私の知らない幼馴染
「翼、怪我しちゃうよ」
そう言って後ろから縋りついてきた樹。4年前は背丈も同じで本当に縋りつくようだったのに、今はすっぽりと包まれた。
背中に当たる大きな体が温かくて、そして知らない硬さで、知らない樹が悲しくて、それでも胸が騒いで、だからむしゃくしゃと当たり散らしてやりたくなった。樹の大事な時間を奪ったこの国を、目の前の当事者たちを、粉々にしてやりたくなったんだ。
とんと軽く跳躍するだけで、大きく飛べた。驚いた。
「ねえ、あんたたちが樹を拉致したの?」
「な、拉致などとそんな! そもそもヴィオレータ姫の御前でございます。失礼な発言は…」
「うるさい」
いち早く混乱から回復したローブおじさんが抗議する。けどそれって私がわきまえる必要無いでしょう。ヴィオレータ姫って誰だと思い樹を見るも、首を傾げている。
「翼様、突然の召喚申し訳ございません」
あたりを見回そうかと思ったら、金髪少女が白く華奢な手を胸の前で握り締め、私を見つめてそう言った。ローブはおじさんばかりだし、姫様っていうのはこの子かな?
「それは良いよ。樹と会えたから、むしろ感謝だよ。けどね、私はあなたやその他の人に敬意を払えない。だってあなた、私の大事な樹を拉致したでしょう?」
「拉致などと、そんな! 魔王の悪意に怯えて暮らす我々を、救ってくださる勇者様をお呼びしたのです」
ああ、この子、本当にそう思っちゃってるんだな。
「そりゃあ大変だったね。私はこの国を見ていないけど、復興なんかは大丈夫? だってきっと多くの人が犠牲になったんでしょ?」
「ええ、多くの辺境の村が魔物の被害にあいまして」
「うんうん。街なんかも大変なんじゃない? 働き手が居ないってのはねえ」
「働き手?」
「だってそうでしょ? 自分の国で、戦う人が居なくなったからわざわざ世界を超えて樹を呼んだんだよね?」
「魔王は勇者様で無ければ倒せないのです」
「うん、だから倒せないと分かるまでに多くの人が挑んだんでしょう? 最初は騎士さんたちかな? あれ、騎士っている? それとも兵士かな。次は20代から50代くらいまでを徴兵かな? でも樹が拉致されたのは15歳だから、10代からも徴兵されたの?」
金髪少女は喋らない。
「もしかしたら数で押せばいけるかもしれないもんね。暗殺なんかも試してみた? 毒なんかはどう? 人型なら食べ物に混入が定番だけど、そうでなくても投げナイフや弓矢もあるもんね。そういった総攻撃を仕掛けても全滅だったのかなと思って。だったら復興大変だなと考えたんだけど」
金髪少女は喋らない。
「ねえ、なんか言ったら?」
私がそう言うと、ようやく悔しそうにこちらを見る。
「魔王は勇者様でしか倒せないと伝承が…」
「いつの伝承?」
「1000年前ですわ」
「そんな昔の伝承だけを信じて樹を呼んだの?」
「勇者様はこの国の英雄なのです。実際魔王を倒してくださいましたわ!!」
大きな青色の瞳に涙をためて、金髪少女はふるふると頭を振る。でも泣きたいのは樹だろう。
「樹がそれ、やりたかったと思う?」
「だって民は苦しんでいましたもの。でも勇者様が来てくださって、皆希望を持ったのです。勇者様はとても慈悲深く、苦しむ民を見て心を痛めてくださいました。そうして魔物を倒し、魔王までも倒して下さったのですよ」
金髪少女は夢を見るような、うっとりとした口調で語る。
「お人好しの樹が、『これだけ苦しんでます、あなたがやらないと皆死んでしまいます』 なんて言われて見過ごせる訳ないでしょ? 私が居たならそんなことさせなかった。あんたたち、みんな滅べば良かったんじゃない?」
「なんてことをおっしゃるの!? それでどれだけの民が犠牲になるか!」
「犠牲になりなよ。だって自分の国でしょ? 自分の世界でしょ? それに樹を巻き込むな。自覚して。あなたたちは誘拐犯、犯罪者。無理やり人を攫って犠牲にした。私の大切なものを奪おうとした。樹がいくら許しても、私はあなたたちを、そしてこの国を、世界を許さない」
金髪少女はギリリと奥歯を噛みしめて、必死でこちらを睨みつける。
「もし例えそうだとしても、それでもたった一人の犠牲で国が救われるなら…」
金髪少女は震える声を抑えながら、それでも強く言い放とうとした。でももうそれ以上、聞く必要は無いかな。
「ダメだよ。そんなのそっちの勝手でしょう。でも結局はそういう事。あなたたちは犠牲を出さずに世界を救いたかった。だから犠牲にカウントしなくても良い生贄を、異世界から攫ってきた。勇者と呼んで、称える振りをして、弱さを見せて感謝して。すっごいね、詐欺師みたい」
暴れだしそうな言葉を一度切り、大きく息を吸った。
「うん。やっぱり敬意は払えない。国にも、あなたみたいな詐欺師にも。だからさぁ、全部壊れちゃえばいいんじゃない」
そういった瞬間に、体を巡っていた力がぐんと増した。力が漲って、膨れ上がり、ローブのおじさんたちも金髪少女も腰を抜かす。
4年だ。
たった4年なのかもしれない。でも樹の犠牲をしょうがないことと思うなら、私が暴れてこの国を壊したとしても、しょうがないことなんじゃない?
善い人も、悪い人も、そうでない人も、みんな傷つくんだろう。でも樹が傷ついても良かったのであれば、私にとってそんなの全部いらない。樹と違って知らない人までも慈しめる心を持っていない。
「翼。翼が怪我したら嫌だから、やめようよ」
膨れ上がった力に飲まれそうになった時、手首に優しい温かさが触れた。
「私、この国が嫌い。この人たちが嫌い。私から樹の4年間を奪った全てが嫌い」
「うん」
「どうでも良いでしょ? こんなの。だって私は樹に背を追い越される瞬間も、一緒に居たかっただけなんだ。やってたゲームの続きをして、疲れたら昼寝して、あの夏の日の続きをしたかった、ただそれだけ」
「そうだね」
「ずっと守ってあげたかった。樹を守って一緒に居たいだけだった」
「勝手に召喚されちゃって、ごめんね」
「本当だよ、バカ樹!」
どんと樹の胸を叩くけど、硬くなった体は揺れなくて、私はくしゃりと顔を歪めた。
「でも、翼は来てくれた」
「4年もたったんだよ? 遅いよ。私が魔王を倒してあげたかった。悲しい経験、一人でさせたくなかった」
「それでも来てくれた。そうしてすぐに、僕を守ってくれた」
樹はぐいっと手首をひいた。指が長い、樹の手。けれど知らないマメがある、樹の手。
「翼はいつだって、僕だけの勇者だ」
そう言って、樹はポロリと泣いた。昔からずっと変わらない、泣き虫樹のまま泣いた。