追跡
「あ、待て!」
一平が追いかけようとしたが、三人はもう影も形も見えなかった。
「蘇芳、追いかけ――」
追いかけるのに居場所を探してもらおうと声をかけたが、蘇芳は茫然自失としている。それはそうだろう、かなりのショックだっただろうから。
一平は部屋を飛び出し玄関に向かった。ばたばたと階段を駆け下りる音に、リビングで待機させられていた夏世が飛び出してきた。
「一平! 何があったの?」
「夏世! 俺の部屋行って! 蘇芳のこと、頼むな」
「え? ええ?」
足を止めずに夏世の前を駆け抜け、玄関でもどかしそうにスニーカーをつっかけて外へ飛び出した。
庭はしいんとしていて、まるで何事もなかったかのようだ。広い庭だから、例えばこのタイミングなら庭のどこかでまだ足音くらい聞こえそうなものだが、それすらない。
三人のうちの誰かがテレポートを使えるんだろう、と推測する。
「一平さん、待って! 私も行く」
優がすぐ後からついてきた。
「だめだ、さっきもう関わらないって決めただろ? 危ないから――」
「それは一平さんも一緒でしょ? それに、私なら清野さんたち探せるよ。だから一緒に行く」
「優、でも」
「ほら、早く! 見失っちゃう」
優が有無を言わさぬ勢いで一平の手を取った。
「――っ、ああ、畜生! そうだな、俺一人じゃ探せない」
「蘇芳さんも今あんな調子だし、非常事態だからしょうがないよ。とにかく行こう」
「ああ。行こう」
二人は顔を見合わせ頷きあって、一緒にテレポートして消えた。
*****
何も考えられなかった。
頭の中は真っ白で、目は開いているけれど何を見ているのかわからない。誰かに呼ばれた気もするが、それすらも認識の外だ。
ぴしゃん!
突然左頬に鋭い痛みを覚えてはっと我に返った。目の前には心配そうな顔をした夏世がいて、彼女の右手が自分の左頬に貼りついている。ひっぱたかれたと理解して、蘇芳はやっと自分を取り戻した。
「あ……夏世」
蘇芳が返事を返したのを見て、夏世がほっと肩から力を抜いたのがわかった。
「蘇芳、大丈夫? 気分は悪くない?」
「うん、大丈夫。ごめん、呆けてたみたいだ」
「みたいね――事情は駿河さんに聞いたわ。光流さんは一平と優が追いかけてった。二人のこともフォローしなきゃいけないし、ちょっとがんばって。あと、番匠さんを呼んだからこれからどうするかちゃんと考えなきゃ」
そうだ。その通りだ。呆けてる場合じゃない。蘇芳は深呼吸をひとつした。
「そうだね。ありがとう夏世、目が覚めた」
そう言った蘇芳の目は、もういつもの理知的な光を取り戻していた。
番匠が入ってきたとき、蘇芳は書斎でデスクに座り、紙に様々な可能性や懸念事項をメモしていたが、ふと手を止めて持っていたボールペンをちょっとかじった。番匠が来たことに気がついているだろうが、目は手元のメモを見たままだ。
「組織は今混乱状態だ。千載一遇のチャンスって奴だな。あの地下施設は東さんたちSRPに押さえてもらったから任せるとして、問題なのは光流たちの行先だ。これは今、一平と優ちゃんが追っている。光流の部下の能力者が投薬の影響で能力を発現させた類の人間なら、薬を飲まさなければ能力は使えなくなる。だから、捕まえてしばらく断薬すれば基本的には問題ない。ただ、光流だけは投薬由来の能力者なのか違うのかわからない。そもそも、彼が能力者だっていう根拠だって、本人の言葉だけだからな――池田博士が地下施設の薬の研究データを破壊してきたから、そうなると組織側に薬の完成品がどの程度備蓄されてるかが問題になるわけで」
「蘇芳」
「SRPは今、地下施設を調査中だ。でもおそらく薬は見つからないだろう。逃げ出すといっても、薬を放置して逃げ出すことは考えにくいから」
「蘇芳!」
番匠がデスクをコンコンコン! と叩いた。蘇芳はムスッと顔を上げて「何だよ拓海」と憮然としている。
「おまえ、ちょっと落ち着けよ」
「落ち着いてるよ」
どこがだよ、と番匠は嘆息する。いつもの穏やかな蘇芳とは大違いだからだ。あからさまにイラついているのがまるわかり、こんな蘇芳を見るのは珍しい。
「蘇芳、そうだな、まずは状況を整理しよう。様変わりしたとはいえ『⒕』って組織は危険な組織であることに変わりはない。ベクトルは違うけどな――元々はSRPと協力して組織をつぶし、清野は東さんたちに任せるつもりだった。俺たちは『SRPの協力者』として経済的な方面からプレッシャーをかけるのが役割のはずで、SRPともそう話し合いがついていた。
ところが清野は蘇芳の実の弟だった。
――蘇芳としちゃ、光流くんの処分が心配なところだろう?」
「そんなことは――」
「一平たちが追いかけて行ったとはいえ、さもなきゃそんな真剣に現状分析しないだろ? だって、本来ならこの先はSRPの領分なんだから。下手に動けば東さんたちの邪魔になるぞ」
蘇芳が弄んでいたボールペンをぴたりと止めて番匠から目をそらす。
「――わかってるんだ。光流をこのまま放っておくわけにはいかない。今現在はSRPのおかげで拠点を押さえて、組織自体が機能できない状態にあるだろうけど、何しろ組織の前身は死の商人だ。薬だけじゃない、兵器や武器だって持っているはずで、いつテロリズムに発展するかわからない状況だ。窮鼠猫を噛む、ってやつだな。
だからこそ、僕の私情だけで手心を加えてもらうわけにはいかない。確かに組織を作ったのは光流じゃないけど、今現在組織を掌握しているのは光流だから」
机の上で両肘をつき、組んだ手に額を乗せるようにして、蘇芳は消え入るような声で話す。番匠は硬い表情で頷いた。
「そうだな。国家権力を巻き込んだ段階で、俺たちは今回の騒動の主役じゃなく『情報提供者』であり『協力者』だ。SRPに事件解決の主導権はあって、実際対峙するのは東さんたちなんだから、任せるべきだ」
まじめくさった顔の番匠だったが、そこまで一気に言うとニヤリと相好を崩した。
「――なんて俺が言うと思ったか?」
番匠はネクタイを外してワイシャツのボタンを二つ外すと、デスクの向かいにある椅子にどっかりと腰かけた。
「拓海?」
「本心を言えよ、蘇芳。光流くんに戻ってきてほしいんだろ?」
「それは――」
一瞬言いよどんだが、蘇芳は言葉を継いだ。
「光流とは、僕がこの家に来た日に一度遊んだだけで、会ったのはそれきりなんだ。けど、僕はあの時の光流をどうしても忘れられなかった。弟がいるって聞いて本当にうれしかったんだ。仲良くしようって思ったよ。
けど、突然いなくなって、どこを探しても見つからなくてここ数年はもう半分諦めてたかもしれない。でも探すのをやめられなかった。
僕は、光流に今まで何もしてあげられなかった。だから、何とかしてやりたい。光流をただ無罪放免にして一緒に暮らす、なんてのは無理だってわかってる。罰を受ける必要があるなら、せめて少しでも軽くできるなら――
正直、それ以上何を望むことが許されるのかわからない。兄らしいことをひとつもしてやったことがない自分の罪滅ぼしにすぎないのかもしれないけど――ごめん、これ以上自分でもわからない」
部屋に沈黙が流れる。蘇芳は大きくため息をついて手にしていたボールペンを机上に転がしてしまった。番匠は考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「SRPとしても国としても、組織の連中が扱ってるのが『超能力者を作る薬』だから、表沙汰にするわけにはいかないだろうし、組織が完全に壊滅しても構成メンバーたちが闇に葬られる可能性だって捨てきれない。残酷なようだけど光流くんだって捕まったらどうなるかわからない。
けど蘇芳、俺たちは『情報提供者』だ。SRPとは協力体制にある。その上政財界に太いパイプも持っている。なら、おまえの言葉は無視するわけにはいかないだろう」
ただ、と番匠は続ける。
「個人的には光流くんも構成メンバーも、相応の罰は覚悟するべきだとは思う」
「――うん、そうだね」
「しっかりしろよ、蘇芳。おまえが光流くんの目を覚まさせてやれ。その後どうなるかはわからないけど、今集中すべきことはそこだろ? 先を心配するのはもう少し後でもいいだろ」
番匠の言葉はいつも自信に満ちていて、迷ったときにポンと肩を叩いてくれる。蘇芳はうれしかった。
「ありがとう、拓海。そうだね、悩むのは後に置いておくよ。ちょっと目が覚めた」
「ちょっとかよ」
顔を見合わせて二人で笑った。




