1.蘇芳、出会う
ここからは本編以前の過去編です。蘇芳が主人公です。
「はい、そこまで」
武骨な担任教師の野太い声が教室に響く。
教室中で一斉にからんからん、とシャーペンを置く音がして、それからテスト用紙を後ろの席から順番に前に回す。
最前列の生徒を回って教師がテスト用紙を回収し、枚数を確認し、一呼吸おいてからにやりと笑った。
「よーし、テスト終了だ」
「いやったああああ!」
今までの緊張感はどこへやら、全員が喜んで大騒ぎだ。テストに自信がないとちょっと落ち込んでいる女子、後は野となれ山となれと伸びをする男子、みんなそれぞれの反応を見せる。
「ねえ、三丁目の交差点のあたりに新しいお店できたの知ってる?」
「おっきなパフェの写真があったところでしょ?」
「そうそれ! 行こう行こう」
クラスの女子は、テスト終了を口実に今日はダイエットを休むようだ。
男子とてテストの打ち上げに行く気満々だ。仲のよい友達同士、ハンバーガーショップや、隣駅のショッピングセンターのフードコーナーへいく相談をしている。ちょうど正午を回ったところなのだ。
そんな中、蘇芳はひとり机の上を片付けてリュックに詰め込み、静かに教室から出て行った。無言で出て行くその様を見ても、クラスメイトは誰も何も言わない。いつものことだからだ。けれどひとりだけ、それに気づいた生徒がいた。
彼の名前は番匠拓海、つい先月転校してきたばかりだ。
「なあ、あいつ、古川だっけ? いっつもひとりだよな」
「ああ――まあ悪い奴じゃないんだけど」
拓海とつるんでいた男子生徒がちょっと歯にものが挟まったような顔をした。
「なんとなくとっつきにくいっていうか、ほら、外見も目立つだろ? 最初のうちは女子はキャーキャー言ってたりみんな気にしてたんだけど、ちょっと周りを避けてるみたいな感じでさ、いつもあんな風にふーっと帰っちゃうし、今じゃ誰も声かけなくなっちゃったんだよな」
確かに蘇芳は目立つ。
「古川蘇芳」なんて古めかしい雰囲気の名前なのに、外見はどうみても西欧人なのだ。
淡いプラチナブロンドの髪、アイスブルーの瞳、彫りの深い顔だち。なのに話すときは普通に日本語をしゃべっている。
おまけに長身でかなりの美形なので、目立たないわけがない。
「まだ話したことないんだけどさ、古川って怖いの?」
「そんなことないと思うけどな。でも話しかけてもシカトされそうだよな」
「うん」
クラスメイト達の微妙な反応に拓海は「ふうん」と相づちを打って話を打ち切って、これから昼食を食べに行く店の話題にシフトしていった。
昼下がりの公園は、そろそろ人が少なくなっている。子供を遊ばせていたお母さん達もお昼を食べさせに家に帰ったのだろう。
そんな公園の隅にあるベンチにリュックを投げ出して、蘇芳はどさりと腰掛けた。ベンチの背もたれに背中を押しつけて伸びをすると、固まった筋肉がほぐれるのがわかる。公園の入り口で買った缶ジュースを開けて一気に半分ほど飲んだ。
外見が原因で心ない言葉を浴びたことがないわけじゃない。けれどつい人を避けてしまうのは、外見とかそういった理由じゃない。正直、人と接するのが辛いのだ。
人混みは蘇芳にとっては五月蠅すぎる。
様々な人の感情が一斉に襲いかかってきて、なのに耳を塞いでも聞こえ続けてしまうのだ。視力がそんなに悪いわけではないのにかけている眼鏡、これがないと頭が痛くなるほどに他人の声がガンガン聞こえてしまうのだ。
テレパシー。
言葉を交わさなくても他人の思うことがわかってしまうこの力のせいで、蘇芳の頭の中には絶えず誰かの心の声が響いてしまっている。人混みの中になど入ったら、気が狂ってしまうのではないかと思うほどだ。
ただ、なぜか眼鏡をかけている時だけはかなりその力が押さえられ、余程強い心の声でなければシャットアウトできる。ひょっとしたらただの自己暗示なのかもしれないが、蘇芳はこの眼鏡がなければ辛くて一日が過ごせないのだ。
今は眼鏡のおかげでほぼ普通に暮らすことができている。けれど繁華街など人の多い場所はキツいので、学校帰りなどに誘われないよう人から遠ざかっているうちに、それが習慣化し、クラスで孤立してしまっているのだった。
どのくらい時間が経っただろう、どこからか子供の声が聞こえ始めた。もう低学年の子は下校時間なのかもしれない。子供達の心は素直で大人よりもずっとましだけれど、やはり蘇芳にとってはにぎやかすぎる。そろそろ退散しようかと、すっかり空になったジュースの缶を少し離れたところにあるゴミ箱に向かって投げた。
だがカァン、と軽い音を立てて缶はゴミ箱のふちに当たって地面に落ちてしまった。
その時だ。
工作の大きな飛行機を手に持った男の子が通りかかったのは。
「あ!」
男の子は蘇芳を見て、それからゴミ箱の下でまだ転がっている缶を見て、もう一度蘇芳の顔を見た。
「あー! だめじゃんお兄ちゃん! ごみはゴミ箱へちゃんと入れなきゃいけないんだぞ!」
男の子は小学校の低学年だろう。7~8歳くらいだろうか。水色のTシャツにハーフパンツ、背負っているランドセルは少し明るめの紺色だ。彼の言葉にいかにも少年らしい正義感が見え、それがまぶしく感じられる。
「――ああ、そうだね」
ふ、と笑って蘇芳は空き缶を拾ってゴミ箱へ捨てた。それを見ていた男の子が「うん」と大きく頷く。
「よくできました! えらい!」
きっといつも親にそう褒められているんだろう。自然とそう言葉が出てきた感じがする。
眼鏡をかけていても男の子のキラキラしたまっすぐな心が感じられる。いつもは五月蠅く感じるのに、どこか心地良い。
「じゃあな!」
男の子はにぱっと笑って去って行った。何というか、嵐のような勢いのある子だ。蘇芳は男の子が去って行ったあとをしばらく呆然と見送っていた。




