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【初稿】失われた記憶、消えない愛。取り返す記憶、紡がれる愛。  作者: 言ノ悠
第二章 〜「崩壊した文明と隣を歩く君」〜
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016話

 階段を降りきったその先には、ぽっかりと空いた巨大な空間があった。俺とレイが手にした灯りでは、とても照らし切れない広さだ。


 この瞳には何も映らなかった。

 音も、風も、温度さえも感じられない。まるで世界そのものが止まったような、深い沈黙に満ちていた。


 だが、足元を見てすぐに、それが“何もない場所”ではないと気づいた。

 ひび割れた石の床。崩れた柱。錆びついた装飾品。それらが、かつてここが“都市だった”という事実を語っていた。


「古い都市……だよな」


 人の気配はするのに、命の呼吸は聞こえてこない。それはつまり、この地下が人の手によって造られたという証だ。


「ですね。もう誰も住んでいないようですが」


 レイの言葉を聞き、自分の認識が正しいことを理解する。


 灯りで照らされるだけの範囲をゆっくりと進みながら、そこに並ぶ建物たちと巡り会う。

 降りてきた螺旋階段と同様に、頑丈な石で造られていた。ひとつ違うことと言えば、それらの建物は全く同じではなく、それぞれに表情を持っていることだ。


「色んな人たちが、住んでたんだろうな」


 この都市には、誰一人として残っていないのかもしれない。それでも、そこに生きたという事実は消えない。人が生きる美しさを、その結果を、俺は美しいと感じた。


 だが──その余韻は、唐突に打ち切られた。


 レイが、ぴたりと足を止めた。彼女の雰囲気が変わった。

 それに気がついて足を止めた。彼女の視線の先を追いかけるように、その暗闇に瞳を向けた。


「……誰、ですか?」


 レイは槍を取り出して、その先に刃先を向けた。

 すると、まるで人形のような姿形をした天使が、何も見えない暗闇から姿を現した。

 その顔には、目も鼻も口もなかった。そこにあるのはただ、白くのっぺりとした“肯定も否定も拒む虚無”だけだった。


「この無意味な世界に、未だに足を踏み入れる者が居るとは」


 その言葉には、まるで存在そのものを無意味だと吐き捨てるような、全てを否定するような感情が籠っていた。

 その感情は、背中に生えた白翼とは打って変わって、酷く冷たかった。その翼は、温かみのあるものではなく、全てを否定する白なのかもしれない。


「排除する」


 気が付いた時には、俺の目前に天使が差し迫っていた。その天使の手には、鋭く尖った刃物が握られている。


「っつ!?」


 天使の持つ刃物は、俺に届く前に、レイの槍によって叩き落とされた。

 続けて、彼女の槍の刃先が、天使の身体を引き裂こうとする。結果は空を切っただけだった。


「下がってくださいっ!」


 レイに庇われて、俺は彼女を盾にしながら、天使から距離を取った。

 彼女がいなければ、俺は間違いなく天使に刃物を突き立てられていた。

 今の一撃で、この戦闘において、俺は基本的に戦力外であることはわかった。だから、下手に前に出て足を引っ張ることはしない。


「お前は何者だっ!?」


 それでも、距離を取った上で、相手の正体を確かめることはできる。……答えてくれれば、だが。


「我が名はアザトース。神に逆らう文明の、その全てを処分する者だ」


 その天使はあっさりと答えてくれた。まるで、人の全てを下に見ているような、そんな気配を感じる。あまり好きにはなれなさそうだ。


「だから、死ね。この文明を、人に記憶させるわけにはいかない」


 天使は白翼を広げた。


「かかってきなさい。たかが天使ごときに、負けるつもりはありません」


 レイは正面から天使とぶつかった。

 白を基調とした天使と、黒を基調としたレイは、面白いほどに対極に見えた。


 天使は刃を振るう。


 それを槍で弾いたレイは、返す刃で槍を振り抜く。


 天使はさらにもうひとつの刃を取り出して、一瞬だけ無防備になった彼女に振るう。


 レイは槍の腹部で振るわれた刃を受け止めると、しなやかな白く美しい脚で天使を蹴り飛ばした。

 漆黒のドレスの上に黒い外套を纏う彼女は、僅かな光しかない空間で、自らの陶器のような肌の白さを際立たせていた。


「ぐうっ……!?」


 天使は苦悶の声をあげる。足蹴にされた白翼の身体はよろりと姿勢を崩した。

 レイはその様子を見て、槍を前傾姿勢に構え、鋭い刃先を天使の腹部に放った。


「がはっ……」


 天使は人と同じように血を吐いた。白い見た目が、段々と朱色に染まっていく。口もないその顔の、いったいどこから赤がこぼれたのか、俺には理解できなかった。


「貴様らに、記憶させるくらいなら、この土地ごと全てを、消してやる」


 天使はそう言うと、両手を宙に掲げた。

 その様子を見たレイは、瞬時に天使から距離をとって、俺の元まで下がってきた。


 天使の両手に生み出されたのは、とても大きな質量を持ったエネルギーだった。


「あれが爆発したら、この都市ごと無くなります」


 彼女は冷静に言った。

 どこをどうしたらそこまで冷静になれるのか、小一時間くらい問い続けたいが、この非常事態にそんな事をする余裕はない。


「何とかできるのか?」


「身を守るくらいはできると思います」


 レイには俺たちの身を守るだけの案はあるようだ。でも──


「この都市も守れるのか?」


「それは不可能です」


 ただ身を守るだけでは、この地下都市に広がった人の営みを、その美しさを守ることはできない。

 誰も生きてはいないかもしれない。でも、人々の手が重なった結果の伽藍の洞を、ただ無為に破壊させたくはなかった。


 人が生きた美しい軌跡を、人が重ねた文明を否定させやしない。


「なら、俺がやる」


 右手を、ゆっくりと掲げた。


 感覚は、すぐに応えた。

 手のひらの内に、黒が生まれる。

 それは渦だった。

 空間そのものが軋むようにして、ひとつの“穴”が開く。


 存在を否定し、意味すらも飲み込み、痕跡も残さぬ破壊の本質。

 それは形でもなく、熱でもなく、ただ存在する理を喰らい尽くす。


 天使の両手に集まっていた白く輝く膨大な質量。

 この都市の全てを巻き込まんとするそれが、今まさに解き放たれようとしていた。

 だが、それが放たれるよりも早く、俺の手のひらから伸びた“黒”が、それを捉えた。


 空気が弾けた。

 光が軋んだ。

 音もなく、ただ“無”がすべてを包み込んだ。


 それだけじゃない。

 天使アザトースの身体にまで、黒が忍び寄っていた。

 白い翼が、顔が、刃が。

 音もなく、跡形もなく、崩れていく。


「やめ……まだ……私は……」


 その断末魔すら、残せなかった。白い天使の姿は、虚無の渦に吸い込まれ、完全に消失した。


 俺はそれを見届けると同時に、握り潰すように"究極の忘却"を消し去った。

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