プロローグ1
ヒーロになりたかった父とヒロインになりたかった母の間に生まれた明日歩。
それについていけず、反発を続けるが……。
軒下にぶら下げてある風鈴が鳴り、中田明日歩は徐にそちらへ目を向けた。
開け放った窓から差し込んだ光が、徐々に部屋を明るくしていく。
襖で隔てたその部屋は、座卓が置かれ、所狭しと物が置かれ、昔ながらの茶の間である。
柱や壁にまで、ぎっしりと思い出が詰まっている部屋である。
テレビが置かれ、その横にはキャビネット。
中には、母、奈緒の宝物と言っても豪語ではない品物が並べらえていた。
ほとんどが、父のものであるトロフィーや、なぜかヒーロー戦士のフィギア。そしてたくさんの家族写真。
どこからともなく香ってくる甘い匂いに、明日歩はふっと頬を綻ばす。
「こんな時に不謹慎だな」
独りごちり、母親の顔に布を戻した明日歩は、茶の間へと入って行くと、一枚の写真を手に、庭へ降り立つ。
こんな風に思える日が来るなんて、思わなかった頃の自分が、そこには映っていた。
最後の家族写真になるとは、思いもせずに、そっぽを向く自分に、明日歩は苦笑いをする。
この日は確か、明日歩がもう少しで高校の入学式という三月の終わりだった。
日差しが柔らかい、丁度、今日のような日だったのを、よく覚えている。
毎度お騒げせの父、歩は、何を思ったのかその日は、やたらテンションが高く、帰るなり、庭へカメラと三脚を持ち出したのだった。
そんなことも知る由もない明日歩は、夢うつつ状態でいたのだが、ハッとして飛び起きることになる。
あろうことか、大声で、自分の名前を呼び出したのだ。
朝の8時と言ったら、世の父親が出勤して行く時間だ。当然、往路に面した庭での出来事に、誰もが何事かと目線を送っては出勤していく様を、明日歩は部屋に居ながらにして、容易に想像が出来た。
「ちょっとタンマ。あのくそ親父、何してくれちゃってんの」
明日歩は恐る恐る舌を覗き込む。
おおよそ想像はついていたが、現実を突きつけられた明日歩は、絶句してしまっていた。
垣根から顔を覗かせるご近所さんへ、丁寧に、歩は説明をしはじめる。
何やってんだよ。こんな朝っぱらから。
明日歩は紙を掻き毟り、耳を塞ぐ。
こんなのが日常茶飯事の、中田家なのである。
「あら、兄をしていらっしゃるの?」
「ああおはようございます。朝っぱらからお騒げせして、すいません」
「関根さん、これからごっ出勤ですか? 行ってらっしゃい」
「おはようございます」
いつもこんな感じで人が群がって来るのだ。
複数に膨れ上がった声の主を見ようと、もう一度明日歩は首を伸ばす。
「あら明日歩君、おはよう」
目が合ってしまい、慌てて明日歩は首をひっこめる。
そんな明日歩にお構いなしに、賑やかな話声が庭先で響いていた。
「朝からお騒がせしてスイマセン」
「いえいえ、全然かまわないですよ」
「あんまり天気がいいから、家族写真を一枚撮りたくなりましてね」
「そう言えば明日歩君、もうそろそろ高校生?」
「はい。おかげさまで」
「あら」
隣りの榊さんの声だた。
「おはようございます」
母、奈緒の声が混じる。
「まぁ、奈緒さんはいつ見ても若々しいわね」
「そうでしょう。オレ、この服が一番好きで」
自慢することかよ。
年甲斐もない格好する奈緒が、明日歩は嫌いだった。
ケラケラと笑い合う声。
もはや世も末だ。
明日歩は眉間を寄せ、寝返り打つ。
すべてのものを遮断したくて、頭から布団を被る明日歩だった。
父親は近所で評判が良い。
あまり意識したことはなかったが、何度か、明日歩君のお父さんは格好いいから良いな、と言われたことがある。
みんなが言うからそうなんだろうけど……。
明日歩にとっては最悪な印象しかなかった。いつもおかしな恰好をしている母親ばかり味方するし、ヒーロー番組を食い入るように見ては、明日歩も正義であれ、と言うのだ。
幼いころは、それでも良かった。むしろ、物分かりがいい父親だって尊敬の眼で見ていた時期もあった。しかし、それは小学校上がるまでの話。いくら何でも代の大人がヒーロー番組を真剣に見るっているのはどうなんだろう? 思って当たり前だと、今でも明日歩は確信している。奈緒に何度も注意されても止められないグッズ集め。そこに、男のロマンがるって言ってたけど、結局わからずじまいだった。
そして問題は、母親、奈緒の身なりだった。
何が悲しくて、こんなお姫様ルックをするのか、なぞに過ぎない。
何かの余興ですか?
聞きたくなるその恰好を、平然として街を歩く母親が、嫌いで嫌いで仕方がなかった。
反発もたくさんしてきた。
それでも……。
庭に影が落ち、明日歩は空を見上げた。
白く光る飛行機が一機飛んで行くのが見え、その後を追いかけるかのように雲が伸びて行く。
青く光る空の眩しさと甘い沈丁花の花の香りと、甘酸っぱい思いが伝われば何よりです。




