What is the seal of liberation?
机の上にあるノートパソコンは、空冷用のファンを過電流気味に回している。
散らばった、すでに解禁期間が過ぎて見れなくなった情報に関する「メモ」に目を通す。
今回「生誕祭」として映画館で上映された「ライブ映像」は、編集テーマに沿って各時代の「彼」を繋ぎ合わせていた。
この「編集テーマ」の主題曲の時代は「彼」の全盛期を少し過ぎた頃。彼の2番目に売れた曲であり、「青と黒」を纏った「彼」が甘く柔らかに紡ぎ出す壮大なバラード。
この時間の「彼」は「孤高」と評するに相応しい威圧感と、この「第三者からみた彼自身をよく描けている2番目に売れた曲」に相応しい情報が残っている。
あまりに美しく咲き誇る一輪の薔薇のような、それこそ「名刺代わりの一枚」からの「彼」のファンからしたら、「彼ら」なぞ「知らない」し想像もつかないだろう。
Is man merely a mistake of God’s?
また「彼」自身も初期の時間から思考が脱却していると推察される。「彼」はこの時間において、特に過去については言及しない。
まあ、インタビュアーも聞かなかったのかもしれない。彼が怖くて。「彼」が口火を切らない限り「彼ら」について問いかけるのはタブーであったことは残された記述からして間違いない。
それくらいにこの「今も大変元気なもうひとり」は、この時間において「彼」には「ほぼ忘れ去られている」。
Not to be ashamed in front of oneself
一体、誰が想像できようか?
この「孤高で耽美、危うげでニヒルな笑顔が眩しいスタイリッシュな、どう見てもインテリヤクザさん」が、この「巨大で強面、デコトラから降りてきそうな、偏屈な音楽職人」のギターで歌っていたなど。
2023年12月になっても相変わらず、楽しげにギターを弾いて歌っている「もうひとり」。
最近はイメージ戦略を変えたのか、いい加減に強面キャラに疲れたのか、ニコニコと笑っている映像も流れている。さらには散歩に出かけた写真まで公式で流れており、見ているこっちも「ほっこり」した気分になる。
そんな「もうひとり」。時代に沿って求められる情報に合わせて表化する情報を変えていく「彼」。
「最新アルバムの表紙の写真」は普通に年齢を重ねた「彼」であり、過去のデータからもそこまで過去イメージに固執もしていないし、アーティスト写真も年齢相当。まあ、実年齢に対して充分に若いとは思う。
最新のインタビューでは「彼ら」についてもタブー視することなく「彼」に関して以外は、回答している。
そう「彼ら」は皆、年齢を重ねた。
「彼ら」がともにあったのは1988年まで。「彼」が28歳の頃。年月を経て「彼を除いた彼ら」は「彼ら」なりに音楽家として現在まで活動している。
全ては「過去」として、消化された。
手元で流れる15年前のライブ映像も、総集編のライブ映像もずっと「ストイックに同じままで魅せ続けている」「彼」。
この「物語の主人公」。止まった時間。
「終わった物語」。「遺影」のような「ポストカード」。
Or God merely a mistake of man?




