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第一章  不良と正義8

 ぐちゃぐちゃになった頭で、明日歩は一つ思い当ったことがある。それは明日歩が六年生の時だった。奈緒の着る洋服が、どうにも許せない明日歩は、わざと授業参観の知らせを見せないことがあった。それはすぐにばれ、奈緒と言い合いになってしまったのだ。確かに、他の母親とは違ってフリルが多い服を着ているのは、分っていた。女子たちに、あのお洋服かわいいなって言われて、悪い気はしなかった。しかし、それが一変する出来事が、明日歩に起こってしまったのだ。いつも愛想よく話し掛けてくれていたクラスメイトの母親たちが集まって、何かを話しているところだった。盗み聞きする気はなかった。通りかかった明日歩のことに全く気が付いていない母親たちは、奈緒の噂をしていたのだ。

 「またあんな格好して」

 「あの人、齢おいくつなのかしら」

 「三十は優に超えているわよね」

 「私の娘だって、あんな格好してないわよ」

 「あら娘さんおいくつ?」

 「17歳」

 「ええ、そんな大きな娘さんがいたの?」

 そこまで聞いて、明日歩は家まで走り帰った。

 家に戻ると、のんきに奈緒が話しかけてきた。

 見ればフリフリの洋服を着ていて、明日歩は、カッと頭に血が上る。

 「明日歩、おやつあるわよ」

 「いらない」

 「どうしたの? 機嫌悪いわね」

 普段、奈緒と仲良く喋っている母親だった。明日歩は恥ずかしさ口惜しさで、涙が止まらなかった。そして思ってしまったのだ。そもそもあんな格好で学校へ来る母親が悪いって。そこから明日歩は奈緒にたてつくようになり、一緒に居たがらなくなったのだ。

 参観日が来るたび、二人は決まって口論になる。

 「くんなったら、くんな」

 「どうしてよ? 親が参観日に行くのは当たり前でしょ?」

 その日も似たようなことになり、二人とも引っ込みがつかなくなってしまっていた。

 「うるせぇ、くそばば。そんな恰好をしている親なんかいねーんだよ」

 目を大きく見開く奈緒を、明日歩は尚更許せない気持ちになる。

 非番で、ちょっと知り合いの所へ行って来ると出かけていた歩が、庭から何事かと顔をひょっこり見せたのは、そんな時だった。

 歩は絶対に奈緒の味方をする。

 何があってもだ。

 明日歩は独りぼっちになった気がして、思わず家を飛び出す。

 冬の初めだった。

 薄着で飛び出してしまった明日歩だったが、帰るに帰れず公園のベンチで丸まっていると、人の気配がして顔を上げると。歩がニコニコとして立っていた。

 叱られると思った明日歩は、すぐに顔を伏せてしまう。

 けど歩は、黙ったまま隣に座って来た。

 フワッと上着を着せられ、抱きしめられた明日歩の目に、涙が込み上げてくる。

 「星が、綺麗だな」 

 明日歩は鼻を啜り、何も答えなかった。

 「なぁ明日歩、明日歩は奈緒のことが嫌いか?」

 好きとか嫌いとか、そういう次元じゃない。常識の問題だ。

 明日歩は俯いたまま、首を大きく横に振ってみせる。

 「あんなことを言うなよ。奈緒、泣いていたぞ」

 泣きたいのは、ぼくの方だ。

 明日歩は、足元の石を蹴る。

 じっと見ている歩の視線を感じ、俯いたまま、明日歩は口を尖らせた。

 「父さんは、あんな格好をされて、恥ずかしくないの?」

 怒った口調の明日歩に歩は、そうだなと腕を組む。

 「確かに、他のお母さんが着ている服に比べて、奈緒の着ている服は可愛らしいけど、それがどうしていけないのかな? 服なんて所詮、肌を隠す道具だろ? 問題は中身だと思うけどな」

 明日歩は、チラッと歩を見る。

 「でも、みんな、笑っているよ。年甲斐もない服だって」

 「そうか、みんながか……」

 うーんと伸びをした歩は、明日歩の肩を抱く。

 「なぁ明日歩、例えば誰かが、奈緒の着ている服が、最新式で格好いいとか可愛いって言うだろ、そしたらみんなが同じ格好をし始める。ファッションってそういうものなんだ。だけど奈緒は、自分の感性を曲げず、貫き通している。それって、素敵なことだと思わないか?」

 「思わない」

 不貞腐れて言う明日歩に、歩はゲラゲラ笑った。

 「みんながみんな、同じだとつまらないだろう」

 「つまらなくても良いよ」

 ブスッとした声で言い返す明日歩に、歩は目を細める。

 「そんなこと言うなよ。奈緒が待っている、帰ろう」

 明日歩の頭を撫でた歩が、ハーと息を吐き出す。

 目の前に目の前に白く広がった行きは、瞬く間に消え、歩がニッと歯を見せる。

 「明日歩、お前もやってみろ」

 言われるままに明日歩も息を吐き出す。

 それは何度か繰り返され、歩が空を見上げながら言うのだ。

 「よく、ため息をつくと、幸せが逃げると言われるけど、オレは悪いことじゃないと思う。こうして、たまには息を抜くのも、大切なことなんだよ」

 

 ゆっくり歩きだす歩の背中が、妙に大きく感じた瞬間だった。

 明日歩には、歩がよく分からなかった。

 いい歳をして、ヒーロー番組を真剣に見たり、あんな恰好をして歩く奈緒を、素敵だと言ってみたり、どうかしていると思う。それに、いつも奈緒奈緒って……。

 明日歩の視線を感じ、歩が振り返る。

 ん?

 首を傾げる歩から、明日歩は何も言わずに、視線を外す。


 そして、一生ぼくには、理解できない、とその時明日歩は思ったのだった。


 だから、歩のあの反応はあながち間違ってはいないことに気が付いた明日歩は、待ち合わせ場所へと足を速めた。  

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