第三章 意地とプライド4
明日歩、青春しています。
通り過ぎて行く車のテールランプが二人を照らし出して行く中、沈黙が続いていた。
「はい。中田先輩、私、結城あずさ、ここで一曲歌いたいと思います」
突然何を言い出すのかと思い、明日歩が眉根を寄せる。
大きく深呼吸をして歌い出すあずさに、明日歩は慌てて制止させた。
「急にどうしちゃったの?」
「私、弱っている人の励まし方、この方法しか知らないから。いけませんか? 音痴だけど、気持ちは沢山籠っています」
「うんそれはスゲー伝わってきた。でもここで歌わなくてもいいかな。その気持ちだけで」
「そうですか。残念」
「残念なのかよ」
一頻り笑いあった明日歩が、フッと空を見上げる。
昔もこんなことがあったことを、明日歩は思い出す。
奈緒と喧嘩して、家を飛び出したものの素直に家へかえられずにいた明日歩を、歩が迎えに来てくれた。
ぼんやりと空が滲んで行く。
「親父なら、どうすんのかな、こういう時?」
「そうですね。どうするかな?」
「もし生きていたら、ボコボコに殴られちゃうのかな」
「多分それはないと思います」
驚く明日歩を見て、あずさは微笑む。
「会ったことはないけど、たぶん先輩のお父様だもの、先輩がしたいように見守ってくれると思います」
「そっかな」
明日歩は、言葉を詰まらせる。
「大丈夫。先輩の思うがままにです」
不覚にも涙を流してしまった明日歩は、まともにあずさの顔を見られずに黙って頷く。
「でもこれだけは忘れないでください」
あずさは指でカメラのアングルを作り、明日歩を捉える。
「陸上界の王子様って言われているんですよ。練習してて視線感じたことありません?」
「知らん」
そう答えつつ、知美がぼやいていたことを思い出す。
自分のメニューをこなすことで頭がいっぱいだった明日歩である。顧問とのことがあって、フェンス越しの景色のことなど、まるで頭になかった。
「私も」
言いかけたあずさの携帯が鳴り出す。
あずさがディスプレイを見て、顔を顰める。
「母親からの電話に慌てて出たあずさが、自転車片手に明日歩を見る。
明日歩も立てかけあった自転車を手に、行けの合図を送る。
申し訳なさそうに頭を下げるあずさに、明日歩は笑顔で手を振る。
あずさは喋りながら、横断歩道を小走りで渡って行く。
自転車に跨ったあずさが、向こう側で大きく手を振るのを見て、明日歩は手で払う。
一気に現実に戻された明日歩である。
家の前、明日歩は中へ入るのを躊躇う。
知美からのメールが届いていた。奈緒には何も知らせていないらしい。止めるって言ったのは、一時の気の迷いだったと思っているらしい。あの後、顧問は部員から相当責められたことも書いてあった。全面的に顧問に非があると言い切られ、明日歩は心が痛んだ。
意を決し、帰ってきた明日歩を、何も知らない奈緒が出迎える。
待っていなくてもいいというのに、奈緒はいつもご飯を食べずに待っていてくれる。歩がなくなってから、人が変わったように、服装も動きやすいものを着るようになっていた。
「何? さっきから人の顔をじろじろ見て」
奈緒はデザートにと言って、リンゴの皮をむいていた。
あんだけの啖呵を切っておきながら、どんな顔をして切り出せばいいんだ? リンゴを一切れ口に放り込む。
「だから、何?」
笑って言う奈緒に、明日歩は覚悟を決めて頭を下げた。
「母さん、ごめん。オレ、陸上辞めるかも」
「そう」
あっさり言われ、明日歩は拍子抜けしてしまった。
「怒らないの?」
「何で?」
「何でって? 良いの? 俺、本気で言ってんだけど」
「だってそう決めたんでしょ?」
「そうだけど。本気の本気だよ」
「良いじゃない。明日歩が決めたことなら」
ムキになって言う明日歩に、平然と奈緒は答えた。
予想外の反応に、明日歩は何とも言えない気持ちになって部屋に戻る。
もっと大騒ぎすると思っていた。高校受験の時のように泣かれるんじゃないかと……。




