015話
俺たちはゆっくりと足を進めた。
足先に続くのは、石の壁に囲われた螺旋を描く階段だ。
一段降りるごとに、光が届かなくなり、世界は少しずつ色を失っていく。
下へ、さらに下へ。
やがて闇は、壁も足元も、前を歩くレイの輪郭すらも飲み込んだ。
その暗闇は、彼女に見せてもらった星空とは違い、何ひとつとして温かさを感じさせなかった。
そのときだった。
彼女が右手をかざすと、指先に小さな火花のようなものが灯った。
それはふわりと宙に浮かび、冷え切った空間のほんの一部を、温かな輪郭を照らし出した。
レイはこれまでの旅路の中でも、様々の魔法を使ってきた。
火を起こし、水を作り、地面を変形させる。そのどれもが、彼女がごく自然に行う仕草と相まって、とても儚げに映っていた。
小さな魔法を使う際に、僅かに小首を傾げる癖があるのは、俺だけが知っている秘密だ。
彼女が作った光が魔法だと認識するのに、そこまでの時間はかからなかった。
こうやって世界に色を付けられるのならば、魔法を知ってみたい。そう強く思った。
今までレイが使ってきた魔法と、そう大差はないのかもしれない。
でも、俺にはその光が、ただの道具として以上の価値があるように、どの魔法よりも魅力的に見えた。
俺が欲するには十分だった。
「俺にも、その魔法を教えてくれないか?」
思わず声が漏れた。
その灯りが作れたら、きっと、もっと世界が美しく見えるから。
「いいですよ。右手を、お貸しください」
振り返った彼女が、そっと差し出したのは左の手のひらだった。俺は言われた通りに、右手を差し出す。
彼女の手のひらが、俺の手の甲にそっと重なる。自然と、指と指が絡んだ。
その瞬間、皮膚の下にうっすらと見える血管を、何かが這うような感覚が走った。
冷たくも熱くもない。だが確かに”内側”で動いていた。意識の届かない場所で、静かに波打つそれが、俺の指先へと収束していく。
「指先に集めたそれを、灯りの形を想像して、その想像した形に近づける意識をしてください」
彼女の言葉は柔らかく、それでいて明確な輪郭を持っていた。
俺が想像した灯りは、ついさっきレイが作ったもの。今も俺たちを照らしてくれている光だ。
すると、俺の身体から何かがすっと抜ける感覚がした。同時に、俺の右手と彼女の左手から、ひとしずくの光は乖離して宙を漂った。
「……レイって、すごかったんだな」
初めて使った魔法には、様々な思考の痕跡が隠れていた。
今までの彼女が何気なく使っていた魔法が、いかにも尊いものであるか、初めて実感した。
「そんな事ないですよ。
基礎さえしっかりしていれば、私みたいに基本的な魔法を使うことができます」
基礎さえ、か。
魔法は偶然の産物じゃない。魔法に重ねられた技術には、多くの人々の思考と努力が含まれている。
俺も練習してみようかな。
旅の途中だからまとまった時間は取れないけど、それでも練習するだけの価値を、その光から感じられた。
「それでも、こんな風に何かを生み出せるって、凄いことだよ」
火のない所に火を灯す。
水のない所に水を引く。
土のない所に土を積む。
風のない所に風を凪ぐ。
光のない所に光を灯す。
それらは、様々な人の試行錯誤があってこそだ。
魔法でなければ、それなりの文明と技術が必要だろう。
だが、魔法だって人が使う技術だ。思い付きで扱える代物ではない。
そんなの当たり前のことだったはずなのに、今まで気にしていなかったことこそが、俺にとっては奇妙なことのように感じられた。
「旦那様らしい感想ですね」
レイはふふっと小さく笑う。その時のわずかに上を向く仕草が、子どもっぽい無邪気さを感じさせた。
彼女の声色には、納得の感情が込められていた。
「……そうかな?」
それって、俺らしいのか?
「ええ、そうですね」
その言葉には、とても強い肯定が含まれていた。
「旦那様、足が止まってますよ。さあ、先に進みましょう」
魔法に夢中になって、足が止まっていたらしい。レイの声でその事実に気づき、俺は再び足を踏み出した。
螺旋に続く階段を、ひとつひとつ降りていく。
この螺旋を構築する頑丈な石壁と石畳は、どれだけ降りても下っても、いっさい姿形を変えなかった。
でも、魔法と同じように、多くの人々の手が入ったことを感じさせる。何度も重ねられた結果が、この螺旋階段なのだと、何の違和感なく受け止められた。
魔法の素晴らしさに気が付いた。
そのおかげだろうか、様々な物事に、様々な人々が関わっていることを、より深く知覚し、認識し、そして理解することができるようになった。
俺が歩いている螺旋階段も、初めて触れた魔法という技術体系も、全てが人々の積み重ねによって成り立っている。
螺旋を下ることは、景色が変化しない代償として、まるでその積み重ねを、一枚ずつ剥がしているような気にすらなった。
「到着しましたね」
「……らしいな」
全てを剥がし切った先には、ふたつの灯りで照らし切れないほどの、大きな暗闇が口を開けて待っていた。




