043話 Feat.ユリ
我は屋根上から、宿泊部屋の窓に視線を向けた。先ほどシンが外に出てきたときから、静かに口を開けたままになっている。
「シンは一人で戻れるか?」
「下から上は厳しいけど、上から下なら」
彼を屋根上に連れ出すときは、我が手を貸してやったからな。
「ならばよかった」
手間が減った。何故なら窓からスレスを連れ込むには、彼女を我が抱えてやる必要があるからだ。
「えっ!?」
我が彼女の体を横抱きにすると、彼女はとても驚いた表情をした。自分より小さな者に抱えあげられるのに抵抗があるのかもしれない。
「暴れるな。貴様くらい簡単に持ち上げられる」
我は純粋な人類種でも無ければ、吸血鬼の中でも異端である。この程度は造作もない。
「ひっ……!?」
そんな悲鳴は聞こえないふりをして、我は窓から部屋の中へと飛び込んだ。シンも遅れて窓から入ってきた。
部屋には寝具が三つ。さすがにスレスを連れて帰った身で、彼女に床や椅子で寝ろとは言えない。
「我の寝台を使え。我は椅子で休む」
「い、いえ……それは、さすがに……!」
我の申し出に、スレスは戸惑いながらも、はっきりと首を横に振った。遠慮ではなく、もはや拒絶に近いものを感じた。
「ユリは俺のを使え。俺はレイと一緒に寝るから」
すると、その様子を見ていたシンがさらりと言った。さっきまでレイに疲れ果てていた顔はどこへやら。
「……どういう心変わりだ?」
思わず我が訝しむと、彼は肩を竦めた。
「まあ、そこも含めて良いところだと思う。……困るときはあるけど」
「惚気るのか愚痴るのか、どちらかにしてくれ。反応に困る」
彼と彼女の間に色々あったのは、先ほどの彼の発言からも察せられた。だが、この様子を見る限り、日が昇るまで尾を引くことはなさそうだ。
実を言えば、少しだけ心配していた。今の彼の様子を見る限り杞憂に終わりそうで、勝手に我自身が安心してしまっていた。
レイの想いが漠然とわかってしまうだけに、少しでもこじれるのは可哀想だと思ってしまう。
だが、記憶を失っているシンが、そんな彼女に対して身構えてしまうことがあるのも、これまでの短い付き合いで知っているからこそ、なかなかどうして、上手くいかないものだと思う。
彼の記憶を取り戻してやれば、我の恩人たちは幸せになれるのだろうとは思うのだが……
「じゃあ、おやすみ」
物思いに耽っていると、シンの声が耳に届いた。我も同じ言葉で返した。それから再び、部屋に連れ帰った女に視線を向けた。
「スレスも、もう眠ってしまえ。我は吸血鬼だから、睡眠はさほど必要としない」
我は眠れるが、眠る必要はない。シンが譲ってくれた寝台に身体を横たえながらも、目は妙に冴えていた。
「えっと、その……」
彼女は、与えられた寝台に乗ることもせず、ただ立ち尽くしていた。
「何を悩んでいる?」
「しっかりした寝台の上で眠るのは、とても久しぶりなことなので……」
「眠れぬから手を貸せと? さすがにそれは断る」
子守は苦手だ。しかも、大人の女性にそんなことをする趣味はない。もはや、我の方が幼い見た目をしているくらいだ。
「そ、そういう意味ではありません!」
スレスは両手を振って否定した。……そんな趣味の持ち主でなくて助かった。変態を助ける趣味はない。
「ならば、その寝台は使え。ずっと立たれても、気が散るし迷惑だ」
我は少し強い調子で言った。
「うっ……わかりました」
彼女はやっと、その寝台に腰を下ろした。それを確認して、我はもう何も言わなかった。しばらくして、衣擦れの音が聞こえた。どうやら、ようやく横になったらしい。
吸血鬼は部屋が真っ暗であっても、天井のシミがよく見える。この場の光度は我らには関係ない。だからと言って、何かが起こるわけでもない。スレスを連れ帰ったことで、何かに巻き込まれることもあるやもしれんと思っていたが、追手がこの宿まで来る気配も無さそうだ。
「……ユリ、帰られたのですね」
「……レイ、起きたのか」
身体の線が顕わになるネグリジェを彼女は着ていた。色々と考えていたら、寝台に横になってから、それなりに時間が経っていたらしい。
「気を遣わせましたね。ありがとうございました」
レイは我に小さく頭を下げてきた。
「気にするな。むしろ我が貴様らの同行者なのだから」
あくまでも救ってもらったのは我で、一緒にここまで連れてきてもらったのも我なのだ。だから、それくらいの気は遣わせてほしい。少なくとも彼らの幸せの邪魔はしたくない。
「……で、あの子は?」
「あの子? ……ああ、スレスのことか」
レイが”あの子”と表して、我の理解が追い付くまで少しだけ時間があった。
「レイに相談したかったのだ」
我は起き上がって。立っている彼女に目線を合わせた。
「彼女のことですよね。私は良いと思いますよ」
「……まだ何も言っていない」
「それは勝手に彼女に聞きます」
ううむ、我の懸念を先回りして潰されている感じがした。彼女はシンが間に挟まらないと、あまりに頭の回転が速過ぎて、我が置いて行かれている気がするな。
「レイが良いならいい」
だから、我はそうとしか言うことができなかった。
「そうですね。また明日も忙しくなると思うので、私も二度寝しますね」
彼女は身体をぐっと伸ばして、再びシンが眠っている寝台に戻っていった。
スレスの件もあるが、それ以外も我らの環境は目まぐるしく変わった結果が今だ。明日になれば、身の回りがさらに変化するのは間違いないだろう。
それは封印されていた我にも、封印される前の我にも、あまり想像ができなかった現状だ。今の我は幸せだ。だから、貴様らも幸せになってくれと思うのは道理だ。
ああ、やはり、何か彼らの助けになれたらと思うのだが……
答えの出ない回廊は、冴えていたはずの意識を奪うには十分だった。




