ポッキーゲーム
「では! カンパ~~~イ!!」
乾杯の発声で一斉にグラスががしゃんと合わさる。わいわいと騒がしい居酒屋の中でも、何故か乾杯の声だけは目立って聞こえるのが不思議だ。
その中でも一際賑やかな乾杯の席にはワイシャツ姿の若いサラリーマンの一団がいる。小上がりの座敷で長テーブルを囲み、十数名が思い思いのドリンクを手にしている。
その中にひとりだけ会社の同僚ではない女性が混ざっている。それは。
「いや~、池田さんだっけ? 麻生のヤツ、こんな可愛い婚約者隠してやがって」
「え、いえ、そんな」
「くぅ~~~っ! 奥ゆかしいところがまた可愛いな! おい麻生、おまえ明日から1ヶ月くらい出張行って帰ってくんな。その間に俺が池田さん口説く」
「田中、麻生が怖いからやめろ」
ここは一平の会社近くにある居酒屋。一平の同期社員に優が混じっての飲み会が催されているのだ。
優という婚約者がいることを会社でヒミツにしていた一平だったが、ひょんなことからばれて広がってしまい「連れてこい」と同期の連中につるし上げられたのだった。しぶしぶ同意して優を連れてきたのだが――
(おもしろくない! てか、やめとけばよかった!)
一平は非常に不機嫌だ。なにしろ、同期の男性社員どもは大事な大事な優を囲んで盛り上がっているのだ。おもしろいわけがない。
苦虫をかみつぶしたような顔でノンアルコールのビールをあおっている一平を、優を除いた飲み会メンツがみんなでニヤニヤと眺めていることに一平は気がついていないのだが。
(おもしれえなあ、麻生のあの反応)
(もっとつっついてみようぜ)
適度にできあがってきた頃合いで、メンバーのひとりが鞄から赤い箱を取り出して全員に見せた。
「じゃ~ん! これ、なんだ!」
「ポッキーじゃん」
「そう! ポッキー! 実は今日は11月11日、ポッキーの日なんだよ。そして、ポッキーと言えば~? はい! 小野寺君!」
「はいっ! ポッキーと言えばポッキーゲームであります!!」
ポッキーゲーム。それは、2人が向かい合って1本のポッキーの端を互いに食べ進んでいき、先に口を離したほうが負けとなるゲームである。
紙製の箸袋を使って急ごしらえのくじ引きが作られ、ポッキーゲームをする人を決める。もちろんそれには仕掛けがあって、最初に引かされた一平と優が見事ゲームのプレイヤーに当選してしまったのだった。
仕方なく1本ポッキーを貰って二人で向かい合って両端を咥えた。
「スタート!」
田中の合図でぽりぽり食べ始めるが、一平は気が気じゃない。すぐ目の前にいる優は、顔が真っ赤でちょっと泣き出しそうな表情だ。
(そりゃ、恥ずかしいよなあ。俺だってキスしてる優の顔なんて他の奴らには見せたくないし)
どんどん二人の顔が近づいていって、まわりの男性社員が固唾をのんで見守る中――
ぽきん!
ポッキーはふたりの間で折れてしまった。
「あ~~、残念!」
もちろんポッキーを折ったのはこっそり使った一平の超能力だ。
全員が落胆のため息をこぼす中、一平が優に声を掛けた。
「優、そろそろ帰ろうか」
「え? そっか、明日は試合だっけ」
「それにそろそろ門限だろ? 帰る前にちょっとトイレ行ってくるから待ってて」
「うん」
離れていく一平を見送る優を囲む同僚達は不満そうだ。もうこの二人を帰してしまうなどと、今夜の酒の肴がなくなってしまう。彼らは何とかしてあのいらついた一平をつっついて遊びたいのだ。
「なあ、何とか引き留めようぜ」
「もう一回ポッキーゲームやらせるか?」
「いや、さすがに2回も二人がくじ引いちゃイカサマがばれるだろ」
ごそごそ悪巧みをする同僚達の中で、ひとりが不思議そうな顔をして「池田さん」と話しかけた。
「はい?」
「麻生の奴、明日試合?」
「そう聞いてます」
「ええと――何の試合?」
会話を小耳に挟んだ同僚達が優を見た。一平は会社でほとんど私生活の話をしないので、どうやら誰も知らなかったようだ。
「え? 空手ですよ」
「空手」
「明日の試合、流派の全国大会で結構大事な試合だから体調を整えないとって言ってました。だからほら、今日もアルコール控えてるんですよ」
「全国大会」
同僚達が顔を見合わせる。
「ええと、麻生って強いの?」
「強いですよ。どの大会でも大体ベスト8には入りますし。今は4段です」
「4段、ってすごそう」
「一平さんは『5段までは比較的昇段試験も通りやすい』って言うんですけどね。でも4段は昇段試験を受けられるのが23歳からなんですけど、23歳の誕生日直後に合格してますから、早い方なんじゃないかしら」
試合見に行くとすごくかっこいいんですよ、と優がうれしそうに話す反面、同僚達の顔色が悪くなっていく。
いつも明るく、仕事に対して真面目な一平。ちょっとからかうと反応が面白いから、つい皆で軽口を叩いて彼をからかってしまう。今夜のこの飲み会もそんなノリで企画されたのだが。
一平の心が広くてよかった。全員がそう思った。
そして悪巧みを話していたうちのひとりが弾かれたように言い出した。
「ちょ、ちょっとばかり今日はやりすぎたかな!」
「おう、そんな大事な試合なら引き留めちゃ悪いよな!」
「池田さん、麻生に試合応援してるって伝えてくれる?」
「はい、ありがとうございます。伝えますね」
やがて戻ってきた一平は、どこか引きつったような同僚達の様子を不審に思いながらも、さっさと優を連れて店を出て行った。残された同僚達はほっと胸をなで下ろしたという。
店を出て駅へと続く道を歩く。同僚達から優を引き離すことに成功して、一平は内心ほっとしていた。
「ごめんな優、つきあわせて」
「ううん、ちょっと恥ずかしかったけど、楽しかったよ」
謝る一平に、優はそういって微笑んだ。「恥ずかしかった」の部分はやっぱりあのゲームのことだろう。ふざけた奴らは週明けにとっちめないと、と心のメモ帳に予定を記入した。
「ああ――あのゲームな」
「でも、ポッキー折れちゃってちょっとだけ残念だったかな」
「え?」
「――なんでもないっ! 帰ろ、一平さん」
恥ずかしそうに頬を染めた優に手を引かれて歩き出す。優の言葉の意味をやっと理解して、一平の頬もちょっと赤く染まる。
「続きはあとで二人きりになったらゆっくり、な」
耳元で囁かれた一平の言葉に、さらに真っ赤になってしまった優だった。
当時ポッキーの日に合わせて書いたやつに加筆しました。




