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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
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066話 Feat.ユリ

 川の音は、すぐ足元から聞こえていた。

 我は慎重に足場を選び、なだらかな川辺へと静かに降り立つ。

 そのまま、腕に抱えていたスレスを、足元の柔らかな草の上へと下ろした。


「今日は、随分と遠くまで来ましたね」


 スレスが言う。


「うむ。身体を清めたかったからな」


 日中、我らは数え切れぬほどのゴブリンを引き裂いてきた。

 血肉は肌や衣服に飛び散り、それらは、濡れ布で拭う程度では到底落ちぬ。

 シンやレイはローブや外套を身にまとっておるゆえ、汚れも目立たぬかもしれぬが、我はそうもいかぬ。

 我が身を包むこの深紅の衣は、服ではなく、我が血肉そのものであるゆえにな。


「え、ちょっ……」


 何やら戸惑いの声が聞こえたが、知らぬ。我はこの衣ごと、静かに川へと身を沈めた。夜の川は冷たかった。


「な、何してるんですか!?」


「スレスは気にせず、自らのことをやれい」


 何をそれほど驚いているのか、理解に苦しむ。周囲に敵の気配などないことは、彼女とて察していよう。

 我は身に纏った深紅の衣を解き、肌に染み付いた匂いと汚れを丹念に洗い落とした。


 やがて、スレスの視線を感じなくなった。

 水辺から彼女のいる方へと目を向ければ、彼女は何やら、小さく口を動かしているようであった。


 次の瞬間、火の手が上がった。

 彼女の目の前に、ふわりと、小さな焔が灯ったのだ。


 我は思わず目を見張り、身に何も纏っていないことも忘れたまま、その場で立ち上がってしまった。


「……魔法、使えたのか?」


 我が声をかけると、声をかけられるとは思っていなかったのか、スレスは肩をびくりと震わせた。


「あ、あの本に書いてあったんです。火属性の魔法の基礎で、生活に使うのに便利なものだから、使えるようにと……」


 本を読んだだけで、それが為せるというのであれば、人類種のすべてが魔法を用いていてもおかしくはなかろう。あくまで直感の域を出ぬが、彼女には、才があるのではあるまいか。


「そ、それより、そんな綺麗な身体をそのままにするのはダメです!

 服を着てください!」


 思わず声を上ずらせながら、スレスがそう言った。


「む? なんだ、気になるのか……」


 我は彼女の言葉に小さく首を傾げ、再び静かに水中へと身を沈めた。

 見られたところで、減るものでもなかろうに。スレスから視線を外し、我は再び川面へと目を向けた。


 ばしゃ。


 片腕だけを水中から引き上げると、滴が川面へと静かに落ちていった。


 ぱしゃ。


 脚先で水面を軽く叩く。本当に、ただ触れた程度のものだ。

 深い意味も、理由もない。ただ、少しばかり水に戯れてみたくなっただけのことだ。


 だが、それは当然ながら何も起こさぬ。

 強いて言えば、さざ波をひとつ立てただけであろう。


 それでは、さすがにすぐ飽きる。


「ユリ様?」


 水面の外から、スレスの声が届いた。

 見ると、彼女の手には、自身の背丈ほどもある長い木の枝が握られていた。


「終わったのか?」


「いえ。ただ、あまりにお暇そうだったので」


「否定はせんが、貴様は自らのことをしておればよかろう」


 そもそも、スレスが学んだ技術の実践のために、我らはこの夜の時間を設けている。

 我が暇を持て余しているのは、ある意味当然のことであろう。


「それは、そうなのですが……」


 スレスは、何やら言い淀むように視線を彷徨わせていた。


「何を迷っておる」


 気づいてしまった以上、声を掛けずにいるのは、我の性には合わぬ。


「あ、あの……っ!」


 スレスは我の方へ、思わず身を乗り出した。


「んぬ?」


「なぜ、ここまで目を掛けてくださるのですか!?」


 その瞳は、真っ直ぐに我を射抜いていた。

 どうやら、本気で不思議に思っているらしい。


「我も、かつてそうされたから、であろうな」


「でも、ユリ様はお強いでしょう? 私のように、何もできないわけではないのに……」


 言われてみれば、確かにその通りかもしれぬ。

 我は彼らに救われるよりも前から、神の一柱を屠れるほどの力を有していた。今もなお、それに大きな変化はない。


「だから、ずっと不思議で。なぜ、経験もないのに、匿うだけで面倒事が増える私なんかに、ここまで時間を割いてくださるのかなって……」


「それは、救ったつもりになりたくないから、であろうな」


 以前にも、似たようなことを言った気がする。あるいは、言葉にはせず、ただ心の内で思っただけだったかもしれぬ。

 だが、我は常々そう考えている。ただその場の困難を取り除いただけでは、自らの行いに責任を持ったとは言えぬだろう。それでは只の自己満足だ。


「でも、救ってくださいましたよね?」


 どうやら、彼女は我の言葉の意味を理解していないようであった。

 それはそれで構わぬ。力を振るう者と、力を振るわれる者とでは、見ている世界もまた異なるのだろう。


「理解できぬのであれば、理解せずともよい」


 我はそっと視線を外す。


「さっさと、自らのことを続けたらどうだ?」


「あ、はい……そう、します」


 スレスは静かに水辺を離れていった。

 その背を目で追えば、手にした枝を振るい、剣術の型のような動きを繰り返していた。


 ……もしや、剣を持たせてやった方がよいのだろうか。後ほど、レイに相談してみるとしよう。


 そんなことを考えている自分に、少しばかりやり過ぎではないかとも思った。

 確かに、我は彼女に肩入れし過ぎているかもしれぬ。気まぐれにしては、どうにも理屈が合わぬ。


 ……ふむ、なぜであろうな。


 わからぬ。考えるだけ、愚の骨頂というものか。


 我はスレスから視線を外し、そのまま、星のまたたく空へと目を向けた。


 この暮らしは、悪くはない。

 彼らと出会い、ともに歩き、言葉を交わし、人々と触れ合い、好きなように夜を歩くことができる。

 こうして、川の水に身を鎮めることすら許されている。


 ……できることなら、このまま、ゆるやかに続いてくれればと思った。

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