6月、日曜、昼下がり
「ごめんな、今度の日曜はちょっと」
6月のとある週末。デート中に「来週の予定は?」なんて軽く聞いたら、一平が申し訳なさそうな顔でそう言った。優は「そうなの、気にしないで」と笑ってみせたけれども、何か用事があるの、と聞いても一平は曖昧にはぐらかすだけ。ちょっとばかり「怪しい」と思ってしまってもしょうがないだろう。だって、心を読まなくても一平の顔が「優に言えない何かをごまかしている」顔だってすぐわかっちゃったから。
(うん、だからちょっとだけ、どっちの方へ行くのかだけ)
駅の人混みの中、ひとりで改札を入っていった一平を目で追いながら、そう心の中で言い訳をして優も改札を通った。
☆☆☆
一平と会えなくて予定のぽっかり空いてしまった日曜日、優は大きな駅のある町にふらりとウインドウショッピングに来ていた。
今日は父の日、総一郎は出かけて夜まで帰ってこない予定なので、父の日のお祝いは夕食の席でするつもりだ。父の日のプレゼントはもう準備してあるし、夕食の献立だってばっちり決定して買い物も済んでいるから、夕方までは時間がある。
ここは古川家の最寄り駅への乗換駅だ。大きな駅だから駅前も綺麗に整えられ、ロータリーの向こうへと続く通りには店舗が軒を連ね、また駅ビルも充実している。買い物に来るにはもってこいなので、古川家を出た今でも時々電車に乗って来たりしているのだ。
少し疲れてコーヒーショップで休憩している時だった。アイスティーを飲みながらぼんやり窓の外を眺めていたら、見覚えのある姿が通った。
(あれ? 一平さん?)
駅に向かって一人で歩いて行く姿に目が吸い付けられた。こんな人混みの中で、おまけに店の中と外で離れていても気がついてしまうのは、やっぱり誰よりも好きな人だから。
そんな考えにひとり赤面しつつ、つい席を立って後を追いかけてしまった。
(だって確かに今日は会えないって言ってたのに。用事があって出かけるんだ、やっぱり)
どうして優に内緒にしたんだろう。別にすべてを話してくれないと嫌だというわけではないが、あの時あまりに隠してる感じがビシビシ出ていたので気になってしょうがなかったのだ。例えば「用事があって出かけるんだ」と一言聞いていれば優だってそれ以上追求はしないし、これほど気にならなかったかもしれない。
一平は優に気がつくことなく自動改札を通過すると、ホームへのエスカレーターを昇っていった。優はふらふらとその後を追って自動改札を抜けてしまった。
(尾行してるわけじゃないからね。どっちにしろ、そろそろ帰ろうかと思ってたから電車に乗るんだもん)
何となく一平が上っていったホーム前方へ向かうエスカレーターを使わず、もう1本あるホーム後方へ向かうエスカレーターを上がった。上がりきってから一平が上がったエスカレーターの降り口方面に視線を向けると。
(あ、いた)
一平はホームに立ってスマホをいじっている。休日の大きな駅だけあって人が多く、彼は優に気がついていないようだ。
ここの駅のホームはひとつ、上りと下りの電車がホームの両側に来るようになっていて、一平の立っている向きから、どうやら優が帰る方向の電車に乗るらしいことがわかる。
(だから、私も家に帰るために同じ電車に乗るんだから、尾行してるわけじゃないんだから!)
しつこく自分に言い訳しつつ、到着した電車に乗った。
やがて優の降りる駅は過ぎてしまったのに、優はまだ電車に乗っている。
(ああもう完全に尾行になっちゃった……)
ここまで来たら最後まで、と決心する。
ほどなくして一平は電車を降りた。つられて優も降り、改札を出て物陰から様子をうかがっていると、一平が駅前で店に立ち寄るのが見えた。店頭には色とりどりの花が置かれている。
(お花屋さん?)
一平が花を買うなんて思いもしなかった。何を買うんだろうと見ていると、花束を持ってすぐに店を出てきた。遠目なので何の花かよくわからないが、全体的に明るい雰囲気の黄色い花束だ。それをきれいにラッピングして、同系色のリボンがかけてある。
それから一平は慣れた様子で道を歩き始めた。
(あれ、プレゼント用のラッピングだよね? 誰かにあげるの?)
なんだか優は不安になってきた。優は一平から花束なんて貰ったことはない。なのに自分の彼氏はだれかにプレゼントする用の花束をわざわざ家から離れた駅で買っている。
(やだ――どうしよう。もしあれがどこかの女の子にあげるものだったら)
そんなふうに考えたくないのに、むくむくと不安が膨れ上がってくる。もうここまで来たら最後まで見届けないと気が済まない。優はこっそりと後をつけていった。
10分ほど歩いてたどり着いた先は、予想に反して鬱蒼と茂った緑と白いなまこ塀が続く場所だった。塀が途切れた先には古くて重たい木の門が開いていて、一平はその門の中へ入っていった。中を覗くと落ち着いた雰囲気の庭に石畳が延びており、その先に厳かな建物が見えた。
「お寺?」
一平は慣れた足取りで境内を進み、本堂の奥へ回るとさらに奥へ進んでいく。奥の方は広い墓地になっていて、そのまま迷いなく墓地の入り口をくぐっていった。少し遅れて優も入り口を入る。
近くに大通りがあるにもかかわらず静かな境内は、どこか外界から隔絶されているようで気持ちが落ち着く。鳥の鳴き声や風が渡る音、微かに薫る香の匂い。
やがて一平は墓地の中ほどにある墓の前で立ち止まった。優は手前にある大きな木の陰に思わず隠れてしまった。静かな空間に一平の声が聞こえてくる。
「よう、来たよ」
一平は墓に向かってそう言うと膝を落とした。手に持ってきた花束をそっと供えると柔らかく微笑んで、それから墓碑銘に目を向けた。
そこには3人の名前が刻まれている。一平の両親と、妹の環。
「父さん、母さん、環、元気か――って聞くのはおかしいよな。うん、俺は元気にやってるよ」
話しながら刻まれた名前をそっとなぞっている
「今日は父の日だからな、月命日じゃないけど来ちゃったよ。これ、プレゼントな」
どうやら花束の中身は黄色いバラらしい。子供の頃に亡くなったお父さんへの父の日のプレゼントだったのか。そう気がついたら、優は隠れてこんなふうに見ていることがどんどん恥ずかしくなってきた。一瞬でも疑ってしまった自分を殴りたい。
一平がまばらに生えた雑草を片付け、簡単に掃除を済ませて線香を焚く。線香の束からひとまとまりになって立ち上った煙がふわりと空に溶けていく。
もう一度対話するように墓の前にかがんで拝む一平を少しの間見ていたら、優はちょっとだけ鼻の奥がツンとして目頭が熱くなってきた。
(邪魔しちゃだめだよね)
そっとその場を離れて帰ろうと一平に背を向けた時だった。
「優、帰るのか?」
名前を呼ばれてびくっと飛び上がってしまった。振り返るといつの間にか立ち上がった一平がこっちを見ている。まさか気づかれているとは思わなかった。
「こっちにおいで」
一平の声は穏やかで、優が後をつけてきたことを怒っている感じではなかったが、やっぱりうしろめたくて優はおどおどと言われた通りに一平の側まで歩き寄った。
「優、今日は」
「ごめんなさい、後をつけるような真似して」
まずはがばっと頭を下げた。すると下げた頭にぽん、と大きな手が乗せられた。
「いいよ、俺がはっきりどこに行くか言わなかったから気になってたんだろ?」
俺も悪かったよ、と静かに一平が言い、優はますますいたたまれなくなってしまった。
「今日、父の日だろ? 俺が墓参りに行くなんて言ったら、父の日の計画を楽しそうに話してた優が気に病むかと思ってさ、つい言いそびれちまった」
そうだったのか。確かに以前電話でそんな話をした気がする。そういえばその時に「最近の父の日には黄色のバラが定番らしい」と話したと思い出した。
一平が古川の家にすっかり溶け込んでいつも笑っているから、時々うっかり抜け落ちてしまう。一平の実の家族は、まだ彼が幼い頃に全員亡くなってしまったということを。
自分は気の利かない人間だ、と落ち込んでしまう。
「ごめんね、一平さん。ごめんね」
「だから気にすんなって――ほらあ、泣くなよ」
じわりと瞳を潤ませている優を慌てて一平が抱きしめる。指で優の滲んだ涙をぬぐい、額にそっと口づけてくれる。抱きしめられた腕のきつさに幸福感と安堵と申し訳なさが胸一杯に広がって、優の方からも一平の背中へ腕を回す。
少しの間そうやって抱き合っていたが、やがて「やべえ」と一平が腕をほどいた。不思議に思って一平を見上げると、ばつの悪そうな顔をしている。
「いや、両親と妹の目の前だった」
「あ……」
本当に見られているわけじゃないのに恥ずかしくなって一平から顔をそらすと、静かに佇む墓が目に入った。優に霊感はないが、どこか穏やかな気配が漂っているように感じる。
優は一平から離れてそっと墓の前に膝をついた。
「一平さんのお父さん、お母さん、環ちゃん、初めまして。池田優といいます。一平さんとお付き合いさせていただいています。よろしくお願いします」
手を合わせて頭を下げ、目を閉じる。隣で同じように膝をついた一平が同じように手を合わせ、それからぽつりと言った。
「優」
「ん?」
「ありがとな。家族に彼女紹介するなんて、すごい父の日のプレゼントになった」
ちょっとだけ湿っぽい笑顔を向ける一平に、優は答える代わりにそっと彼の手を握った。




