045話
「お、おはよう」
その様子を見られてしまった気まずさから、思わず声が裏返ってしまった。
「……ふん。朝から随分と、仲睦まじいことだな」
ユリは寝台の上で身を起こしつつ、こちらに視線を寄越してくる。瞼にはまだ重さが残っていたが、口元には皮肉めいた笑みが浮かんでいた。
「次は何だ? 我の目の前で、口づけどころか交わろうというのか?」
「いや、さすがにそれは……」
俺は慌てて首を横に振った。
「聞くのも野暮だと思って黙っていたが……昨晩は、随分とお楽しみだったようだな?」
ユリはくつくつと喉を鳴らすように笑いながら、容赦のない言葉を投げてくる。
「……まあ、否定はしない」
恥ずかしさから否定したくもなったが、それはレイの想いまで否定することになる。
彼女が五十億年をかけて積み上げてきた情動を、俺が軽々しく否定するわけにはいかない。それくらいの分別はある。
「……ふん、これで否定しておれば、凡庸な人間として切り捨てることもできたのだがな」
ユリは深く溜息をつき、あからさまに残念そうな声色で言った。
「旦那様が凡庸なわけ、ないじゃないですか」
今度はレイが、わざとらしく澄ました声で口を挟む。
「貴様が一番、凡庸ではないわっ!」
さすがのユリも我慢ならなかったのか、くわっと目を見開いて吠えた。小さく唸るその姿は、どこか吸血鬼らしい。まあ、実際に彼女は吸血鬼なのだが。
「……そうですか?」
「それは俺もそう思う」
途方もない年月を、何の確証もなく待ち続けるなんて、常人には到底できない。
狂気と紙一重。いや、もう狂気そのものかもしれない。
そんな感情を受け止めながら、それを居心地よく感じてしまう俺も、きっと同じ側にいるのだろう。
「かつて宇宙の王であった旦那様ほどでは……」
「どうだかな。人は出世には肯定的だが、待たされるのは得意じゃない」
「そもそも、今の俺はただの人だろ?」
「それはさすがに無理があるだろう。どこに我より格上な一般人がいるんだ?」
「……俺って、ユリより格上なのか?」
そもそも、その事実すら俺は知らない。宇宙の王だったことすら、そもそも記憶に無いのだが。
「うむ」
「格上とか格下って、何で判断するんだ?」
「我は、血を吸った時だな」
吸血鬼特有の基準らしい。何となく理解できるが、納得はできそうにない。
知っていることと、実感としてわかることは違う。
「気づいてなかった」
「……それはそれで、旦那様が鈍感すぎるのでは?」
レイに皮肉たっぷりの嫌味を言われた気がした。いや、言われてるなこれは。
「俺が悪いのか?」
「……王たるもの、それで良いです」
レイは渋い顔で頷いた。表情はどこか複雑で、簡単に言い切れない思いが滲んでいるようだった。
「レイ、嫌なら嫌、駄目なら駄目とはっきり言えば良いだろう?」
ユリがレイに向けて、釘を刺すように言った。口調はいつになく真っ直ぐだ。
「ユリ、私は嫌ではないのです。駄目とも思っていません。むしろ……王らしいと思います」
「対外的な正しさでは、人は幸せにはならんぞ」
彼女たちが何を言っているのか。何について話しているのか。
俺にはさっぱり理解できなかった。
そのとき、部屋の扉が軽くノックされた。
「……昨日、アッシュが来るかもしれないと言ってたな」
突然の来訪だったが、心当たりがないわけではない。
「そうですね。……着替えたら、私が出ます」
「いや、我が行こう」
すでに外出用の装いをしていたユリは、迷うことなく寝台から降りて、扉へ向かって歩き出した。
すこしだけ話し声が聞こえたかと思えば、ユリはひょこりとこちらに向かって顔を出した。
「シンよ、昨日のだ」
その声を聞いて、俺はユリと入れ替わるように出入口に向かった。
「おお、今日はよく眠れたか?」
そこに立っていたのは、グランだった。
昨日と同じく、立派な狼の顔で、にやりと笑っている。
「おかげさまで。今日は何の用だ?」
俺は肩をすくめて尋ねた。
本音を言えば、まだ身体に疲れが残っている。昨日は……レイに搾り取られたからな。
とはいえ、そんな私事を彼に話す気にはならない。
「昨日も言ったが、竜の件について、冒険者ギルドで証言してほしい」
「了解。じゃあ、支度をしてくる」
「ああ、頼んだぞ」
「わかった。少し待っててくれ」
「俺は外で待ってる。急いでくれると助かる」
そう言って、グランは戻っていった。
俺たちと違い、ちゃんと宿屋の正面玄関から出て行くあたり、彼の方がよほどまともだ。
俺も扉を閉め、部屋の中へ戻った。
「ユリ、スレスには、しばらくここで待つように言っておいてくれ。
レイは……その格好のまま出歩くわけにはいかないだろ。着替えようか」
「旦那様以外に見せるつもりなんてありませんよ」
何を言ってるんですか、という視線を向けられた。
一方、ユリは既にスレスを起こしにかかっていた。
レイも一度視線をスレスへ向けたあと、すぐに自分の着替えに取りかかった。
いつも通りの、ややタイトな漆黒のドレスに袖を通す。
「行こうか」
俺たちはスレスを部屋に残し、グランと合流するために宿を出た。




