プロローグ3
どこでもあるような親子の会話。巻戻したくても戻れない大切な一瞬だと気付くのはいつだって、だいぶ経ってしまってからですよね。
全てがハチャメチャだった。
歩は仕事の制服にマントを翻し、レンズを覗き込んでいた。
「明日歩、表情が硬い。て言うか、笑え」
ムッとした顔で、明日歩は歩を睨む。
「その渋面は、今はお預けにしろ。スマイルだよスマイル。分かるか。笑顔作れ。それが幸せの秘訣だ。笑いたくない時にこそ、人は笑うんだ」
無茶苦茶な理屈に、明日歩は腹を立てて、そっぽを向いてしまう。
「よーし、撮るぞ」
大急ぎでセルフタイマーを掛けた歩が、二人の元へ駆け寄って来ると、意図も容易く奈緒を抱き上げる。
キャッと短い悲鳴の後、シャッターが切れる音。
それを数回繰り返し、それぞれ一人ずつの写真を撮った後、この茶番劇から明日歩は解放された。
奈緒が朝食を作りに台所に消えて行き、縁側で歩はコーヒーを啜りながら、上手いと感嘆する。
明日歩も所在無く、歩の横に座り、少し考えてから口を開く。
「何で今日じゃなくっちゃ駄目だったんだ? もう1週間もすれば入学式なんだから、そん時に、1枚撮れば良かったんじゃないの」
コトリとカップを置いた歩が、う~んと大きく伸びあがって立ち上がる。
「なぁ明日歩、この花を植えた時のこと覚えているか?」
歩は沈丁花の前に進み、振り返る。
「ああ」
「早いもんだな。あれから10年も過ぎたんだな。小さかったお前に無理言ってすまなかったな」
「何だよ今更」
「いや別に。ただ一度、謝っておきたかったんだ。あん時、ああ言うしか出来なかったからな。甘えたい盛りに、奈緒は絹代ばあちゃんの世話で忙しくしていたしな、オレはオレで仕事が夜勤に変わっちまって、不安がる明日歩の気持ちを汲んでやれなかったからさ」
「別に、そんなの良いよ」
そうかと言いながら、歩が肩を竦めてみせる。
日差しがまっすぐ伸び、茶の間が明るくなり、中の様子がくっきりと浮き出されて行く。
突風が吹き、歩のマントがひらひらと泳ぎ、甘ったるい沈丁花の香りが辺りに広がるのを、明日歩は思い出し、ふっと顔が綻ぶ。
沈丁花を一厘もぎ取ると、鼻の傍へと持って行く。
「本当、意味が分からない」
呟く明日歩に、歩は声を上げて笑っていた。




