緑竜疑惑(りょくりゅうぎわく)
遅くなりましたが、やっと更新です。
短めですが、書けた分だけ上げたいと思います。
誰かが名前を呼んでいる。
誰だろう、私をこんなにも心配そうに呼ぶ声は。
重い瞼を持ち上げると、うすらぼんやりした視界に人の顔のシルエットが浮かび上がる。白い天井に、一つ、二つの頭の影。
『カナ、カナ・・・。』
私の名前を呼ぶ声は、よく知っている人のそれのような気がしたけれど、それが誰だったのか思い出せない。懐かしい声だけれど、思い出せない。顔が見えれば誰だかわかるのに、どうしても見えない。
顔を動かすことも出来ず、指一本動かなかった。名前を呼ぶ声がわずかに聞こえ、はっきりしない視界が見えるだけ。
「姫、姫・・・。」
誰かがまた呼んだ。誰だっけ。さっきとは違う声だった。
「カナ、カナ!しっかりしてください、カナ!」
この声はわかる。ライデンの声だ。緑のサラマンダー、レナードさんの飼い竜。
強く肩を揺さぶられているのがわかった。あまりに強く押されて肩が痛い。
「カナちゃん、カナちゃん、しっかり!」
白い天井だと思っていたそれが、白い天蓋だとわかった。私の顔を心配そうにのぞき込んでいるのは、茶色のおさげ髪の男の子で、もう一人は緑色の小さな頭を持つ彼のペット。
はっきりと意識が戻った事に気が付いた私は、顔を左右に動かした。辺りの様子を見て自分がどんな状況なのかを確認する。
確か私は、カーラ姫の代わりに出たパーティーの会場で意識を失って倒れたんじゃなかったかな。
白い天蓋付きの立派なベッドに横たわっているということは、誰かがここまで運んでくれたのだろう。まさか無意識にここまで歩いてきたわけはないだろうから。
私を挟むようにして身を乗り出している一人と一頭の向こうには、ご領主様のラエル・クレッグさんとその息子のシン・クレッグが立っていた。
「レナードさん、ライデン。」
「ああよかった、気が付いたんだね。具合が悪いのならそう言ってくれればすぐに迎えに来たのに。カナちゃんは無理をしちゃって。」
安堵した表情のレナードさんと緑のドラゴンを交互に見てから、私は起き上がった。
「ごめんなさい、私、会場で倒れちゃったんですね・・・。」
私が動いたことに気が付いたのか、ご領主様とその息子が表情を変えて近寄ってくる。
「大丈夫か?体調がすぐれなかったのか?」
「会場で何かあったか?」
矢継ぎ早に質問を浴びせられ狼狽する。引き気味の私をかばうようにライデンが私のベッドに乗って来た。
「止めて下さい。意識が戻ったからって、質問攻めにしなくてもいいでしょう。」
まるでかばうように、レナードさんが間に入ってくれた。
それが、心から嬉しくて、安堵できる。
今は、特にシン・クレッグの顔を間近で見たくなかった。彼自身には何の罪もないけれど、彼の顔は私の辛い過去を思い出させる起爆剤のように思えてならなかった。
パーティー会場で私を見てさざめく人々も、遠巻きにする人々も、彼らにはきっと何の罪もなかっただろうし、私に対する悪口雑言を言っているわけもない。それなのに私はつらくて息苦しさに耐えかねて気絶してしまったのだ。
レナードさんとライデンに優しくされて、私の事を知らないこの世界に甘えていた私は、過去の事実を突き付けられることに耐えられなくなっていたらしい。
与えられた身代わりという仕事さえ満足にこなせない自分が例えようもなく情けないけれど、どうしようもないのだ。
嫌われ者で、学校の誰にも嫌われた私自身を、誰よりも自分が嫌いだった。
与えられた仕事さえ満足にできない自分が許せなかった。
私の怯えた表情に気づいたシン・クレッグが、さっと顔を青くしてうつむく。
彼が悪いわけではないのに、私はご領主様の息子にあんな顔をさせてしまうのだ。彼にしてみれば、婚約者と同じ顔が自分を見て怯えおののく姿を見れば傷つくだろう。私が同じ顔の彼を見てぞっとしてしまうのと同様に。
申し訳なかった。言われたことさえきちんと出来ず、あんなにも自分の事情に関係のない人を傷つけてしまう自分が情けなかった。
鼻の奥がつーんと痛くなり、目頭が熱くなる。やばい、泣きそう、いや、もう堪えきれない。
「ごめんなさい。」
両手で顔を覆って、泣き顔を隠した。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。役に立てなくて、本当にごめんなさい・・・。」
「カナ・・・!」
ライデンが私の顔に自分の顔を寄せて来る。ぐいぐいと鱗の感触が首筋に強く感じられた。
「カナが謝ることなんかないんですよ!」
ドラゴンの強い口調が、私を慰めようとしてくれているのがわかるけれど。
「そうだよ、カナちゃん。君は悪くないんだ!」
優しく頭を撫でてかばってくれる店長の声音はとても激しいけれど。
泣いている私を見るライデンの表情が、常になく悲愴だったことには気が付かなかった。
温かいお湯を貰って、ほんの少しだけ安堵した気分になれた。
ご領主様たちには遠慮してもらい、ライデンとレナードさんだけが室内に残っている。一人と一匹は片時も私から離れようとしなかった。
「何があったのか、言えるかい?」
ベッドの端に座ったレナードさんが尋ねた。
「ご主人様。カナはまだ・・・。」
口の重い私を慮ってくれたのか、ライデンが割り込む。
この子、本当にドラゴンなんだろうか。どうしてこんなにも人の心の機微に敏感なのだろう。
「言いたくないのなら、無理して言わなくてもいいよ。でも、理由が言えないのなら、また身代わりをやらなくちゃならないだろう?」
正論を言われ、私はお湯の入っていたコップを抱きしめるように胸に押し付けた。
あの苦しかった下着はいつの間にかはずされ、ゆったりしたワンピースのような衣装を着せられてベッドに横になっていたことに気が付いたのは泣き止んでしばらくしてからの事だった。きっと侍女さんたちがやってくれたのだろう、そう願いたい。
ご領主様の息子の顔を見ていると、いじめられていた過去を思い抱いていたたまれなくなる。大勢の人の前に出ると、いびられた過去が脳裏によみがえり気分が悪くなる。
そんなことを正直に言っていいのだろうか。
そんなことを言ったら、レナードさんに嫌われてしまうのではないだろうか。
ライデンも、きっとそんな奴だったのか、という目で私を見るのではないだろうか。
怖かった。
嫌われることが怖くて、恐ろしくて、何も言えなくなってしまう。
折角こんなに優しくしてくれる人に出会えたのに。それを失うかもしれないと思うと、とても言えない。
私は顔を上げることが出来ず、ただただ小さく、ごめんなさい、と呟くしかできなかった。
「こんなことなら、シン・クレッグなんかの所へ来なければよかった。カナはずっと来々軒にいればよかったのです。こんな目に遭わせるつもりじゃなかったのに・・・。」
悔しそうな声で呟く緑の蜥蜴。
うん、今は私もそう思う。そもそも、望んでお城に来たわけじゃなかった。ただ、頼まれたら嫌とは言えなくなっただけで。
宴会はどうなってしまったのだろう。本来主役のはずだった私とご領主様の息子の婚約披露はどうなってしまったか、尋ねる勇気さえ持てない。
あんなにたくさんのお客さんの前で恥をかかせてしまった私は、下手をすれば処罰されても文句は言えないのかもしれなかった。
「カナちゃん、顔を上げて。言いたくなかったらいいよ、言わなくて。ただこれだけは教えて。具合が悪いわけじゃないのかい?病気とか怪我ではないの?」
うつむいたまま頭を左右に振る。
「そう。・・・もう、帰ろう。俺、ラエル様に言ってくるから、ライデン彼女を頼むな。」
「はい、ご主人様。」
ベッドがきしむ音がして、レナードさんが立ち上がり、大きな扉のドアを押し開いて出て行った。
「カナ、カナ。本当に、こんな目に遭わせるつもりじゃなかったんです。カナは優しい子ですね、ご領主様と息子のシンに迷惑をかけたと思っているのでしょう?でもそんなことは気にしなくていいんですよ。悪いのは向こうだ。カナをあんな目に遭わせたあいつの方が悪いんだから、カナは気に病むことなんかないんですよ。」
一生懸命に言い募って私を慰めようとしてくれているのだろう。ドラゴンは普段よりも饒舌な気がした。
「・・・あんな、目って、私を浚ったこと?」
「ああ、ええ、そうですね。そうですよ。身代わりにしようとしたこともそうです。」
なんだか、妙だ。
今の、ライデンの答え方は、奇妙だった。
何か、おかしい。
さっきライデンは、あんな目に遭わせたあいつが悪い、と言った。
だが、私を浚ったのはシン・クレッグの近衛隊の人たちで、彼らの独断だったらしいからシンのせいではない。その日すぐに帰らせてくれたのもシンだ。
「ちょっと、待って?ライデン・・・。」
緑の蜥蜴がじっとこちらを見上げる。鱗と同じ緑色の瞳が、一瞬だけ赤く光った。
「どうしましたか、カナ。」
「あいつ(・・・)っていうのは、シン・クレッグのこと、よ、ね?」
「当然です。カナの不幸はあいつに出会ったことで始まったようなものです。」
「え?私、今不幸なの?」
「不幸だったでしょう、酷い目に遭わされて。」
「バーティー会場で倒れただけだよ?今日に限って言えばどっちかと言うと彼らの方が被害は大きいと思うけど。」
もう一度、ライデンの瞳が赤く光った。
緑色のはずなのに、赤く光るなんて、なんだか不気味だ。
私を見上げる緑の蜥蜴。表情などないように見えて実際はとても表情豊かだ。私は彼の目から目が離せなくなった。
「ライデン、本当に、ドラゴン、なの・・・?」
赤く光った目が、一瞬だけ細まる。鱗に埋もれるように細くなる。
「誰・・・?」
「誰って、レナード様の飼い竜のライデンです。緑色のサラマンダー。」
この淡々とした口調、どこかで聞いたことがある気がした。
ライデンは割といつもこんな感じで話すけれど、私が知っているこの話し方はライデンではない、もっと、身近な誰かの。
何かを思い出しかけた、その時、再び扉が開いた。
茶色のおさげが揺れてレナードさんだとすぐにわかる。
「一度は帰ってもいいってさ。さっさと引き上げよう。歩けるかい、カナちゃん?」
「あ、はい。歩けます。」
ベッドから飛び降りたドラゴンを追うように、私も天蓋付きのベッドから降りた。こんな寝所、私にはなじまない。早く来々軒の屋根裏部屋へ帰りたかった。




