11、公爵令嬢は夏休みを憂う
はぁ……と向かいからため息が聞こえてきた。
「どこか分からないのか?」
ペンを持つ手が止まっているのでそう訊けば、公爵令嬢は頭を左右に振った。
「いえ……今のところは大丈夫なのですが……」
それからまたふぅと息を吐く。
何か気になっていることでもあるのだろうか?
だが、アリステアは踏み込んでもいいのか分からず、それ以上追及せずにいると。
「アリスさんは夏休みはどうされるんですの?」
「……領地に帰るが?」
「そうですわよね……」
また、はぁとため息を吐く。
もしかして勉強のことを心配しているのだろうか。とはいえ、たとえ領地に帰らなかったとしても、夏休みに公爵令嬢と会うのは避けたい。余計な火種を生みたくない。
「地理と歴史だけなら独学でも問題ないと思うし、数学と政治学は分からないところをまとめておいてくれれば、後期に……」
「いえ、それはいいんですの」
「……?」
ずいっと公爵令嬢がアリステアの方に近づいてきた。
「アリスさんのおかげで勉強の仕方もだいぶ分かってきましたし、図書館を利用するという選択肢も増えましたわ」
「……それなら?」
「でも、アリスさんはいらっしゃらないじゃないですか」
「……別に問題ないのでは?」
「……どうしてそういうことを仰るのでしょう」
ふぅと四度目のため息が、アリステアに向けて吐かれる。
「いいですか?お友達に会えなくなるのは寂しいじゃありませんか」
「……友達」
「え?……わたくしは学友だと思ってましたのに、違いますの?あ、先生?そうですわね。先生でしたわ」
一瞬寂しげな顔をしたかと思うと、すぐに切り替わって、勝手に納得している。
「でも、先生に会えなくなるのも……あれ?おかしいですわね。学園の先生方に会えなくても全然寂しくありませんわ」
不思議そうに首を傾げている。
そういう思考の展開は心の中だけでしてほしい。
アリステアは先ほどから妙にむず痒くてたまらない。
「とにかく!!」
長考が苦手な公爵令嬢はどうやら思考を自ら断ち切ったらしい。
「わたくしはアリスさんに会えなくなるのが寂しいのです」
「……そうですか」
「まぁ!!それだけですの?」
いや……他に何を言えと言うのか?
まさか同じように寂しいと返せと?口が裂けても言いたくない。
「たった一か月程度でしょう?」
「まぁ?一か月もですわ。ほぼ毎日お会いしていたのに……」
そこまで言って、公爵令嬢はポンと手を叩いた。
「そうですわ。毎日お会いしてるから、他の先生方とは違って寂しく感じるんですわ」
「……ご納得いただけて良かったです」
「もう……さっきからなんなんですの?嫌味な敬語ばかり」
「はぁ……いい加減にしてくれ」
そう返せば、なぜだかふわりと微笑まれた。
「ふふ、そうです。アリスさんは口が悪いのです」
「……そこで笑うのが理解できない」
「なぜです?アリスさんに冷たくされるよりは、優しくされたいじゃありませんか?」
「……いや、口が悪いんだから冷たいんだろう?」
公爵令嬢は、ふふと得意げに笑う。
「アリスさんは、口が悪い時ほど優しいんですのよ」
* * *
アリスさんは、黙ったまま。
さわさわと葉が掠れる音。
東屋はいつもと同じで静か。
ここでのお勉強はしばらくお預けとなる。
それを寂しいと口にしても、アリスさんは理解して下さらない。
それ自体が寂しい。
「領地に戻られて、どう過ごされますの?」
「……妹の子守り」
「妹さんがいらっしゃいましたの!?」
アリスさんのようなお兄様がいるなんて羨ましい妹さんだ。
「あぁ、とにかく煩い妹だ」
「まぁ酷いこと仰いますのね。妹さんおいくつなんです?」
「十二」
「ということは来年ぐらいから、プレお茶会デビューですのね」
「そうなるけど、アイツが淑女になれるとは思えない」
「酷いお兄様ですわ」
「帰ると飛びついてきて離れないんだぞ」
(……なにそれ、羨ましいですわ)
微笑ましいよりも、先にそう思ってしまった。
「わたくしも夏休み明けに飛びつこうかしら?」
「……何を言ってるんだ」
呆れたような顔をされた。
かなり本気でしたのに。
いえ……わたくしはアリスさんの妹ではありませんもの。淑女としてあるまじき態度ですわ。
「あ~寂しすぎます」
「……だから、一か月もすれば会えるだろう?」
「一か月も会えないんです。なんで分からないんですか!!」
「……」
むっと詰め寄れば、アリスさんの表情が動いた。
目元が見えないから正確には分からないけれど……
「あの……もしかして、困らせてます?」
「……そうだな」
「ああ!!わたくし、もしかしてまたわがままを!?」
どうしましょう。あれほどわがままは厳禁だって頑張ってますのに。
「……気にするな」
「ですが」
「……困ったけれど、別に嫌じゃない」
「え?困ったんですのよね?」
「……ああ」
「困っても嫌じゃないことってあるんですの?」
「……あるみたいだな」
はぁ~とアリスさんからため息が聞こえた。
とても長い、長い、ため息だった。
「あの?」
「……いいから、勉強しろ」
「あ、そうですわね」
アリスさんにノートを示される。
確かにあと少しでアリスさんに会えなくなってしまうんですから、今のうちに教わらなくてはいけない。それなのに時間を無駄にしてしまった。
(……でも、寂しいって言いたかったんですもの)
心の中に留めておこうとも思ったけれど。
でもそうすると、『寂しい』がずーっとたまっていって、ぐるぐるして、勉強が手につかなくなりそうだった。
だから、思い切ってアリスさんにぶつけたのだ。
ちらりとアリスさんを窺う。
テーブルに肘をついて、手の甲に額を当てている。
(そんなに困らせてしまったのかしら……)
どうしましょうと焦るも、また、トントンとアリスさんにノートを示される。
でも、このままでは落ち着かない。
「あの……っ!!」
「……」
「いい夏休みを過ごしましょうね!!」
クラリッサは言い切った。
寂しいというわがままは抑えて、アリスさんのことを考えて、そして何とか見つけた答えが、言葉がそれだった。
「……そうだな」
アリスさんの口の端が上がる。
どうやら正解だったらしい。
(……良かった)
クラリッサは安堵し、今度こそ意識をノートへと切り替えた。




