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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者:
第五章 〜「街での地位と愛を与える君」〜
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058話

 その男の纏う気配には、職員に特有の事務的な柔らかさは一切なく、無骨で研ぎ澄まされた実戦の匂いが滲んでいた。

 歩みは速くも遅くもなく、ごく平坦であるはずなのに、その一歩ごとに、床板がわずかに軋むような錯覚を覚える。

 それなりの実力者であることはすぐに察せられたが、そこに恐れはなかった。


 訓練場の中央に立った男は、静かに全体を見渡していた。

 その視線ひとつで、場の空気が引き締まる。誰もが無言のまま、次の言葉を待っていた。


 男は一歩前に出ると、低く、よく通る声で口を開いた。


「試験の説明を始める」


 その場にいた誰もが、静かに耳を傾けていた。


「本日行うのは、実戦の討伐依頼だ。受験者は五人一組で仮のパーティを組み、試験官の監督下、実際の依頼を受けて討伐に向かう」


 言葉は簡潔で無駄がない。説明というより、命令に近い響きを持っていた。


「対象となる魔物は、郊外に現れた小型種。危険度は低いが、油断すれば怪我を負う。討伐の成否だけでなく、判断力、協調性、そして生還率を重視する。過剰な暴力、私闘、命令違反があれば即座に失格とする」


 男の視線が、受験者たちを順に撫でるように動いた。レイがわずかに目を細めるのが見えた。ユリは興味なさげに耳を傾けている。俺は自然と背筋を伸ばした。


「試験官は各パーティに一人ずつ同行する。状況に応じて介入することもあるが、基本的には見守りに徹する。己の力を、己の判断で使え。試験とはいえ、命を預け合う場だということを忘れるな」


 淡々とした声に、場の空気が徐々に変わっていく。受験者の中には緊張の面持ちで武器を見直す者もいれば、周囲を観察し始める者もいた。


「班分けは既に決定している。名を呼ばれた者は所定の位置へ移動し、担当試験官の指示に従え。以上だ」


 男はそれだけ言い残すと、すぐ近くの補佐役に小さく頷いた。名簿を持った職員が、淡々と受験者の名を読み上げていく声が、訓練場に響き渡った。


 やがて、名を呼ばれた順に、受験者たちは訓練場の一角へと集まっていく。

 俺たちの名前が読み上げられたのは、後のほうだった。レイとユリも同じ班に組み込まれていた。そこまでは予想の範囲内だったが、残る二人は初めて見る顔だった。


 一人は、淡い栗色の髪を持つ青年。年の頃は十七、八といったところか。細身で、鋭い目をしている。腰には短剣を二本下げていた。

 もう一人は、重厚な鎧を身にまとった大柄な男。年齢は不明だが、目元に皺があることから、それなりに年を重ねているようだった。手にした大盾がやけに目を引く。


「ふん、貴族のお嬢様に、飾りみたいな細身の男。おまけに妙な雰囲気のチビ……なかなかにバランスが悪いな」


 大柄な男が、初対面から皮肉を口にした。声は低く、重たい。

 ただの嫌味を取り合うだけ無駄だ。俺は無視することにした。レイもユリも、まるで風でも受けたように涼しい顔をしていた。


「その偏見は役に立たない。任務中なら、なおさらだ」


 そう返したのは、栗色の青年だった。冷静な声だったが、言葉には針のような鋭さがある。

 彼は視線だけで大柄な男を牽制すると、静かに一礼して言った。


「カナメと申します。短剣使いです。足を引っ張るつもりはありません」


 レイがわずかに頷いた。ユリは相変わらず無言のままだったが、何かを見極めるように、カナメをじっと観察している。


「俺はシン。それから、レイとユリだ。よろしく頼む」


 カナメという人物は、仲良くしても損はなさそうだ。だから、彼には挨拶をした。


 蚊帳の外にされた大柄な男は、ただ鼻を鳴らしただけだった。名乗るつもりもないらしい。


 もう一度だけ、俺は五人の顔を一通り見回した。上手く連携できるか不安だが、そこはなるようにしかならないだろう。


 班の前に試験官が現れた。背中に長剣を背負った男だった。無表情で、寡黙な雰囲気をまとっている。


「この班の担当を務める。ついてこい。依頼の概要と出発準備について説明する」


 それだけ告げると、試験官は踵を返し、無言のまま歩き出す。

 俺たちも自然とその背を追い、足を進めた。


 案内された先は、訓練場の裏手にある小さな詰所だった。

 中へ入ると、試験官は机の前で足を止め、一枚の依頼書を手に取って口を開いた。


「今回、貴様らの班が受け持つのは、森林沿いの街道に出没したゴブリンの群れだ。通行中の商人が被害を受けており、討伐依頼として正式に受理されている」


 視線を落としたまま、試験官は淡々と続けた。


「目撃された個体数は七体前後。巣が存在する可能性もある。討伐完了後は、周囲百メートルの安全確認と、痕跡調査を行え」


 シンプルだが明快な指示だった。誰も言葉を挟まず、静寂の中で説明が進んでいく。


「試験官は随行するが、介入は最小限だ。必要がなければ、貴様らだけで処理しろ。出発は十分後。装備の確認を済ませておけ」


 言い終えると、試験官は無言で紙を机に戻した。

 その短いやりとりのあと、静かな空気が詰所に残った。


「ゴブリンか。妥当っちゃ妥当だな」


 大柄な男がぼそりと呟いた。盾の縁を軽く指でなぞりながら、誰に聞かせるでもなく吐き捨てる。


「数が読めない以上、舐めてかかるのは得策じゃない」


 カナメが応じる。短剣の柄に指をかけたまま、冷静な口調だった。


 レイはそんな二人のやりとりに目もくれなかった。装備に乱れがないかだけを確認し、終われば静かに視線を落とす。

 ユリもまた、興味を持たぬように無言を保ち、窓の外に目をやっていた。表情は動かない。ただ静かで、冷たい。


 俺はふたりに倣って、装備を手早く点検した。剣の鞘、肩のベルト、足元のブーツの留め具。どれも問題ない。


 試験官が手元の時計のような器具をちらと見て、静かに言った。


「出発だ。馬車へ乗れ」


 詰所の外に出ると、用意された馬車が柵のそばで待っていた。

 後部の荷台には簡素な座席がいくつか並べられ、木製の枠に薄布が掛けられている。


 誰も口を開かないまま、順に乗り込んでいく。

 軋む音と共に車輪が動き始めた。空は曇りがちで、朝の冷気が肌に刺さる。


 やがて、試験の舞台となる森の気配が、馬車の奥からゆっくりと近づいてきた。


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