風に揺れる花 前編
少し順番が狂いますが、本編最終話「奇跡みたいに」の直後のお話を投稿します。前・後編です。
ちょっとシリアス、微オカルト入りますので、苦手な方は回れ右で。
また、前後編とも視点が時々切り替わります。
「よ」
大きな白い菊の花束を手に一平は話しかけた。
目の前には冷たい灰色の石。その下にはずっと昔に亡くなってしまった一平の家族が眠っている。花束を供えようとする一平に、一緒に来ていた優が声をかけた。
「待って、先にお掃除するから」
「あ、悪い」
汲んできた水でぞうきんを絞って墓石を拭き、雑草を抜いて植えてあるドウダンツツジを簡単に切り詰める。二人でやればそんなに時間はかからない。
あっという間に綺麗に整えられた墓の前で、一平は改めて花を供えて線香を焚き、しゃがんで手を合わせた。
「父さん、母さん、環。今日は報告があるんだ」
一平は声に出して話しかける。
「俺、優と結婚することにしたよ。この間プロポーズしてオッケーももらった。実際結婚するのはしばらく後になるんだけど――優が大学卒業してからって話に決めたんだ――ちゃんと三人にも報告しておきたくって、さ」
優、ほら、と一平が優を呼ぶ。優も一平の横しゃがんで手を合わせた。
「ご無沙汰しています。優です。その……改めてよろしくお願いします。一平さんのこと、幸せにします」
「おいそれ俺のセリフだろ」
「え、だって」
お互い顔を合わせてぷっと吹きだしてしまった。
「――まあ、どっちでもいいか。とにかく、そんなわけだから。見守っててくれよな」
照れ隠しなのかそんなふうにぶっきらぼうに言って、一平は立ち上がった。優はもう一度手を合わせてからやはり立ち上がる。
「んじゃまた月命日には来るからな」
一平が優の手をとった。優が手にしていた桶と箒を取り上げて持ち、二人でその場を後にした。
まだ火の残っている線香の煙が、風もないのにゆらりと揺れた。
☆★☆★☆
「なあ、優。俺、行きたいところがあるんだけど……つきあってもらえないかな?」
帰り道、一平がまじめな顔でぽつりと言った。優はどこか様子がおかしいなとは思いつつ「いいよ、もちろん」と即答した。
「ありがとな」
ホッとしたように笑う一平の顔は何だか寂しそうで、少しだけ怖がっているようにも見えた。
「ねえ、どこに行くの?」
その問いに返ってきた場所は、古川家からほど近い場所だ。ただそのあたりはお屋敷街ではなく、ごく普通の住宅街。アパートやごく普通の一軒家が林立しているあたりだ。
川に沿って延びる道をのんびりと歩き、途中にある公園の角を曲がる。そこから少し歩いたところに、ぽつんと一カ所だけ空き地になっている土地があった。一平の足はここで止まる。
「空き地?」
「うん……そっか、空き地になっちゃったんだな」
何かを言いたいけれど言葉にならない。こみ上げてくるものを必死に抑えているような、そんな感じに一平の表情が切ない。どこか顔色も白く、そして少しふるえているように見える。
優とつないでいた手にもぐっと力がこもった。
「一平さん……?」
「もうすぐ丸十五年になるんだ」
「え?」
「俺、実はあれっきりここに来たことなかったんだ。薄情だよな、こんな長いこと足向けないなんて」
十五年前、といえば一平は七、八歳くらいか。
そう頭の中で計算してはっとした。
「ここって――ひょっとして」
「うん、俺が小さい頃住んでたアパートがあったんだ」
小さい頃住んでいたアパート。優は息を呑んだ。
一平が蘇芳に引き取られる前、一平は普通に自分の両親と妹の四人家族でここに住んでいた。八歳の誕生日まで。
その日、一平の日常は破壊された。一人の男が自宅アパートに侵入して、家族は全員惨殺されてしまったのだ。生き残ったのは一平ただ一人。犯人はすぐに捕まったが、一平は天涯孤独になってしまった。その後蘇芳に引き取られるのはまた別の話。
「ずっと、どうしてもここに来られなかったんだ。家族の死は認めてるつもりだけど、やっぱり、な。でも、優にプロポーズオッケーしてもらってさ、いい加減そこも乗り越えたかったっていうか……あの事件のこと忘れるわけじゃないけど、もう怖がるのをやめたかったんだ。だからここに来ようと思ったんだけど」
つないだ手が少し冷たい。優はそっと一平を見上げる。
「一平さん、大丈夫?」
「――大丈夫、大丈夫だ」
どう見ても大丈夫じゃない。優は一平の向かい側に回ってそっと空いた手で一平の頬に触れた。
「無理しないで? 顔色悪いよ」
「ごめん……情けない」
「そんなこと言わないで。情けないなんてちっとも思わないよ。だって、一平さんちゃんとお墓参りだって行ってるじゃない、事件に向き合ってないわけじゃないのよ。この場所に来られないこと、私は無理する必要はないと思う」
「――そうかな」
「うん」
一平の頬に当てた手を一平が優しく包む。
「ありがとう、一緒に来てくれて」
優は笑って首を横に振った。
「ね、どこかでお茶でもしよう。甘いもの食べて」
「うん。そうするか」
そう言ってきびすを返す。空き地に生えた草が置き去りにされたように寂しげに揺れていた。
翌日は日曜日。この日も優は一平と会う約束をしていた。
七時に起きて自分と総一郎の朝食。洗濯、掃除はささっと簡単に済ませ、改めてデート用の服を見繕っていた時だった。スマホが無料通話アプリの着信を告げた。
「あれ? 一平さんから?」
メッセージを読んでいる優の顔がどんどん険しくなる。ジーンズに長袖Tシャツ、バーカーというラフな格好のままバタバタとキッチンに駆け込み冷蔵庫を漁り、トートバッグに荷物を詰めていく。
「どうしたんだい、優。なんの騒ぎだい?」
「父さん、一平さん熱を出しちゃったみたいなの。私、お見舞いに行ってくる」
カチカチに凍ったアイスノンをバッグに放り込む。
「熱? そうか、一平くんも一人暮らし始めたばっかりだもんな。看病してあげなさい。私の方は気にしないでいいから」
「ありがと、父さん。行ってきます!」
優は玄関で靴をつっかけると、そのままテレポートしてその場から消えた。
テレポートアウトしたのは一平のマンション、その玄関の中だ。電気のついていない玄関はどこか寒々しく、空気がどんよりと感じる。
「お邪魔しまーす」
一平が寝ているかもしれないので小声でそう言って、静かにリビングに入った。
リビングはまだカーテンも閉め切ったままでやはり薄暗い。引っ越してそう時間もたっていないのでものが少なく、余計寒々しく感じるのかもしれない。
リビングには一平はいない。やはり寝ているのだろう。優はそっとベッドルームの扉に手をかけた。
一平はベッドで寝ていて、ドアを開けた気配に気がついたのだろう、布団のふくらみがもぞりと動いた。
優はベッドに近寄ってそっと一平の額に手を当てた。
「うわ、熱い」
触れた額はあからさまに熱を持っている。持参したアイスノンにタオルを巻きつけ、一平の頭の下にそっと敷いた。
「優……?」
さすがに一平も目が覚めたらしい。
「起こしちゃった? ごめんね。今、頭の下にアイスノン敷いたから……具合、どう? 熱の他に症状は?」
「とにかくだるい。あと、頭痛い」
「食欲は?」
「あんまり……」
「そしたら、イオン飲料買ってきたからそれ飲む?」
「うん。サンキュ」
イオン飲料のペットボトルキャップを開け、ストローを中に入れる。口元に持っていくと少しだけ飲んだようだ。
「ね、今日は私ずっといるからゆっくり寝てて」
「ごめんな、約束してたのに……」
「そんなの気にしないの。早く良くなって、また行こう」
「ん」
そのまままた寝てしまった一平の布団をかけ直して優はベッドルームを出た。
★☆★☆★
一平は見知らぬ場所にいた。
暗いけれど、静かで暖かい。何かに包まれているようでほっとする。
(夢? でもどこか懐かしいような)
ぼんやりそう思ったけれどそれがなぜなのかわからない。わからないけれど、考えるのも面倒になってくるくらい心地いい。
「安心して。恐いことないよ」
物静かで甘やかな声が耳元で囁く。
(そうだな――でも何か……忘れちゃいけないものが)
「いいでしょ別に、ここにいる間くらいは何もかも忘れたって」
(そう……なのかな)
「そうだよ」
誰の声なのだろう。そんな疑問が頭にふと浮かんだ。すごく近しい人のような気もする。でも――
(でも、優じゃない)
誰だろう。
そっと目を開けると、目の前にいたのは優と同い年くらいの女の子。少し明るめの色の長い髪。顔はどこかで見たことがあるような気がする。どこかで――
ああ、思い出すのも面倒くさい。
「私、ずっと会いたかったの」
女の子は懐っこい表情で一平を見つめる。
「私が心の枷を外してあげる」
☆★☆☆★☆
昼近くになっても一平が目を覚まさないので、優は心配になってもう一度ベッドルームを覗きに行った。
寝ている顔を覗くと、朝よりも少し顔色がいい。苦しそうな雰囲気も見られないので優はひとまず胸をなで下ろした。
「一平さん」
起こすつもりはないけれど、小さく声をかけてみる。全く反応がない。
よく寝ているんだろうと考えた。
でも、何かがひっかかる。頭の奥で聞き逃してはいけない信号が鳴っている。
「一平さん? 一平さん、起きて」
一平の肩をそっと揺すってみるが、全く反応がない。
優はどんどん不安が増してきた。
「一平さん! ねえ、起きて」
揺すっても頬を軽くぺちぺち叩いても起きない。
「――っ、一平さん、ごめんね」
優はベッドの脇に座り込み、一平の手を握りしめて精神を集中させた。一平の心を覗けばただ深く寝ているだけなのか、苦しくて起きられないのかくらいはわかるだろうと思ったからだ。
「これは……誰?」
脳裏に浮かんだのは自分と同い年くらいの女の子。ぴったりと一平に寄り添っていて、一平もその子といてリラックスしているように見える。
けれどなぜかわかる。この女の子は――普通の人じゃない。優は背筋に寒いものを感じた。
嫉妬してもおかしくない状況で嫉妬よりも背筋の寒さが気になる。
「一平さんのそばに行かなきゃ」
優は精神を統一してゆっくりと一平の心の中へと意識を沈めていった。
目の前にパジャマ姿の一平が膝を抱えるように浮かんでいる。それに寄り添っている女の子。暗い場所なのに二人が浮かんで見える。
ここは一平の心象風景なのだから不思議なことがあってもおかしくない。
けれど、あの女の子はどこか異質だ。そう優は感じた。
「一平さん」
呼びかけて駆け寄ろうとするが――
どん! と何かにぶつかった。透明な壁があるみたいに一定距離以上近づけない。
ぺたぺた触ってみるとちょうど一平と女の子を囲む球になっているみたいだ。
「一平さん!」
二人をかこむ球を必死に叩く。
「一平さん、起きて! ねえ、一平さん!」
けれど一平は全く無反応。どんなに呼んでも声が届かない。
「ねえ、あなたはだれ? お願い、一平さんを返して」
更に球を叩きながら今度は女の子に呼びかける。すると彼女には届いたようで、ちらりと優を見た。彼女は長い髪をさらりと垂らしてじっと優を見つめていたが「いーだ!」と歯をむき出して見せた。
「やあよ、せっかく会えたのに邪魔しないでよ」
「待って、本当に貴女は誰? せっかく会えた、って」
そのときうっすらと一平が目を開けた。女の子は優を無視して一平に声をかけた。
「起きた?」
「――なんか、だりぃ」
「熱があるみたいだからね」
「熱……?」
「うん。熱で弱ってるから私が近づけたんだけど」
膝を抱える一平の手に頬をすり寄せる。子猫みたいだ。
「寂しかったの。ずっと会いたかった。会ってそばにいたかった」
嬉しそうなその表情はひどく純粋で、優の胸はズキンと痛む。この痛みは嫉妬? 不安? あるいは人ならざる存在だろう彼女に対する恐怖なのかもしれない。
「思い出して、あの頃のこと。『あの日』じゃなくて、私と一緒にいた楽しかった頃のこと」
「君は――」
「ね、お兄ちゃん」
明日後編をアップいたします。




