清野の正体
「ヒカル――ヒカルなのか?」
蘇芳は幼いあの日、数時間一緒に遊んだことのある弟の面影を清野に重ねた。駿河も同じ考えらしく、驚き動揺した顔で清野を見ている。
「え、ヒカルって蘇芳がずっと探していた弟?」
一平が驚いたように蘇芳と清野を交互に見比べる。清野はうっとりした顔で微笑んだ。
「兄さん……やっと会えた」
つっ、と足を前に進め、清野が蘇芳に近づく。蘇芳も清野に向かって一歩踏み出した。優も一平も蘇芳を止められない。
二人まっすぐ歩み寄り、手の届く距離で止まった。
「ヒカル――ヒカル。探したよ。どうしてたんだ、今まで」
蘇芳が清野の腕を掴む。その手に清野がそっと自分の手を重ねる。
「兄さん。俺は小さかったけど、兄さんと無理やり離されてから、ずっと兄さんのことが忘れられなかったんだ。兄さんは俺にやさしかった。やさしくて、頭もよくて、かっこよくて、俺はずっと兄さんと一緒にいたかったのに、あの女が」
清野の顔がゆがみ、重ねた手をぎゅっと握ってきた。あの女、とは紘代のことかと蘇芳は悟る。
「紘代さんは……?」
「死んだ。自分がすべてを放棄してしまったくせに、その捨ててしまったものに延々と執着し続けた薄汚い女だったよ。俺を兄さんと引き離したんだ。罰が当たったんだよ」
清野はそう言って冷たい微笑みを頬に浮かべる。それを見ていた優も一平も、背筋がぞっとするような微笑みだった。
「なんでこの家に戻って来なかったんだ。ここはヒカルが生まれてからずっと住んでた家だろう?いつだって帰ってくれば」
「――あの女はこの家を飛び出してすぐ、男を作ったんだ。あんなに息子を古川家の正式な後継にとか言ってたくせに、ねえ。結局男に貢いで死んじゃったよ。軽率で馬鹿な女だったんだ――俺はその男に育てられたんだ。
でも何年かして、どうしても兄さんに会いたくてここへ来たんだ。そうしたら――」
蘇芳に向けるものとは全く違うきつい視線が一平に向けられる。
「こいつが俺の代わりに入り込んでいた。俺の代わりに、入り込んでいたんだ! 俺のものだったはずの兄さんの信頼も笑顔も、弟っていう立場まで奪ったんだ!!」
はあはあと荒く息をつきながらヒカルが一気にまくしたてた。
「門の鉄柵の隙間からのぞいたら、俺よりちょっと小さい男の子が庭で遊んでいた。しばらく見ていたら兄さんも来て、いつか俺としていたように一緒に遊び始めた。俺がどれだけ悲しくて悔しかったか――!
俺の代わりだって思ったよ。もうここに俺の居場所はない、あの子に取られちゃったんだって」
外でざわっと風が吹き、ヒカルが割ったガラス窓から大きなかけらがカチャン、と音を立てて落ちた。
「この家にはもう俺の代わりがいたんだ! 俺は必要なくなっていた! 麻生一平! おまえが入り込んだせいで!」
蘇芳は何かを言わなきゃと思ったが、どうしても言葉が出てこなかった。
一平を引き取ったのは、決してヒカルの代わりなんかじゃない。けれど今それを言ったところでヒカルには届かないだろうし、蘇芳が一平をかばって言っているようにしか聞こえないだろう。
自分が探していた弟に辛い思いをさせていたことに愕然とする。
再び沈黙が部屋を支配する。
が、その沈黙を破った声は駿河の声だった。
「光流様。蘇芳様はあれからずっと光流様を探していらっしゃいましたよ」
駿河の声は少し上ずっている。いつも穏やかな口調を崩さない駿河がこんなふうに感情を出すのは珍しい。けれど考えてみれば、光流は生まれてからずっと古川家にいたわけなんだから、駿河は光流が赤ん坊の頃からいなくなるまでずっと一緒にいたはずだ。ずっと心配していたに違いない。
駿河は続ける。
「一平様を引き取られた後も、決して光流様のことを忘れていたわけではないのですよ。
確かに蘇芳様と一平様は実の兄弟のように仲がよろしいですが、そこのところはお二人ともわきまえていらっしゃいます――一平様の苗字が『古川』ではなく『麻生』のままなのはどうしてだとお思いですか?」
一平と蘇芳は表情を変えず黙っている。駿河の言っていることが真実なのだと証明するようなものだ。
だが、光流にはそうではなかったようだ。
「う、うるさいぞ駿河! そんな取ってつけたような言い訳をするな! 俺は麻生一平を排斥して、兄さんのための国家を作るんだ」
「こ、国家?」
「そうさ、兄さんを国家元首として、新しい人類のための世界を作るんだ。兄さんみたいに素晴らしい人を一企業のトップなんかにしておくのは世界の損失なんだよ。そのために俺は計画して組織を変えたんだ。兄さんのために働く軍隊を作って、兄さんの地位を盤石なものにして、世界を変えるんだ。そうすれば兄さんは俺を認めてくれる」
支離滅裂だ。
蘇芳も一平も、光流の考えが根本からおかしいことに気がついていた。
なぜ突然国家転覆とか、新しい人類のナントカとか、そんな極端で過激な話になるのか。そもそも光流は蘇芳のことをまるで神格化しているようだ。盲信している。一体、何をどうしたらこんなになってしまうんだろう。
けれど二人とも目の前に突きつけられた光流の気持ちに負い目を感じてしまっていて、何も言うことができずにいた。
「何、それ」
そこへ震える声で口をはさんだのは優だった。
「ちょっと待って。どうしてそうなるの? おかしいでしょ。大体あなた、蘇芳さんを崇拝してるっていう割には蘇芳さんのこと何もわかってないじゃない」
「何だと?」
「そんな手土産がなきゃ迎え入れてくれないような心の狭い人じゃないって言ってるの。こんな短い間一緒に住んでるだけの私にだってそれくらいわかるのに」
優の言葉を聞いて「ふん」と光流が鼻で笑った。
「おまえには関係ない、P7」
「関係ないからこそ口を出すの。そもそも関係がないかどうかも問題だけど――さっきから聞いてれば、まるで子供のかんしゃくじゃない。話をややこしくしたのは他の誰でもない、清野さんよ」
「――なんだと?」
「そうでしょ? 真正面から当たって蘇芳さんに拒絶されるのが怖いから逃げただけよ。そりゃ確かに清野さんは辛い思いをしたのかもしれない。でもそのために一平さんや南美を傷つけたことを私は許せない」
優の手は拳を握りしめ、小刻みに震えている。
が、清野がぐっと腕を伸ばし、震える優の襟首をつかんだ。
「言いたいことはそれで全部か?」
「ぐ――っ」
「優! 清野、その手を離せ!」
首を絞める光流の手を一平が振りほどこうとするが、予想以上に強い力で握っているようでほどくことができない。
「よく言った、P7。このまま連れて帰って、予定通り働いてもらおうか。そうだな、内臓さえ元気ならいいんだから、手足切り落として監禁してやるか」
「っざけんな!」
一平が激昂して、力任せにPKで光流を弾き飛ばそうとする。が、光流は何事もなかったかのように優の首を絞めたままだ。
「能力が効かない!」
「光流! やめろ、手を離すんだ!」
蘇芳も駆け寄る。そのままもみ合いになり、結局全員がバランスを崩して倒れてしまった。その勢いでやっと光流の手から解放された優は、げほげほと苦しげに咳をしてうずくまってしまった。
「優、大丈夫か?」
一平がすぐに優の背中を抱き、光流と距離を取った。背中をさすると優も頷いて無事を知らせる。すぐ横では蘇芳と光流も起き上がり、ぶつけたのだろうか、腕や腰をさすっている。
さすりながら蘇芳が光流の目をまっすぐに見た。
「光流、だめだよ。そんなことをしちゃだめだ」
「兄さん、だって」
「僕には軍隊も国も必要ない。今のままで満足なんだ。光流がただ帰ってきてくれればそれで」
光流がぐっと言葉に詰まった。蘇芳は立ち上がり、右手をすっと光流に差し出した。その手と蘇芳の顔を見ていた光流は、どんどんその表情を険しくしていった。
「兄さん――また俺を否定するのか? 麻生一平を家に迎え入れた時みたいに」
「光流、違う。僕は君を否定しているわけじゃ」
「ああ、そうだよね。否定じゃない――でも、認めてくれたわけじゃない」
光流は蘇芳の手を取らずにひとりでゆっくりと立ち上がった。そしてゆっくりと割れた窓に向かってこちらを向いたまま下がっていく。
「だから、認めさせてみせるよ。俺は間違っていない!」
外でゴウッと強い風が吹いた。割れた窓から昼間よりも格段に冷たくなった風が吹き込んできて、半分ほど閉めてあったカーテンがばさり、と大きく舞う。
そしてそれが舞い降りた後には新しい人影が二つ、窓際に立っていた。
「清野さん! ご無事ですか」
男の大きな声に優がびくり、と体を硬くする。人影のうちの一人があの大沼だったからだ。もうひとりは初めて見る顔の小柄な男だ。
二人は光流をかばうように立った。小柄な男が光流を連れて窓際まで下がり、大沼が二人を守るように立ちふさがる。
「光流! 待って」
蘇芳が呼ぶと光流は立ち止まって振り返った。
光流はもう落ち着いた表情をしていたが、目の奥に宿る光は変わっていない。そしてぞっとするようなきれいな微笑みを浮かべる。
「待っててね」
そして三人は窓の外へ消えた。




