れないで下さいと言ったじゃないですか」と死体に向かって言っていたことだろう。


「まだ震えているのですか?」

「……いやっ、触んないで」


 手を伸ばして触れようとしてきたので、その手を寸前のところで避ける。

 震えが治まらない私を見て肩をすくめた。めんどくさいと言いたげな瞳で私を見つめる。

 めんどくさいならほったらかしてくれたらいい。そうすれば自然に震えも治まる。


「貴女がいくら僕を嫌おうと勝手ですが、貴女は毎日のように僕の顔を見なければいけませんよ。嫌わない方がいいのではありませんか?」

「…勝手なことを言わないで、私は貴方の言いなりになったりしない」

「そうですか」


 レオンは常に微笑んでいる。自分が正しいと信じているんだ。自分に絶対の自信があるんだ。

 私は剣も魔法も使えない。彼に勝てるわけがない。だけど言いなりになるのは自分で自分が許せない。

 すぅ、はぁと大きく息を吸って吐き出した。自然の空気を脳に取り入れ、興奮した状態も落ち着く。震えもない。


「いいでしょう。貴女となら楽しめそうです」

「…なっ」


 どっからか取り出してきた寂れた剣をレオンは私の方へと放り投げた。

 当たりそうで危ないと思ったが、空中で剣が下を向く。ザクッと剣は私の足元の地面に突き刺さった。

 鞘にも納まってない抜き身の寂れた剣はすぐにでも折れそうだ。


「剣を取りなさい。僕が貴女にこの世界で生きる術を教えましょう。貴女が生きていけるように」


 剣を取れ、そうレオンは言う。私は剣を使ったことがない、持ったことさえないんだ。無茶なことを言う。

 剣とレオンを交互に見る。やっぱりレオンは何を考えているか分からない。


「だから、貴女は死ぬのです」

「……ぃっ」


 時が止まったのかと思うほど、レオンの動きは早かった。たったまばたきを一回する時間だけで空いていた距離を詰めた。

 ゴクリと唾を飲み込み、自身の胸を見下ろす。心臓があるところにレオンの剣先が当たっていた。少しだけだが服も破れてる。


「このまま僕が剣を突き刺したら貴女は死ぬでしょう。そうならないためにも剣を取りなさい」

「……っ、取ればいいんでしょ!」

「そうです。取ればいいのですよ」


 胸から剣が下ろされる。

 ふぅと息を吐き、震えそうになる体を叱咤する。ここで震えでもしたら、今度こそ目の前にいる男から殺されそうだ。それだけは嫌だ。死にたくない。


「まだ、貴方に殺されたくない」


 地面に刺さった剣の柄を持つ。重いと思って勢いよく引っ張った。

 力を入れないと抜けないと思っていた剣は案外あっさりと地面から抜け、私は力の入れすぎで小さく悲鳴をこぼして地面に尻餅を付いた。

 バッと顔を上げ、レオンを見上げる。剣を鞘に納めた彼は口元を手で隠し、ぷるぷると震えていた。

 微かに聞こえる笑い声に私は持っていた剣を投げつけた。それを軽々しく手でキャッチする。


「まさか、ここまで貴女が盛大に転けてくれるとは思ってもみませんでした」

「最低、ほんと最低!」

「よく言われます」

「言われない方がおかしいのよ!」


 私が投げた寂れた剣を手で遊びながら、レオンはいいことを思い付いたというような顔を表に出した。

 ゾクッと鳥肌が立つ。何か嫌な予感しかしない。

 蔓延の笑みでレオンは手に持っていた剣によく分からない言葉を呟き、くるくると回す。「まぁ、いいでしょう」と呟きながら、私を見る。


「では、今から鬼ごっこをしましょうか。貴女は鬼から逃げます。鬼はこの剣ですよ。因みに、時間内に鬼から追い付かれたら…」

「追い付かれたら…?」

「死にます」


 さもそれが当たり前だというようにさらりと言った。

 何かをつっこむ前にレオンは数を数え始めた。多分、10になったら手に持っている剣を投げるのだろう。

 推測だが、剣には魔法がかけられている。それは私を追っかけるという魔法だと思う。

 だから、私がすることは逃げることだ。レオンは時間内と言った時間内まで逃げ切れば大丈夫なのだ。



 何時間走り続けたのだろうか。いつまで経っても終わりの時間にはならない。

 いや、何時間じゃない。まだ始まってから数分しか経ってない。


「は、はぁ…はぁ……」


 息は切れ、全身から滝のように汗が噴き出ている。喉は焼け、水分を補給しろと体が訴えている。

 意味がないと分かっていても袖で目に入らないように汗を拭う。拭うが拭えていない。

 それでも走り続けるのは鬼に追い付かれたら駄目だからだ。


「……っ、はぁ」


 後ろを振り返って鬼がどこまで追っかけているのか見たいが、見たらいけない。もしもすぐ目の前にあったのなら恐怖で足がすくみそうだった。


「はぁ……あっ」


 地面の窪みにつま先が引っかかり、顔から地面に転けてしまう。

 私は反射的に地面に手を付きながら後ろを振り返る。鬼はすぐそこまで追い付いてきていた。


「いやぁぁぁあ」


 ギュッと目を瞑り、体が受ける衝撃を予想した。それは凄く恐ろしいものだと思う。恐ろしくて体が裂けるぐらいの衝撃だろうと。

 閉ざされた暗い世界に金属音が響いた。来るはずだった衝撃は来ない。


「あ、ぁぁ…」


 恐る恐る目を開けると、広い大きな背中が目の前に見える。近くの地面に寂れた剣が真っ二つに折れていて、目の前の彼が剣を持っていた。

 きっと私を追っていた剣を折ったのだろう。


「鈍くさい方ですね、それでは勇者なんて務まりませんよ。まず体力が備わってない…口だけが達者なのですか」


 剣を鞘に納めながら、彼ーーレオンは振り返る。その顔には、はっきりと呆れが表れていた。

 息がまだ切れている私はレオンに小言が言えず、代わりに思いっきり睨み付ける。そうすれば、彼はにこやかに微笑んだ。


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