第1話 婚約破棄と断罪、そして合理性
断罪の場で、彼女が最初にしたのは検算でした。
追放された悪役令嬢が、辺境の帳簿を開き、
王都との経済戦に勝っていく話です。
武器は数字。
最後には、国家の作り方そのものを書き換えます。
「エリス・フォン・クラウゼン。貴様との婚約は、ここに破棄する」
王城の謁見の間。その中央で、王太子アルベルトは高らかに宣言した。周囲を取り囲むのは貴族たち。視線は好奇と嫌悪、そして期待――誰かが断罪される場を見物する、あの種類の期待だ。
私は一歩前に立ったまま、静かにその言葉を受け止める。動揺はない。声も出ない。ただ、頭の中で一つの結論が浮かんだ。
――論点が、ずれている。
「貴様は冷酷で、計算高く、他者を顧みない女だ」
「政務に口出しし、貴族の伝統を軽んじ、王家の威信を傷つけた」
「よって、悪役令嬢として断罪する!」
アルベルトは感情を昂らせ、まるで正義の使徒であるかのように言い放つ。だが、その内容は抽象的で、具体性に欠けていた。
私は反論しなかった。なぜなら、ここで声を荒げても意味がないからだ。
そもそも、私が行ってきたことは単純だ。赤字続きだった王都の予算を精査し、無駄な支出を削減し、帳簿を整理した。特定の貴族に流れていた補助金の偏りを指摘し、是正案を提出した。
王太子の側近が行っていた不透明な資金移動について、報告書をまとめただけ。
それらが「冷酷」と呼ばれるなら、私はそうなのだろう。だが、国家運営とは感情で行うものではない。
「エリス。何か言うことはないのか?」
アルベルトが、苛立ちを隠さずに問いかけてくる。私は一瞬だけ彼を見た。
かつて婚約者だった男。だが今、その目にあるのは、自分より有能な存在への恐れと怒りだけだ。
「……いいえ、特に」
そう答えると、謁見の間がざわついた。泣き叫ぶことを期待していたのだろう。弁明し、取りすがり、恥を晒す姿を。
「強がりか? それとも、ようやく己の罪を理解したか!」
「理解はしています」
私は静かに言った。
「ただし、それは“私の罪”ではありませんが」
空気が一瞬、凍りつく。だが、それ以上言葉を重ねることはしなかった。ここは、話し合いの場ではない。最初から結論は決まっている。
「よって、エリス・フォン・クラウゼンには追放処分を言い渡す!」
追放。その言葉に、貴族たちは満足そうに頷いた。
「行き先は辺境領クラウゼン。財産は没収。王都への立ち入りは禁止とする」
辺境領。王国の中でも最も貧しく、最も見捨てられた土地。
普通なら、人生の終わりを意味する宣告だ。だが――私は、内心で小さく息を吐いた。
なるほど。これは罰ではない。
左遷だ。
私は、王都で見てきたものを意識の底でなぞった。数字を読まずに声の大きさで決まっていく採決。補助金の行き先を尋ねただけで、隣の席が一つ分だけ遠くなること。報告書を出すたびに、廊下ですれ違う挨拶が短くなっていったこと。
ああ、よく知っている。こういう組織のやり方を。
「処分を受け入れます」
私がそう告げると、アルベルトは一瞬、拍子抜けした顔をした。想定していた反応と違ったのだろう。
「……潔い、ということにしておいてやろう」
その言葉を最後に、私は謁見の間を後にした。背後から向けられる視線には、もう興味がない。
廊下に出て、扉が閉まった瞬間。私はようやく、深く息を吸った。
感情は、驚くほど落ち着いている。むしろ、頭は冴えていた。
辺境領クラウゼン。人口減少、財政赤字、農地荒廃。資料で見た限り、問題は山積みだ。
だが――だからこそ。
「……再建しがいがあるわね」
誰に聞かせるでもなく、私は小さく呟いた。
王都では、合理性は嫌われる。だが、何もない場所なら話は別だ。
感情論も、貴族の面子も、くだらない伝統も。全部切り捨てられる。
追放された悪役令嬢で結構。必要とされるなら、私は何度でも嫌われ役を引き受けよう。
馬車の準備を告げる声が、遠くから聞こえた。
――さて。
次は、帳簿からだ。
そう考えた瞬間、胸の奥に、久しぶりの高揚が灯った。
追放の馬車の中で、彼女はもう次の計算を始めています。
――この断罪、少し痛快だったという方は、ブックマークを置いていってください。




