料理は愛情?
今朝は和食。
しめじとお揚げの味噌汁、焼き鮭、ねぎのだし巻き、きんぴらごぼうに青菜のお浸し。
「あっ、このだし巻き卵おいしい」
じゅわっと出汁のにじむ卵焼きの中には炒めた白葱が入っている。葱が香ばしくて甘くておいしい。
「今日の味噌汁、お味噌違うね?」
「うん、少し西京味噌混ぜてみたの。甘めなの、苦手?」
「そんなことないよ、すごく美味しい」
もちろん料理したのは優。きんぴらだけは前日に京子が作り置きしておいてくれた常備菜を出した。毎朝こんな風に和食だったり洋食だったり、ある日は中華粥が出てきたこともある。要するに優は料理が得意で好きなのだ。
「それにしても優は料理上手よねえ」
夏世が嘆息する。
「私、あんまり料理得意じゃないからうらやましい」
(あんまり?)
(あんまり?)
蘇芳と一平、そして一緒にテーブルで朝食を摂っていた駿河がこっそり顔を見合わせて、それに気づいた夏世ににらまれる。一瞬の攻防ではあるが、ちょっとばかり天然が入っている優は気づかない。
「うちは父さんと二人暮らしだったから、小さいころからやらないとしょうがなかったんだもん。だから大したものは作れないよ」
「そんなことないでしょ」
数日前は新鮮なアジをぱっとさばいていた。プロの家政婦京子をして感心させられる手際らしい。
「だって、アジってそんなに大きくないから卸すの楽だし」
「普通はそれができないんだって」
料理に対する意識の水準が違いすぎて話にならない。
夏世が味噌汁をすすってぽつりと言った。
「私もお料理、練習しようかなあ」
「!」
「‼」
蘇芳と一平、そして駿河の背後に衝撃のベタフラッシュが走る。
「ああ、僕そろそろ出社しないと」
「あ、俺、今日は快人に呼び出されてて」
「私も本日は出入りの業者と打ち合わせがございまして」
途端に席を立とうとする男性陣だったが「すり潰すぞ」と言わんばかりの夏世の視線に冷や汗が流れる。
「じゃあ夏世さん、晩ご飯一緒に作らない?」
にこやかに優が提案する。
「!」
「‼」
男性陣ベタフラッシュ再び。
「き、京子さんは? 晩ご飯、いつも京子さんが作るじゃんか」
「京子さん、今日はお休みもらうって言ってたじゃない。だからもともと私が作る予定だったの」
「そ、そうか……」
男性三人は、朝食の後片付けを始めた優と夏世を後目にそっとダイニングルームを出た。廊下で顔を突き合わせ、小声でこそこそ話す。
「やばいぞ」
「俺、サークルの飲み会ってことにしとこうかなあ」
「でも優様がご一緒なのですから、ひょっとしたら」
「期待しない方がいいぞ、駿河」
「そんなにはっきりおっしゃらなくても」
「けどアレをもう一度食べるのは――」
三人で顔を突き合わせていると。
「あれ? 一平さんたち、出かけたんじゃなかったの?」
びくっ! 三人の肩が一斉にはねた。突如ダイニングルームから顔を出した優が声をかけたのだ。
「あ、いや、これから出かけるんだよ」
蘇芳が答える。一平は優を廊下に引きずり出した。何事かと目を丸くする優を男三人が取り囲む。ちょっと威圧的かもしれないが勘弁してほしい。
これには人生がかかってるんだ(大げさ)。
「優ちゃん、俺たちの明日の健康は優ちゃんにかかってる。頼むからきっちり! きっちりと夏世を指導してくれよ」
三人に詰め寄られ、思わず後じさりながら「はい」と答えるしかない優だった。
結局家を出る直前に夏世に見つかり、夕食に間に合うように帰る約束をさせられた蘇芳と一平は、暗くなったころにしぶしぶ帰ってきた。
ちなみに駿河は執事という職業上逃げ損ねて家にいる。
二人は玄関の前で鉢合わせし、無言で「はあ」とため息をついた。
「一平。覚えてるか、アレを」
「本人はビーフシチューだって豪語してたアレだろ」
「そう」
「あれは食い物じゃない。焦がしたゴムの塊みたいだった」
「その前のラザニア? だっけ? タバスコひと瓶入ってたやつ」
「いや、あれはタバスコじゃなくて豆板醬だった」
二人はもう一度顔を見合わせ、もう一度嘆息した。
がちゃ。
嘆息と同時に玄関扉が開く。
「蘇芳様、一平様。お帰りなさいませ」
駿河だった。
玄関扉が開いてしまったことに落胆するのは初めてだ。開いてしまったからには家に入らなければならない。家に入るからには夕食が待っているわけで――
「駿河。どうだ、様子は」
暗澹たる気持ちで尋ねたが、駿河の表情はそれほど悪くないことに気づく。
「それが」
そして扉の奥から漂ってくるのは、コンソメのいい香り。
「ひょっとしたら、ひょっとするやもしれません」
ダイニングルームでは夏世が食器を並べている。蘇芳と一平の姿を認めて晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
「お帰りなさい。すぐご飯にするから手を洗ってきてね」
夏世は上機嫌も上機嫌、アイドル系の唄を口ずさみながらキッチンへ消えていく。入れ替わりに優がパンの入った大きなかごを抱えて出てきた。
「優ちゃん!」
「あ、二人ともお帰りなさい」
二人は「うっ」と言葉に詰まる。
いつも柔らかな笑顔で迎えてくれる優が、夏世とは対照的に疲れ切った顔をしていたのだ。何があったのか聞きたいような聞きたくないような。
「――どうだった、夏世は」
小さく問いかけると優は「あはははは」と力なく笑った。
「大丈夫だよ、でも――ちょっと私もがんばりました」
「お疲れ様です」
一平と蘇芳は思わず優に頭を下げた。
この日の夕食はポトフだった。
ポトフとシーフードサラダ、フライドポテトに焼き立てのパン。見た目は普通、というかおいしそうだ。
「えっと――夏世はどれを作ったの?」
まずは確認だ。安全なものはどれかおさえておきたい。
「ん? 全部!」
「!」
「‼」
「――と言いたいところだけど、私が作ったのはポトフだけ。さすがにこんないっぱい作るのは無理だよ」
男性陣はほっと胸をなでおろす。そしてスプーンを取り、恐る恐るポトフを口に入れた。
「あれ?」
「ん?」
普通だ。普通の味だ。
砂糖と塩を間違えたり不可解に苦かったりということはない。
「すげー! 夏世、普通に食べられるよ!」
一平が驚嘆しているが、ちょっとほめ方の方向性を間違っている気はする。
「それ、褒めてるの?」
「褒めてんだよ! すげー!」
多少しょっぱい気はするが、普通においしい。今まで何度も謎の物体を食べさせられてきた男性陣には青天の霹靂だった。
だから食卓は大いに盛り上がり、和やかに夕食が進んでいく。
途中、一平がこっそり優にささやいた。
「大変だっただろ。ていうか、よくあの夏世の料理をここまでにしたなあ。感動したよ」
「うん、まあ、ね。ポトフなら失敗も少ないだろうと思ったんだけど」
ポトフは野菜や肉をザクザク切って鍋に入れ、コンソメで煮込むだけ。
「それだけだったはずなんだけどねえ――」
はあ、と優がため息をついた。
「ねえ一平さん、疲れてるところを悪いんだけど後で手伝って」
「いいけど、何を?」
「キッチンの後片付け」
上機嫌な夏世は蘇芳に任せて家から連れ出してもらい、優と一平、駿河でキッチンに来てみると。
「うわあ」
キッチンは惨憺たる状況だった。優がどんよりした表情だった理由がよくわかった。
流しには燃え尽きたように焦げた鍋が二つ、床やシンク下の扉は油でギトギト、レンジフードはすすで真っ黒になっていて、生ごみのポリバケツは今朝空にしたばかりだというのに消し炭のようなもので一杯になっている。
「結局五人分の料理を作るのに材料が三倍必要だったの」
遠い目をした優がキッチンを眺めている。
「これ、今夜中に何とかしないと明日京子さんに怒られちゃうよ」
「何をどうやったらこうなるんだ」
「わかんない」
はあ、と優が何度目かのため息を漏らす。もはや詳しく説明する気力すら残っていないようだ。
「夏世さん、コーヒーはすごく美味しいの淹れてくれるんだけどねえ」
「そこが謎なんだよな」
結局三人で夜中までキッチンの大掃除に追われることになったのだった。
「それにしても、その惨状をかいくぐり他の料理を仕上げた優ちゃんはすごい」
とは一平と蘇芳共通の見解。
以来、結局キッチンをめちゃくちゃにしたことが京子にバレて散々絞られた夏世は、京子から料理禁止を言い渡されてしまい、あの朝とっとと逃げ出した蘇芳と一平は、しばらく優に頭が上がらなかったという。




