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33 : Day -32 : Shinanomachi


「で、どこ行くの?」


 サアヤの短い問いに、チューヤは気を使って答える。


「わるいがオヤジの仕事だ。信濃町に寄る。サアヤは病院に残って、ナミさんたち待っててもいいんだぜ」


「いいよ、私がいても役に立たないし。……けどチューヤも、お父さんと仲良くなったみたいで、あたしゃうれしいよ」


 とてとて、とチューヤのやや斜め後方に並んで歩く彼女の、そこは定位置だ。


「べつに仲良くなってはいない。ギブアンドテイクだ。俺はオヤジの仕事をして、オヤジは俺の頼んだ件について情報をくれる。以上だよ」


「はいはい、そーいうことにしといてあげるよ。……で、信濃町ゆうたら学館の本拠地だよね? 危ないんじゃないの」


 サアヤももちろん、ある程度の事情は知っている。

 学館の人々は、個人的にはいいひとが多いが、組織としては……わからない。


「善良な市民が通りかかるだけで危ない場所なんて、この国にありませんぞ!」


「ふーん。ま、善良な行動をしているかぎりはね」


「……その、いつも逸脱してるけどね、って目で見るのやめてくれる!?」


「被害妄想だよ。やれやれ」


 信濃町駅前に立つと、なぜかうすら寒いものを感じた。

 ──信濃町殺人事件の捜査。

 中谷は「約束」どおり、みずから現場に赴くことはしないと決めた。

 だが、自分の意を受けて捜査をする人間まで、制限を受けたおぼえはない。

 要するに、息子に対して、行けデカチュウ!


「というわけで、犯人を捜す」


「なにそれー? チューヤにそんなことできんの?」


「オヤジから捜査資料は届いてる。これ見て、俺もおどろいたよ。死んだのは、なんと六本木のホスト、ジョージさんだってよ」


「……えー? すごく偶然、と思ったら、考えてみれば当然か。あのホストクラブが学館系のお金で成り立ってるって考えれば、無関係ってわけないんだろうね」


 イッキも言っていた。オフダを書いてくれる便利なホストが行方不明だと。

 残念ながら死亡が確定したわけだ。


「だが、そのホストクラブも、べつに学館の手先ってわけじゃない。逆らう人間が出て、それが殺される程度には、ギスギスしたところもあるわけだ」


「やだねー、怖いねー。で、どうするの?」


「……どうしよう?」


 そのとき、パラッと降ってきた雨と冷たい風に、チューヤたちは顔を見合わせた。


「あーめのがいえんー、よーぎりのひびやー♪」


 いつものように歌うサアヤ。

 新川二朗のヒット曲『東京の灯よいつまでも』は1964年のヒット曲だ。


「たしかにここは外苑通りだけど、日比谷は遠いぞ」


 サアヤを連れて小走りにコンビニを目指す。

 スクエアKサンクスを見つけて飛び込み、ビニール傘を買った。

 そのとき、風のようなものを感じて、チューヤは視線を泳がせた。

 一瞬の既視感を信じて、ふりかえる。

 ナノマシンの誤作動か……いや、あの姿は。


「倉田さん……?」


 ぴくり、と肩を揺らした大柄な男が、ゆっくりと体を返した。

 コンビニの出入り口で、視線を交わすチューヤと男。

 その姿に重なっていた老人の姿が遠のくと同時に、ヤクザを思わせる表情が動いて、問い返す。


「倉田だが、きみは……」


「……てか、無道さん!?」


 軽く跳ねて笑顔を見せるチューヤ。

 サアヤにはわけがわからない。

 とりあえず往来の邪魔にならないように、コンビニの庇を借りて横に並ぶ3人。


「ああ、たしかにおれは倉田無道だが、本名じゃないぞ」


「ですよね、てか、倉田さんのKだったんだ……」


 倉田無道。

 霊感が強く、屈強で、プロレスラーの悪役としても知られる人物だ。

 ネットでは霊感部分がフィーチャーされ、一部にファンを獲得している。もちろんチューヤもそのひとり。


()()()()()()()()! あー、そーいえばどこかで見た気がしたよ、私もー」


 サアヤも乗ってくる。

 彼女はプロレスになんの興味もないが、チューヤやリョージの影響で、一般的な女子よりは多くプロレスを見ている。

 そんな彼女もおぼえている程度には名のあるプロレスラー、無道は、邪教、下郎と並ぶ3悪人として、神日本プロレスの興行には欠かせない悪役だ。

 もちろん本物の悪人ではない。だいたい悪役キャラをしているひとは、ほんとうはいいひとが多い、というのは定番となっている。


「……ああ、わかってるよじいさん、どうしても犯人を捜せってんだろ」


 倉田は空中に向かって、つぶやくように言った。

 チューヤの視線が、倉田の視線のさきに重なる。


「……倉田さん。まじか。そんなこと、あんのかよ。()()()()()()()()()


 無道は一瞬、おどろいてチューヤを見つめた。

 いぶかしげに、しかし確固たる口調で、


「もしかして見えてんのか、うちのじいさん」


 霊感が強い寺生まれの無道は、当然のように自分が背負っている祖父の守護霊と、よく話していた。

 世間の人々から見れば不思議な光景なのだろうが、おかげで寺生まれのKさんというキャラがつけられ、無道の除霊ショーも定番化しつつあった。


「伝説の刑事でしょ、クラマのとっつぁん……いや、倉田さん。うちのオヤジの師匠でもありますよ。あ、オヤジ、いま警視庁で組対やってます。中谷です」


 ぺこり、と頭を下げる。

 無道はしばらく黙って、チューヤの言葉の意味、その偶然とは思えない必然の流れを脳内で噛み締めてから、ゆっくりと言った。


「じいさんがよく話してたよ、コロシだけは挙げるケンゾーの話。おまえ、その中谷さんってひとの息子か」


「ま、そういうことみたいス」


「チューヤです! 私は保護者のサアヤです。無道さん、よろしく!」


 いつでも、だれとでも、すぐに仲良くなるサアヤをまじえて、互いの立ち位置が確認された。

 彼らがここに集まった理由は、どうやら重なっている。

 短いやり取りでそれを確認できたのは、なにより無道の守護霊である「倉田」の存在が大きい。


「……ああ、そうだ。倉田真澄、略してクラマのとっつぁんって、みんなに呼ばれてた。いいピッチャーにはなれなかったけど、いい刑事にはなれたって言って笑ってたな」


 コッパ刑事から成り上がったノンキャリの星。

 倉田は、『セブン』のモーガン・フリーマンのような伝説的な刑事として、現在も警視庁に語り継がれている。


 階級は巡査部長どまりで、何年かまえに定年を迎えたが、嘱託でしばらく事務職をしていた。

 小伝馬町あたりに住んでいて、地域の保安に努め、安全指導員なども担っていた。

 リンパ節がんにより昨年、死去。享年67歳。


「いくつか心残りの事件みたいのがあるらしくてな、こうして駆り出されるんだよ、たまに」


 霊界探偵じみたエピソードが、Kさんのサイトにもいくつか紹介されている。

 祖父の倉田さん絡みの案件だったというわけだ。


「心残り、ですか。じゃ、この信濃町にも」


 チューヤの問いに、無道は首を振り、


「いや、こっちは()()()()()さ。……友だちだったんだよ、ジョージとは。おれも寺生まれとかってキャラづけしてるけど、あいつも似たような感じだろ?」


「ああ、ホスト兼陰陽師ですもんね」


 うなずくチューヤ。ホストクラブ絡みで事件がリアルタイムに進行中であることは、警視庁とともに把握している。


「笑っちゃうよな、たまにオフダとかもらったりして、ほんと、仲良かったんだ。あいつが、こんなふうに死ぬなんて、思ってもみなかった。警察に任せりゃいいんだろうけど、でも、おれにできることあったら、なんかしてやりたいって」


「わかります。俺もオヤジから、いろいろ調べること聞いてるんで、よかったらいっしょに……」


「……ああ? だから言ってるだろじいちゃん、おれはプロレスラーなの、警察なんかにはいらねーよ! ただちょっと捜査を手伝うくらいは、市民としての義務だろ?」


 背後霊と会話する無道は傍目にも不気味だが、チューヤたちには倉田の影が見えている。

 残念ながら声までは聞こえないが、できれば聞こえないほうがいいような気もした。




 その道は、不気味な突き当たりだった。

 人通りはなく、通り抜けできそうなところもない。

 都心としてはありえないほど豊かな緑に囲まれた個人宅のようにも見えるが、そうではないかもしれない。

 なぜかストリートビューが途切れていることで、その背景が推察される。

 ここからさきは私道、ということだろう。


「進んだらマズそうな雰囲気ですね」


「ああ、だけどこのさきが」


「ええ。現場げんじょうです」


 現場は、現在発生したばかりで捜査中の案件を指す。現状というニュアンスとも重ねているのだろう。

 これが過去のものになると、同じ字でも現場げんばと読む。


「おまえもケンゾーの血を継いでんだな、だってよ。うれしそうだな、じいちゃん」


「……いや、その。倉田さんの意見、ついでに訊いてもらっていいですかね?」


「ん、ああ。……ともかく、こいつは単発のヤマじゃねえ。脳みそ空っぽにしてんのは、まちがいなくこの近辺の〝組織〟だ。四課を呼べ、ってよ」


 無道のうえに、倉田の影が重なる。

 寺生まれのK氏だけあって、かなり強力な憑代体質だ。

 天然のガーディアン、とみてよいだろう。広い世間には、ナノマシンなんか飲まなくても自在に守護霊を使役する人間も、たまにはいるのだ。


「そんなことは百も承知みたいですけどね、オヤジも。だからこそ、動けないみたいで」


「──やっかいだな。初動でコケると、取り返しがつかんぞ。こっち方面きてねえのか」


 チューヤの記憶にある特徴的なヨレヨレのトレンチコートが、無道の影に重なって揺れている。

 くたびれた老人以外の何者でもないにもかかわらず、その視線は鋭角的に対象をとらえ、地獄の果てまで追い詰める──刑事の目。

 チューヤは、父親と話しているような錯覚をおぼえながら、


「いまは、たしか第六(方面)っす」


「上野か。まあ本店勤務ならおんなじだ。──このさきの道から公園のほうに抜けたって?」


 いまや無道は、ほとんどクラマのとっつぁんの憑代と化している。

 広域捜査では、所轄と本店の共同捜査になる。

 チューヤの父は現在、第六方面(台東・荒川・足立区)を中心に発生している組織犯罪を追っているが、ここ第四方面と絡む、かぎりなく高い可能性が恣意的に排除されている。


「ええ、でもいまは、公園そのものが立入禁止になってるから」


「かまやしねえ。この壁の向こうが公園だろ。乗り越えろ」


 倉田と無道の言葉が重なる。

 チューヤは戸惑いつつ、


「え、でも……」


「さっさとしろ。時間が勝負だ。──裁きを受けさせる。もたもたしてっと小伝馬町にぶち込むぞ」


 生前の倉田が決め台詞にしていた言い回しだ。

 小伝馬町といえば、江戸時代から知られる伝統の牢獄である。

 明治政府によって明治8年まで使われ、死刑や拷問も行なわれていた。かの吉田松陰も、ここで獄死したことが知られている。


「わかりましたよ……」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ」


 ぞくり、とチューヤの背中がふるえた。

 このハンムラビ法典式の「正義」は、チューヤの父ケンゾーが全身全霊で受け継いでいる。

 プロレスラーらしく身軽に、さきに立って壁を乗り越える無道。

 やっかいなことになりそうだ……。



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