表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
57/75

057話

 カーテンが開けられる音がした。

 そのすぐあと、扉が開く音が、部屋の静けさをやさしく破った。


 ゆっくりとまぶたを開ける。

 淡い朝の光と、見慣れた人影が、部屋の中へと差し込んでいた。


「旦那様、お目覚めですか?」


 旅の途中と変わらぬ朝。そこには、いつも通りのレイの姿があった。

 その穏やかな表情から察するに、俺が目を覚ますのを待っていてくれたらしい。


 周囲に視線を巡らせると、ユリが椅子に腰かけていた。スレスはまだ、布団の中で静かに眠っている。

 そしてその先、机の上には、ひとつだけ見慣れないものが置かれていた。


「……レイ、それは?」


 少し重たいまぶたを持ち上げながら、俺は彼女に問いかけた。


「シンが起きるまでの間、少しだけ手合わせをしておった」


 返ってきた声は、レイではなかった。

 カードに触れたままのユリが、椅子に腰かけた姿勢のまま、落ち着いた口調で答える。


 彼女は山札に目を落としながらも、勝ち負けへの執着も、感情の揺れも見せなかった。

 その静かな居住まいは、実に彼女らしかった。


「レイよ。シンが目覚めたのならば、冒険者ギルドに向かっても良いのではないか?」


「そうですね。まだ六の鐘の音は鳴っていませんが、なるべく早めに到着しておくのが望ましいでしょう」


 俺は寝台から身を起こし、首筋に残る眠気を軽く振り払う。

 レイが差し出した黒のコートを受け取りながら、部屋の空気を改めて一息、吸い込んだ。


「じゃあ、行くか」


「はい。準備は整っております」


 スレスを起こすことはしなかった。今回の件には完全に部外者だし、昨夜はユリとともに遅くまで出歩いていたようだから、疲れているはずだ。


 俺たちは宿を後にし、冒険者ギルドを目指して歩き出した。

 まだ朝が早いこともあり、街はどこか眠たげだ。

 それでも、露店の準備をする人々や、開店の札を掲げる店員の姿がぽつぽつと見える。

 やがて、昨日も足を運んだその施設が視界に入った。

 他の建物が静けさをまとっているなか、ここだけは朝からひときわ賑わっていた。


「朝早くからこんなに賑やかだなんて……本当に、多くの人に利用されているのですね」


 レイの言葉に、俺も思わず頷いていた。

 冒険者ギルドの出入り口には、職業も人柄も人種も異なる、実にさまざまな人々の姿があった。昨日よりも人が多い気がする。時間帯のせいだろうか。


 ギルドの扉を押し開けると、朝の冷たい空気とは対照的な熱気が押し寄せてきた。

 内装は木材を基調とした重厚な造りで、天井は高く、壁際には依頼書が貼られた掲示板がずらりと並んでいる。

 カウンターの奥には事務員らしき人物が数名、手早く帳面を繰っていた。


 中に足を踏み入れた瞬間、いくつもの視線がこちらをかすめたが、それも一瞬のこと。誰もが自分の目的に集中しており、余所者への関心は長くは続かないらしい。


 カウンターに近づくと、若い女性の職員が一礼して迎えてくれた。


「おはようございます。受験者の方ですね?」


 俺たちが頷くと、彼女は手元の紙束を確認しながら、事務的な口調で続けた。


「では、こちらへどうぞ。試験の受講者は、裏手の訓練場に集合となっております。案内いたしますね」


 そう言って歩き出した彼女のあとに続きながら、俺たちは視線を交わす。

 この空気の中で、自然と背筋が伸びていくのがわかった。


 奥へと進んでいくと、建物の裏手に続く通路が現れる。通された扉の向こうは屋外の訓練場で、土と汗の匂いがわずかに混じった朝の空気が流れ込んできた。


 既に何人かの受験者らしき人物たちが集まっており、それぞれが武器を点検したり、静かに目を閉じて精神を整えたりしていた。


「こちらが試験会場となります。開始まで、しばらくお待ちくださいませ」


 職員がそう告げると、俺たちは静かに場所を見極め、訓練場の隅へと足を運んだ。


 辺りを見渡せば、同じように案内されたらしい姿がいくつか見える。

 武器を点検している者、壁際で目を閉じて呼吸を整える者、それぞれが自分のやり方で静かな時間を過ごしていた。


 レイは目立たぬように周囲を観察していた。

 ユリは関心のなさを隠そうともせず、椅子に腰かけたままぼんやりとしている。

 俺も特に何かするでもなく、その場で待っていた。


「おいおい、冒険者認定試験に女連れかよ」


 不意に、聞き馴染みのない声が耳に届いた。

 内容からして、俺に向けられたものだとすぐにわかった。


「旦那様は背が低いですからね」


 レイは口元にだけ、わずかに笑みを浮かべた。俺も、言い返すほどの価値はないと思った。


「無視かよ」


 再び声がして、今度は肩を掴まれた。大きな手だったが、握りは甘い。


「触らないでくれるか?」


 この程度なら、視線を向ける必要もない。軽く手を払った、その瞬間、鈍く嫌な音がした。


 思わず男のほうを見やると、俺の二倍ほどもある体格の男が、苦痛に顔を歪めて手首を抱えて蹲っていた。


 まさか折れたのか。……あの程度で?


 俺の方は何ともない。強くやったつもりもない。どちらかといえば、相手のほうが勝手に壊れたようにしか見えなかった。


 ユリが男に目を向ける。冷ややかな視線だった。


「気にする必要はない。こやつが身の程を弁えぬ愚か者だっただけだ」


「旦那様のお身体は体格に似合わず頑丈なので、弱いと勘違いされたのでしょうね。少し離れましょうか」


 レイに促されて、俺たちはその男から距離を取ろうとした。


「お前っ!! タダじゃ済まさねえぞ!!」


 男は辛うじて、腰の剣を抜いた。抜いてしまった。


 剣を抜いた瞬間、訓練場の空気が変わった。


 周囲にいた受験者たちが、一斉にこちらを見た。


 レイは視線ひとつで、男の動きを牽制する。ユリは立ち上がりすらせず、男を見下ろしたまま口を開いた。


「剣を抜いたということは、試験に関係のない戦闘を始めるつもりなのだな?」


 その声に、男の動きが止まった。


 すると、別の方向から足音が近づいてきた。足音の主は、ギルドの職員だった。

 灰色の上着を羽織った中年の男で、腰には簡素な剣を佩いている。一見穏やかそうなその顔には、しかし微塵の笑みもなかった。


「……何をしている?」


 その一言だけで、空気が冷えたのがわかった。周囲のざわめきが止まり、剣を抜いた男すら、息を呑んで固まる。


「認定試験に関係のない私闘は、重大な規約違反だ。即時失格、追放処分。異議は認めない」


 男は何か言い返そうと口を開いたが、その前に職員が一歩踏み出す。たったそれだけで、男の膝がわずかに揺れた。


「剣を納めろ。それができるうちに」


 ようやく男は、顔を引きつらせながら剣を鞘に戻した。

 蹲ったまま、何も言えずに項垂れている。


 職員はちらと俺たちに視線を向けた。

 何も問わず、何も咎めず。ただ一言だけ、静かに告げる。


「試験は予定通り行う。開始は十分後だ。案内が入るまで、待機していてくれ」


 それだけ言うと、職員は踵を返して去っていった。


 ざわついていた空気は、すぐに引いていった。やがて訓練場には、奇妙な静けさだけが残った。


「……見られてるな」


 ほとんどの視線は逸れていったはずだった。だが、たった一つだけ、俺たちから離れない視線があった。


「そうですね。最初の方から、やり取りを見ていたのかもしれません」


 レイも見られていることには気が付いていた。誰かを名指しするでもなく、追及するでもなく、いつもの調子で淡々と続ける。


「旦那様のお身体は、体格に似合わず強靭ですから。物珍しい体質だと見られても、不思議ではありません」


 ……そういえば、俺の身体って、そんなに特殊なのか?

 正直、あまり自覚はない。けれど、今の反応を見る限りでは、普通とは言えないのかもしれない。


「記憶がないとはいえ、ここまで気づかずにいたのは……少し驚きです」


 その言葉は、穏やかでありながら、不意に胸の奥を突かれるようだった。


「そ、そっか……」


 曖昧に返す声が、自分でも頼りなく聞こえる。


 レイはいつものように微笑んでいた。けれど、その瞳の奥に浮かんでいたのは、どこか諦めにも似た静かな優しさだった。


「私は、それなりに鍛えてますから大丈夫ですけど……でも、他の女性には、あまり強く触れないほうがいいと思います」


 声はあくまで柔らかい。けれど、その一言が、思いのほか深く胸に刺さった。

 思わず、そっと目を伏せた。


「……それって……やっぱり、痛かったってことだよな」


 自分でも、言いながら驚いていた。

 レイとは、体を重ねたこともあった。

 それすらも痛みを伴うものだったのかもしれない、そう思うと、ぞっとするような気がした。


「旦那様、私はちゃんと鍛えてますし、それに……いつも優しくしてくれてますから。大丈夫ですよ?」


 レイは少しだけ苦笑して、そっと言葉を和らげた。


 正直、落胆していた。

 自分がどのような存在かは、レイから断片的には聞いているが、それを掘り返したって意味がないと考えていた。

 思い出せないことばかりだし、昔がどうであれ、今の俺は変わらないのだから。でも、それで誰かを傷つけるのだとしたら、笑い話にすらならない。


「これから試験だというのに、またイチャつきおってからに。……ほれ、来たぞ」


 ユリは呆れを隠すことなく、その声音に含ませていた。

 レイの言葉に胸の奥がまだざわついていたが、それでも今は、ユリの視線を追いかけるように顔を上げる。

 すると、訓練場の奥から、ひとりの男が、まっすぐこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小説家になろう 勝手にランキング

ブクマ・ポイント評価お願いしまします!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ