第四章 夏の微熱5
スタートラインに立つ。
心地の良い緊張感が全身に広がって行く。ゴール前、知美がストップウォッチでタイムを計る。哲平が綺麗な弧を描いてバーを越えて行く。
この数日間の出来事が、まるで嘘だったような気がする。早くあずさに会いたい。会って、このことを報告したい。
あずさと一緒にいられる週末が待ち遠しかった。メールや電話なんかじゃなく、直接会って話したい。
給料日後の週末の店内は、うんざりするほど客で賑わっている。時計ばかり気になって、仕事に身が入らない。
ようやく店を出て、黙々と坂道を上って行く。そんな様子を気にしながら、あずさも黙ったまま横に並んで歩いた。
坂道を上りきって、いつもの交差点が見えると、明日歩は歩く速度を落とす。
「少し、話していかない?」
明日歩の言葉に、あずさは嬉しそうに頷く。
二人で、自転車をガードレールに立て掛ける。
「オレ、陸上部に戻った」
「え? 本当。良かった」
一瞬驚いた表情を見せたあずさの瞳から、ポロポロと涙が落ち始める。
「ごめんなさい。私、ああ何で涙、出ちゃうんだろう」
慌ててハンカチを探す明日歩を見て、あずさは鼻をすすりながら笑顔を作る。
「オレは何回、結城さんを泣かせば気が済むんだ?」
やっとハンカチを見つけた明日歩が、差し出しながら言うと、あずさが首を大きく振る。
「私こそごめんなさい。でも私、嬉しくって」
ドクンと、明日歩の心臓が高鳴る。
「オレと付き合って下さい」
自分の言った言葉が、耳の中でわーんと広がって行く。
泣き笑いするあずさが頷く。
体中が熱くなり、心臓が早鐘のように鳴っている。
ヤッターと右手を振り上げて喜ぶ明日歩の傍らで、アジサイが風に揺れていた。
意気揚々と迎えた大会。
当然である結果が待っていた。
自分の甘さを思い知らされた明日歩は、その日、アルバイトを辞めた。
その後、あずさと待ち合わせ話をしている自分が居るのを、至極不思議なな気分だった。
あれほど大騒ぎをしたあれは何だったんだろう、と思う。
あずさが柔らかい笑みで見つめ返してくる。
心が軽くなって行くのが分かった。
それからというもの、明日歩は走ることに没頭し、そこそこの成績を収めることが出来た。
もう悔いを残すことはない、と言い切る明日歩だった。




