第二章 不滅のヒーロー9
――奈緒は、ハッとして目を覚ます。
テーブルの上に置いた携帯電話が、着信を知らせるように点滅を繰り返しているのに気が付いた奈緒は、頬を緩める。
歩からのメールだった。
(少し遅くなるけど、心配しない様に)
ハートマークが5個も踊っているメールに、奈緒は頬を緩ます。
(何時頃のお帰りですか?)
歩に負けないくらいハートマークをつけると送信ボタンを押し、そのまま携帯を持って、奈緒は庭に出る。
歩に早く見せたかった。赤や紫の朝顔に並んで小さく実ったきゅうりを。
一向に戻って来ない返事に、奈緒は顔を曇らせる。
歩のことだから、慌てて電車に飛び乗って、それっきりになってしまったのだろうと自分に言い聞かせるが、しかしそれにしても連絡がこなすぎる。あれから優に30分は過ぎている。
心配になった奈緒は、もう一通メールを送ってみる。
(何かあったの? 何時、帰れる?)
待っているのがもどかしくなった奈緒は、電話へ切り替えるが……。
強く押し当てた受話器からは呼び出し音が虚しく繰り返され、無機質な音声に切り替わる。
焦りと不安が、奈緒を混乱させていた。
どうしてこんなにも胸騒ぎがするのか、奈緒自身判らなかった。
時計の針は10時を指そうとしていた。
会社に携帯を忘れただけかもしれない、そう自分に言い聞かせながら奈緒は、震える指で会社へと電話を掛ける。
すぐにその電話は繋がり、三枝へと回された。
三枝は三枝で、電話と聞かされ、妻に何かあったのかと受話器にかぶりつく。
「あの、中田がいつもお世話になっています」
それを聞いた三枝は安堵するとともに、何事かと眉を顰める。
「あの、恐れ入りますが、主人は何時ごろ退社いたしましたでしょうか」
自ずと三枝の目は時計を見やっていた。
8時前には、歩と別れていた。ここ2、3日の歩の口っぷりを思うと、もしやどこかで奥さんのためにサプライズを用意しているのではと、三枝は気を回し、自分が遅刻してけりを遅くなってしまったと、大げさに話し、只管に謝る。
どこか、寄り道でもしているのでしょうと言われても、奈緒の不安は消えずにいた。
確かにそう言うときもあったが、奈緒に心配を掛けないように連絡をしてくれていた。ましてや、ここまで電話がつながらなかったことなどなかった。念のため、携帯を会社に忘れていないか調べて貰ったが、それもないらしい。
三枝との電話を切ってからも、奈緒は落ち着かない気持ちで歩の帰りを待って行った。
突然、家の電話が鳴り、奈緒は飛び上がってしまう。
滅多に掛かってくることがない家電に、奈緒は恐る恐る手を伸ばす。
そそっかしい歩のことだから、どこかで携帯を落としてしまったのかもしれない。それならそれでいい。だから連絡が出来なかったと、しょげた声で言う歩を想像しながら、奈緒は受話器を耳に押し当てる。
だが、奈緒の期待は裏切られてしまう。
伝えられた名前に、奈緒の心臓が早まって行く。
何を言われているのか理解できなかった。ただ、心臓の音だけがやけに大きく聞こえ、呆然としたまま、同じ言葉が頭の中で繰り返す。
警察って何?
事故って……。
受話器を置いてからも、震えが止まらなかった。
呆然と一点を見つめ、奈緒は歩の名をうわ言のように呼び続ける。
夜勤が明け、薫子は眠い目を擦りながら一旦は外へ出たのだが、ロッカーに忘れ物をしたことに気が付き、取りに戻っていた。
サイレンが聞こえ、薫子は顔を顰める。
これで、またデートはお預けになってしまうのかと思うと、憂鬱な気分だった。
看護師としては不謹慎だが、子供の搬送じゃなければいいのにと、ついつい本音が出てしまう薫子である。
徐に携帯を取り出す薫子は、前から慌てふためいて駆けてくる事務局長に、まったく気が付いていなかった。
「倉嶋さん、ちょっと待った」
顔を赤らめている事務局長を見て、薫子は吹き出してしまう。
「良いから来て」
行き成り手を掴まれた薫子は、初めて事の重大さに気が付く。
「事務長、何かあったんですか」
「中田君が、時期で運ばれてきたんだ、緊急オペになる。家族代理で承諾書へサインをして欲しい」
「歩が?」
「うちの身分証明書を持っていたから、ここへ運ばれてきたらしい」
「容体は、どうなんです?」
「私にも詳しいことは分からないが、厳しいらしい。榎田先生が、すぐに君を連れて来いって」
冷静沈着の榎田がそこまで言うくらいだとしたら、相当にまずい状態だと悟って取れる。
「ご家族とは」
「警察から連絡はいっている」
処置室に飛び込んで行った薫子は、横たわる歩を見て愕然となる。
「倉嶋か」
「榎田先生、歩の容態は?」
「左が全滅だ。頭蓋骨にも損傷が認められる。助かるかどうか保証は出来んが、手は尽くす。あとで家族にも説明はするが、かなり厳しいオペになると思っていてくれ」
「どうして……何をやっているのよ歩。今日、奈緒さんとデートするんじゃなかったの? どこまで馬鹿ななのよあんたって人は。もう目を覚ましたら、お説教よ。今日という今日は許さないんだから」
「倉嶋さん、ここは榎田先生に任せて僕らは表へ出よう」
事務局長に促され、処置室を後にした薫子は、すぐに気を取り直し連絡とるべき人へ片っ端から電話をし始める。




