襲来
翌日、南美は学校があるので、自宅に一旦戻ってから登校することになった。何しろ昨夜は犬の散歩中に古川家へ来てしまったので、制服もかばんも家に置きっぱなしなのだ。ついでにお泊りセットを自宅から持ってくることになっている。
昨夜は遅くまで二人で語り明かしてしまった。眠い目をこすりながら早朝に起きて、優が準備した朝食を食べ、六時過ぎに古川家を出た。
蘇芳の好意で駒村運転手の車で送り迎えをしてもらえることになっている。
「私、南美を送っていっていいですか?」
心配性の優はそう言って一緒に駒村の運転する車に乗り込んだ。
蘇芳の家から南美の家までは車で三十分ほど。この時間は交通量が少ないので、予定より早く着いてしまった。マンションで南美を下ろし、支度が済んだら南美はいつも通り電車で登校することになっている。駒村はこの後の予定があるらしく、南美を下ろしたらすぐに帰らなければならないのだ。
優は南美を駅までエスコートしたらテレポートして戻るつもりだ。本当は学校までついていきたいが、さすがに他の生徒に姿をみられるのはまずい。まだ今のところ優は行方不明になっているので。
「南美、学校でも何かあったら絶対連絡して」
「うん、ありがとう。帰ったら一緒に勉強しよう」
「ええ……多分無理。まだ勉強範囲、追い付いてないから」
優が普通に学校に通っていた時はこんな風に南美とおしゃべりしていた。あの頃がもどってきたみたいで甘酸っぱい気持ちになる。
もう南美と会ってはいけない理由はなくなったんだから、むしろ積極的にそばにいなきゃ。理由はともあれ、親友と会えることは優にとってはうれしいことだった。
だからちょっと浮かれていた。
駒村の運転する車が南美のマンションの前に静かに停車する。二人で車を降り、駒村を見送って軽く手を振った。
そうしてマンションの正面入り口から中へ入ろうとした、その時。
軽快な電子音がして、南美のスマホに電話がかかってきた。
「誰だろ、こんな朝早く――っ」
言いながらポケットからスマホを取り出し、画面を確認して――南美が固まった。
「清野さん?」
「え」
南美はスマホが鳴っているのを数コール聞いていたが、意を決したように通話ボタンをタップした。
「もしもし、清野さん」
優からは清野の声は聞こえない。優は黙って様子を見ていた。
「――うん、昨日は友達のうちに泊まって――うん、そう。今どこ? 私、清野さんに聞きたいことがあるの」
一言一言かみしめるように南美が問いかける。
と。
「ここだよ」
スマホではなく、少し離れたところから声が聞こえた。マンションの陰から歩いてくる青年が見える。眉目秀麗という言葉が嫌味なほどに似合う、けれどどこか冷たい雰囲気を持った青年だ。
「清野さん」
「おはよう、南美」
言いながら清野は自分のスマホの通話を切る。南美と優、二人をじっと眺めて「ふうん」とひとりで納得したような顔で頷き、視線を優に向ける。
「それからおはよう、P7」
「P……?」
南美は何のことだかわからない様子だったが、優はその一言で険しい表情になる。全身で警戒をあらわにし、南美をかばうように背後に隠す。
「あなたが清野さん。一平さんを呼び出した張本人ね?」
言いながらじりじりとマンションの入り口の方へ動き、南美に中に入るよう手振りで促す。けれど南美はその手をおさえ、清野に向かっていこうとする。それをまた優が押しとどめる。
「ま、待って清野さん、教えて。私、まだ信じられない。清野さんが麻生さんを攫ったの?」
「攫ったなんて人聞きの悪い。丁重にお預かりしているだけだよ」
「――!」
「さて、これで君の役目は終わりだよ、南美」
清野の目はひどく醒めて冷たい。少なくとも恋人を見る目とは到底思えない顔だ。
南美が言葉を失って立ち尽くしている。わずかでも彼を信じたいと思っていた気持ちを本人に砕かれたのだ。南美の心が引き裂かれ、突き落とされて悲鳴を上げているのが優に響いてくる。
「さて、P7。君には一緒に来てもらおうか。麻生くんもお待ちかねだよ」
じり、と距離を取ろうとすると清野がじり、と距離を詰める。
優の頭の奥で警鐘が鳴り響く。逃げなきゃ、この人は――怖い。
南美の手を掴み、一緒にテレポートして逃げようと精神を集中する――が、なぜか失敗した。
(跳べない? なんで?)
何度かやってみたけれど駄目だ。ならばまずするべきことは? それは南美の安全の確保だ。
清野は「役目は終わり」と言った。清野が組織の人間だということがはっきりした今、それを南美に言うということはつまり「南美は用済みだから消す」と宣言したようなものだ。
「南美、ここから逃げて」
「え」
「逃げて蘇芳さんか夏世さんに連絡して助けを呼んで。私は大丈夫、清野さんをここで押さえておくことくらいはできるから」
テレポートできないことは伏せて、逃げるように促す。南美は逡巡したが、言われた通り踵を返して逃げ出した。
「いいよ南美、逃げても。まあ二兎を追う者は一兎をも得ずって言うしね」
清野が余裕の表情でそううそぶいた。その態度に腹が立ち、そして底が見えなくて怖い。
「ずいぶんと寛大なのね、南美を逃がすなんて」
「うん、人質としては価値があるけど、君に言うことを聞かせるだけならこっちには麻生くんがいるからね。そもそも彼女には言いふらしたって問題ない程度のことしか教えてないし」
「――下衆」
「誉め言葉として受け取っておくよ。それにしても思ったよりばれるのが早かったなあ」
ちっともそんなことは思っていないのがありありとわかる口調で清野が言った。ちょっとカチンとくる。
「いいかげんにして。それより南美に近づいたのは、南美を人質にするため? それとも」
「ご想像にお任せするよ」
「一平さんは無事なの? ううん、そもそもあなたが一平さんを捕まえてるって証拠はあるの?」
「無事だよ。証拠は、そうだなあ――ほら、これ」
清野がもう一度スマホを取り出して操作し、一枚の写真を見せた。
一平がアスファルトの上であおむけに横たわっている。目は閉じていて、気を失っているようだ。優は思わず息をのんだ。よく見ると右腕に傷があり、血が流れているのが見えた。
「一平さん!」
悲鳴をあげてスマホに手を伸ばそうとしたら、清野がスマホの画面を消してしまった。
「わかったか? 彼がどんな状態かは自分の目で確かめるといい」
「まって、まだ話は終わっていないわ。どうして一平さんを攫ったの? 南美が人質なら、一平さんじゃなくて直接私を狙えばいいじゃない」
「彼には別口で縁があるって話したはずだよ。覚えていてくれるかな」
「――『J』!」
あの山の中、施設ごと崩落する山を見ているときに話しかけてきた、冷ややかな声の主。当分は手を出さない、と言っていた張本人。じわりと優の手が緊張で冷たくなってくる。
「覚えていてくれたか、光栄だね」
「じゃあ南美が一平さんと偶然会ったっていうのもやっぱり」
「ちょっとばかりそこは仕掛けをさせてもらったよ」
つまり南美が予想した通り、すべては清野の手のひらの上だったということか。
「もういい? 俺もそう気が長い方じゃないんでね」
優に選択肢は少ない。けれどもちろんここでおとなしく捕まってやるわけにもいかない。夏世とも約束した。
さっきテレポートが失敗したあたりから蘇芳や夏世にテレパシーでコンタクトを試みているが、これもまた失敗している。ひょっとしたら広範囲をカバーするバリアシステムでも用意したのだろうか。
つまり、ここはひとりで切り抜けるしかない。
「――ついてこいっていうけど、ここで私が清野さんを捕まえたら形勢逆転じゃない?」
おや、と清野が目を丸くする。
「そういう手もあったね。でも、重要な人質であり貴重な生来の能力者である麻生くんと交換できるほど、俺が組織にとって価値ある人間かどうかわからないよ?」
「やってみなくちゃわからないでしょ」
じりっと張りつめた空気があたりを支配する。だが緊張しているのは優の方だけで、清野は「いつでもどうぞ?」と言わんばかりに軽く両手を広げて見せている。バリアシステムで妨害されているなら能力は使えないかもしれない。けれど対抗手段はこれしかないんだからやってみるしかない。
スッと精神を集中し、力を発動させる。辺りから細かい砂利や絵だがざあっと舞い上がり、怒涛の如く清野へと殺到する。
ざあああっ!
津波のように襲い掛かった土砂が清野を飲み込んでいく。だが、まるで透明な盾に守られているように土砂は清野を避けて、あるいは落ちていく。
「バリアシステム?」
「まあそんなものだね。さて、俺はあいにく肉体労働は苦手でね。選手交代させてもらうよ――萩原、出番だ」
最初に清野が現れたマンションの影から小柄な男性が出てきた。伸ばした髪を軽い茶色に染めた、優と同じ高校生くらいの少年だ。耳には十字架をかたどったピアスをして、ファッションもストリート系。有り体に言ってヤンキーっぽい。
「あんたがP7かぁ」
だるそうな口調でだるそうに声をかけてくる。優はあわててそちらへ注意を向けて身構える。
この萩原という男が能力者かどうか、もし能力者ならどんな能力を持っているかわからない。相手の一挙手一投足に注意を払い――
急にぐらりと世界が揺れた。
(しまった! 暗示か何……か……)
相手の目をまっすぐ凝視してしまったのが仇になった。おそらくそういう能力者なのだろう。けれど気がついた時には既に遅く、視界は暗転し、優を取り囲む世界は閉じて行ってしまった。
*****
「蘇芳、ちょっと」
出社早々番匠が話しかけてきた。いや、秘書なのだから話しかけるのは当然なのだが。蘇芳、と呼びかけたからにはプライベートな用件なのだろう。
「おはよう拓海。どうした?」
「以前一平が捕まえた男がいるだろう。ほら、学校で」
「ああ、あいつ。名前何て言ったっけ、なか……中山?」
「中島。んで、その中島からちょっとばかり興味深い話を聞いてね」
コーヒーメーカーで淹れたコーヒーを二つのマグカップに注ぎながら番匠が言う。
「あいつ、金で寝返って今こっち側の情報屋やってるんだけど」
「え、そんな簡単に?」
「ああいう男の情報だからどこまで信用していいかわからないけど、中島が言うには、どうやら組織の中に派閥が出来てきたみたいなんだ。表立って組織のトップと対立してるわけじゃないけど、メンバーの心をがっちり掴んでいる男がいて、水面下でそいつの信奉者が増えてきてるらしい」
「つまり、今までの『⒕』の幹部とは何か違う考えを持ってるってことだね?」
「みたいだな。現幹部が徹底した『闇の武器商人』をやってるんだけど、その男は『超能力を持つ者こそはより新しい優秀な種族』みたいな考えみたいで」
「新興宗教みたいだな」
「まさにそれ。まずはそれがひとつ。もうひとつあるんだけど、その前に確認させてくれ。優ちゃんは薬を常用しているか?」
「薬? いや、していない」
「――中島は薬を飲まないと超能力を使えないと言っている。使いたいときに飲むそうだ。個人差はあるかもしれないが、この違いは何だ?」
組織についての情報を得て秘密を解明しようとすればするほど新しい謎が出てくる。蘇芳と番匠はお互いの情報をすり合わせ始めた。
「中島は組織にスカウトされるまでは普通の人間だったらしい。スカウトされて薬を飲まされて、そしたら超能力を使えるようになったと言っていた。数少ない成功例だと言われたとか」
「つまり薬を服用しても超能力が発動する人間としない人間がいるってことか」
「らしいな。中島や江口と優ちゃんと、他にもいる可能性が高いな」
いや待て、と蘇芳が首をひねる。
「でも確か優ちゃんは小さい頃から超能力使えてたって言ってたな」
「そんな小さい頃から服薬してたのか?」
「違う。最初に聞いた話だと、優ちゃんが産まれる前、お母さんが投薬されて、その影響で能力が発現したって言われたらしい」
「なるほど――待てよ、とするとその結果を踏まえて組織は妊婦に投薬を行う可能性がある。いや、今現在もうやっているかもしれない」
色々な可能性が二人の頭の中でぐるぐると回る。
しばらくの沈黙の後、番匠が言った。
「蘇芳、何日か休みをくれ。産婦人科を調べてみる」
「そうだな――いや、それは僕の方で手配しよう。世間的に顔が知られてる僕や拓海が表立って調べに回るのはまずいだろ」
「――っ、わかった」
番匠が出て行った後、蘇芳は改めて今までの経緯をまとめておいたファイルを見返した。
(清野がもし『⒕』のメンバーだったとしたら? 何が目的で一平を拉致したんだ?)
ひょっとしたら薬とは無関係の先天的な超能力者のサンプルとして連れ去ったのだろうか。それも考えられる。だとしたら、まだしばらくは命の危険はないかもしれない。それが救いだ。もちろん、のんびりしている暇はないが。それから、一平や南美を楯に優を脅したりということも考えられるし――
そのとき、蘇芳の携帯が鳴った。夏世からだ。
通話ボタンを押した途端に、夏世の悲鳴じみた叫びが聞こえてきた。
『蘇芳、優が、優が!』




