神秘神通力(しんぴじんつうりき)
ご領主様が手配してくれた馬車に揺られて店に戻ると、くたびれました、と呟いたライデンはそそくさと店から出て行った。
「おやすみー、ライデン。」
「おやすみなさいご主人様、カナ。」
「おやすみなさい。」
店長のレナードさんと同様に声をかけて、私は店の玄関から出ていく緑の蜥蜴を見送る。
そこで、ふと疑問を持った。隣りに立つレナードさんを見上げてそれをぶつけてみた。
「レナードさん。ライデンは夜いつも外へ行くけれど、どんな所で眠るんですか?」
「さあ。ドラゴンは自分の巣穴を主人にさえ明かさない。ただ、それほど遠い場所ではないと思うよ。俺が呼べばすぐにやってくるから。」
「そうなんですか?ペットなのに、巣穴も知らないって・・・それが普通なんですか?」
ほんの少し苦笑した彼は軽くお下げを揺らした。
「・・・元来、ドラゴンと言うのは人に飼われるような動物じゃない。ドラゴンの中には人間を見下しているような種族もいるそうだ。ただ、人にも色々いるように、竜にも色々いて、ライデンのように人間と主従関係を結ぶようなもの好きもいる。彼はそんな変わりものなんだろう。俺は彼と出会えてとても幸運だった。正直、俺は学者じゃないから竜の生態についてそれほど詳しいわけじゃないし、実際、竜のことはいまだに解明されていない謎が多いらしい。」
「でも、ライデンとレナードさんは凄く仲がいいですし強い絆があるように見えます。」
「だから、俺は竜のことには詳しくないけれど、ライデンの事は大抵わかるよ。ライデンが巣穴を俺に知らせないのは、彼なりに考えての事だと思ってるし不便だったこともない。」
「まるで人間みたいです・・・竜じゃなくて、人間の男の子みたい。」
レナードさんが明るく笑った。
「そんなにライデンが気に入ったの。なんか妬けちゃうな、カナちゃん。」
竜の、緑色の目が一瞬赤く光ったときの事を思い出す。
あの時の不気味さを思うと、レナードさんの軽口を笑うことも出来なかった。
「・・・竜って目が赤く光ることありますか?」
「あるよ、割としょっちゅうだよ。一説には、竜が神通力を使うときに赤く光る、なんて言われてるけどね。ライデンの場合は単に生理的にそういう時があるってだけみたい。ライデンは神通力なんて言う程大仰なものは無いってさ。人にも神通力を使う仙人や魔法使いのようなのがいるように、竜もそれぞれ違うんだろ。」
思わず顔を上げて両手でレナードさんの腕をつかんだ。
神通力を使う人がいる。
仙人や魔法使いが存在する。
竜にもそんな力がある。
そんなこと、全然知らなかった。
「どしたの?そんなにびっくりした?カナちゃんだって会っただろ。」
私がつかんだ腕を優しく振りほどくと、彼は逆に私の両手を優しく握った。
「魔法使いなんて、私いつ会ったんですか!?」
「いや、魔法使いじゃないけど、こないだ店に来たじゃないか、シャーロット様が。」
あの、真っ白な髪の人。
「あの人が、魔法使いなんですか!?」
「だから魔法使いじゃないけどさ。だってあの人、全然強そうに見えないだろ。絶対見た目だけならダイカンなんかの方が強そうだぜ。だけど、シャーロット様は誰にも負けたことがない。俺の知る限り、あの人より強い人はどこにもいない。この国の、建国の王様でさえ彼には敵わないそうだ。」
「そんなに強いんですか・・・。」
建国の王様がどれだけ凄いのかは知らないが、レナードさんの言い方はけして誇張ではなさそうだ。
「シャーロット様が魔法使いという話は聞いたことがないけど、あの方の途方もない強さは神通力のせいだと言う人がほとんどだ。風にも倒れそうな人なのに、一度だって負けたことはない。それに、あの人の不思議な雰囲気を見るものを圧倒する。あんなの絶対普通じゃないだろう。」
それは全く同感だった。一目でわかるほど人間離れしたオーラを持っている。
そうか、あの人が魔法使いだというのなら納得も行く。きっとあの人は他の人には見えないものが見えたり、感じられたりするのだろう。
『・・・貴方が、戻らない限り、カーラ姫も戻ることはないでしょう。』
他の人にはわからない私の秘密が彼には見えてしまったのかもしれない。
私がこの世界の人じゃないことを、彼は知っているのかもしれない。
考えこんで黙ってしまった私は、目の前にレナードさんがいることさえ忘れてしばしうつむいた。
「カナちゃん、何も思い出さないで。」
握った手に力を込めて彼が囁くように言った。その声にはっとして顔を上げると、まるでぶつかるようにキスされる。
「レナードさん・・・!」
「俺の傍にいてほしいんだ。ライデンの事も、剣聖様のことも、なんでも知りたいことは答えるけど、そのかわりずっとそばにいて。どこへも行かないでね。」
訴えかけるような声音に胸が痛くなる。
そんな風に言われるのも、思われるのも初めてだから。
出て行けと言われたことは何度もあるのに、傍にいてと言われたことはない。こんな風に切なく訴えかけられたことはない。
「もう二度とお城には上がらなくていい。君がこんな風になっちゃうなら、身代わりの話は断ろう。・・・大丈夫、どうとでも言いくるめて見せるから。」
どうしてそんなに優しいのだろう。
だから、どうしていいのかわからない。
私は何て答えたらいいのかわからなくて、でも何か言わなくてはいけないと思い言葉を探した。
そして、本当の事を言わなくては、と思った。
こんなにも一生懸命自分を思ってくれるのに、嘘をついたり騙したりするのはいけないことだと思った。例え信じてもらえなくても。例えそれを彼が知って、私に幻滅してしまったとしても。
自分に今言えることは、そんなことくらいだと思った。
「レナードさん。私、私は、今日、あの広い宴会会場で、過去の自分を思い出したんです。それで辛くて、気分が悪くなった。」
彼の表情が強張る。
「え、記憶がもどったのかい?」
「元々記憶喪失だったわけじゃないんです。ただ私の話は余りにも現実味がなくてきっとレナードさんには信じてもらえないと思ってました。だからずっと言えなかった。・・・私の話を聞いてもらえますか?」
「どこへもいかないって約束してくれるのなら。」
どこか寂しそうな表情で、レナードさんは答えた。
店のテーブル席に向かい合わせに腰を下ろした。
小さなコップに水を満たしてそっとテーブルに置くと、レナードさんは私の方に向き直る。
「今日、カーラ姫は急な体調不良のために退出した。婚約披露は出来なかったけど、姫が倒れる前にたくさんの人がその姿を見ているからカーラ姫がちゃんと婚約者としてこの国にいることは周知の事実として認められたと思う。そういう意味では完全な失敗というわけでもなかったみたいだよ。ラエル様がそう伝えてくれた。」
「そう、ですか。・・・よかった・・・のかな。」
自分が全く役立たなかったわけではないと知って少し安堵する。
随分迷惑をかけてしまったような気がする。こうしてお城から距離を置き、シン・クレッグの顔の見えないところで話していると、彼らは私に対して何か悪いことしたわけでも何でもないのだということが改めてわかる。
それなのに、私は彼らの依頼を果たせなかったのだ。
「私は嫌われものでした。誰の前に出ても陰口だけでなく面と向かっても悪口言われ、どこへ行っても追い出されるような人間です。あのたくさんの人がいる会場で、私はそれを思い出して、いたたまれなくなったのです。人が自分を見ていると思うと、責められていると感じてしまい、攻撃されると思い込んでしまう。」
「どうして?」
「どうしてでしょうか。もはや理由がどこにあるのかなんかわかりません。ただ、私だから。私自身だからという理由だけでいびられいじめられ続けました。最初は何かきっかけや理由があったのかもしれませんが、・・・何年も何年もそういう目に遭ってきたので。」
「そんなの、理不尽じゃないか。理由もないのにそんな目に遭うなんて。」
「いじめってそういうものでしょう。直接の理由やきっかけは些細な事です。その後どんなに努力してもいい行いをしようと努めても、誰にもまともに相手にされなかった。家族さえ、本気で心配してくれたのは最初だけでした。何年も何年もそういう状態が続くと麻痺するんでしょうね。もうその頃には私は誰にも何にも期待しなかったし、自分のことが大嫌いだったし、どうにかしようとする気力さえ失っていました。そんな人間なんですよ、私は。・・・レナードさんに、いいえ、他の誰にも好きになってもらえるような人間じゃないんです。誰からも嫌われて、生きている事さえ見苦しいと言われてきました。そんな汚らしい奴なんです。」
「そんなことないよ。俺はカナちゃんが大好きだ。働き者だし、凄く素直で可愛いと思ってる。そんな風に言わないで。」
悲しそうなレナードさんの声。
慰めようとしてくれているのだろうか、とても悲しい響きだった。まるで、自分がひどい目に遭ったきたみたいに。
私は生唾を飲み込んでから、再び言葉をつづけた。
「ご領主様の息子さんが、私をいつもいびっていた奴に顔がそっくりでした。だから、あの人に会うのも本当はとても辛かった。どう頑張ってもいい顔は出来ないし、そんな私を見て傷ついたようなシン・クレッグさんが気の毒に思えたけど、自分でもどうしようもなかった。彼自身には何の罪もないことがわかっていても、条件反射みたいに拒否反応をおこしてしまう。むしろ婚約者をなくして同情されるべき立場の人だっていうのに、私はいい顔一つ出来ませんでした。」
「もう、もういいよ、カナちゃん。もう言わなくていい。・・・君がお城に上がるのはどうやっても無理だってことがよくわかった。それだけで充分だ。辛かった昔の話なんか、無理に思い出してしなくていい。」
落ち着いた声音でそう言ったレナードさんを、私は見上げた。
優しい表情で、少しだけ辛そうに、でも微笑んで私を見てくれていた。
「今まで本当によく頑張ったね。君がそんな辛い時代を頑張って生きてくれたから、俺は君に会えた。本当にありがとう。」
目が熱くなったのがわかった。涙が出そうだ。
「もう二度とそんな嫌なところへ帰らなくていいんだからね。ずっと俺の傍にいてね。ずっと俺、君を大事にするから。」
堪えきれず、大きな声を上げて泣き出した私はテーブルに顔を伏せた。
嫌われなかったことだけでも安堵したのに。よく頑張ったのだと、労ってもらえて。頑張ってくれてありがとう、と感謝されて。大事にするから、と約束してくれて。
どうしてこんなにもレナードさんはいい人なんだろう、と何度も心の中で呟いて。それを言葉にすることも出来ずに。
レナードさんはしゃくりあげて泣く私の頭を、いつまでも優しくなでてくれていた。




