8、公爵令嬢はアジサイを見る
――六月も終わる頃
「まぁ……」
公爵令嬢は気づいたようだ。
東屋に入る前に、傍のアジサイの方へと向かう。
「綺麗な青……ですのね」
ピンク色の傘がクルクルと回っているのは、彼女が回しているのだろう。感情が動作に直結している。
「あら、紫もありますわ。うちの庭園のアジサイはピンクですのに」
「……徹底しているな」
「え?」
「いや、なんでもない」
「でも、わたくしこの青と紫の方が好きですわ」
東屋に入ってきた公爵令嬢は、とんとんと傘の雫を落とす。
ピンクブロンドの髪の先が少しだけ雨に濡れていた。
「その話はあまり言わない方がいいと思う」
「どうしてですの?」
「庭師が苦労する」
「……気をつけますわ」
公爵令嬢はだいぶ物分かりが良くなった。
自分の一言が発する威力に対して自覚が出てきたのだろう。
今も一瞬だけ顔を青ざめさせた。それがなんだか申し訳なく思う。
「言い方を考えればいいんじゃないか?」
「……言い方……たとえば?」
「そうだなぁ……」
「あ、わたくし青も好きですわ……ううん、それでも青いアジサイを増やされてしまいそうですわ」
「まぁ、そうだな」
「じゃあ庭師さんに、こっそりと、植えたいなと思ったら植えてくださいっていうのはどうでしょう?」
きらきらとピンクローズの瞳が輝く。
絶対に逆効果だとアリステアは思った。
「……やめとけ」
「え?名案だと思ったのですけど?」
「庭師が張り切りそうだ」
「……難しいですわ」
「そうだな」
(……甘やかされるってのも大変だな)
筆頭公爵令嬢として生まれついて、周りが男だらけのせいで、一挙手一投足が可愛がられ、叶えられ。
発言のすべてが影響する。
「ここでは好きに喋ればいい」
「……そうですわね。アリスさんは無理はなさらないですもんね」
ふわりと彼女が微笑む。
それを見ながら、ふと自分は無理をしていないのか?という疑問が浮かぶ。
面倒なことは嫌いなはずなのに、ここまで関わっているのは無理ではないのか?
(……いや、だが彼女の言う通り、無理なら断っている)
そもそも最初に断った。
つまり、この程度は無理ではないということだ。
「まぁ、そうなるな」
そう返せば、ふふとまた嬉しそうに彼女は笑った。
何がそんなに嬉しいのか分からないが、まぁ笑っているのだからよしとする。
それより。
「時間がないのだから余計なことを喋ってる暇はないぞ」
「はい、アリス先生」
なんだそれは、と思うも、間違いでもないので否定はしない。
ただ妙にむず痒かった。
* * *
その日の夜。
クラリッサは自室で勉強をしていた。
ペンを持つ指が痛くなり、手を止める。
手をぶらぶらとさせていると、視界の隅にアジサイが映った。
サイドテーブルにピンクのアジサイが飾られている。
クラリッサは髪色のせいか、ピンク色の物を贈られることが多い。
可愛らしい色だしとても気に入っている。
(……でも、東屋のアジサイもとてもきれいでしたわ)
少し暗い東屋の、その静かな空気に馴染むような淡い青と、紫色。
やさしいその光景がとても心地よかった。
(青いアジサイは、なんだかアリスさんのようでしたわ)
物静かで余計なことは喋らない。
教える時だって、トントンと教科書の必要な箇所を提示するだけで、言葉を発するのは最低限。
それでもちゃんとやさしくて。
アリスさんは、あのアジサイの青のようなやわらかさがある。
(わたくしは……紫色のアジサイのようになりたいですわ)
その近くで咲いていた紫色のやわらかで穏やかな空気。
ピンクの華やかで可愛らしいのも嫌いではないが、でもあの青の隣では紫色の方が合う気がする。
それに。
――青が酸性で、紫が弱酸性、ピンクはアルカリ性だな
アリスさんがちょっと難しく説明してくださった。
ピンクと青では相容れないのかもしれない。
それなら……
(あれ?わたくし何を考えていたのかしら?)
アリスさんの小難しい話のせいで、頭が混乱し始めた。
(……これはいけないわ)
――混乱した時は元に戻れ、戻れないなら、別のことをやれ
そうアリスさんに教わりましたわ。
(元……元……)
そう。アジサイが綺麗な話。
(ふふ、とっても綺麗でしたわ)
クラリッサの思考は、そこに落ち着いた。




