ショッピング・ディ
どこかの会議室。
窓一つないその部屋に、中年のでっぷりと太った男が座っている。決して機嫌がいいとは言えない。
男の座っている一人掛けのソファーのそばには三人の屈強な男がいて、中年の男を取り囲んでいる。だが、男たちの視線は男の味方といえるものではない。じっと中年男を監視するように見つめている。
そして中年男の向かいには、青年が一人。
眉目秀麗という言葉が嫌味なほどに似合う、けれどどこか冷たい雰囲気を持った青年だ。
中年男は手にした書類を握りしめ、わなわなと震えている。恐怖からではない、怒りからだ。小刻みに震える手から零れ落ちた数枚の書類が床に散らばっていく。
「これは……どういう、わけだ。え?」
まだ手の中に残っている書類をぐしゃりと握りつぶして、そのまま床に投げ捨てた。青年はその様子を冷ややかに見ている。
「どうって、見ての通りですよ。あなたは体調を崩して引退する。そうですね、しばらく病院に入院でもなさって静養なされたらいかがですか」
「貴様! わしをどうするつもりだ!」
「どうもしませんよ。ただね、児玉さん」
きれいな姿勢で座っていた青年が姿勢を崩し、ソファーの背もたれに両肘を載せてふんぞり返った。青年は笑う。中年男――児玉を見下すように。
「あんたたちの時代は終わったってことですよ」
ぱちん、と青年が指を鳴らすと、児玉を取り囲んでいた男たちは無理やり児玉の腕をつかんで椅子から立たせ、引きずるようにどこかへ連れて行った。
「貴様、ここまで目をかけてやった恩を忘れて――……」
児玉の罵り声が遠ざかっていくのを、青年はもはや気にもかけていなかった。残された書類をひとまとめに片付け、ファイルにしまう。
ほどなく児玉を連れて行った男たちの一人が戻ってきた。
「終わりました」
男の報告に青年が「うん」とひとつ頷いた。
「これで目障りな老害はすべて消えました。名実ともに清野さんが組織のトップです」
「児玉さんも、俺の意見に反対しなきゃお飾りのリーダーでも残しておいてあげたんだけどなあ――ああ、でもこれだけ長い時間かけて計画したんだから、あの人に引っ掻き回されてもつまんないか」
青年――清野は不敵な笑みを浮かべてた。
「おはよ、夏世さん。早いのね」
朝リビングに降りてきた優は、既にコーヒーを淹れて飲んでいる夏世に声をかけた。
「おはよ。コーヒー淹れたてだよ。飲む?」
「うん、いただきます」
棚から自分用のピンクのマグカップを出してきて、ポットから熱いコーヒーを注ぐ。香ばしいブレンドの香りがふわりと広がり、自然と笑顔になってしまうのは最早本能だろう。
夏世の向かいに座り、コーヒーにたっぷりとミルクを注ぐ。優は断然カフェオレ派だ。
今日は土曜日。いつもは七時半に出かける蘇芳も休みなのでゆっくり寝ているようだ。カフェオレを楽しんでからで朝食は間に合うだろう。淹れたてのコーヒーの香りを楽しみつつ、優は夏世との雑談を楽しんでいる。
「――っと、そういえば昨日一平と出かけたんだって?」
突然話を振られて優はぐっ、とカフェオレが変なところに入りそうになるのをなんとか飲み下してけほけほと咳をした。
「う、うん」
「へえ、あいつにしちゃ気が利くじゃない。それにしても大丈夫だった? 危ない目にあわなかった?」
「だいじょぶ、一平さんが一緒だったし、実際何もなかったから」
「へ~え」
うん、何もなかった――わけじゃないけど。さすがに何があったのか言いづらい。
確かに痴漢に遭ったのはショックだったし怖かった。とても嫌な気持ちになったし、どうしていいのかパニックになったことも事実だ。
けれどそれ以上に助けてくれた一平にしばらくの間抱きしめられていたことが優にとっては大きな出来事になってしまっていた。
「優、なんか顔赤いよ? どうかした?」
「えっ! な、なんでもないですよ!」
「ふうん? ならいいけど」
最近優のことを呼び捨てで呼ぶようになってきた夏世が優の顔を覗き込む。なんとかごまかしたけど、本当にごまかせたんだろうか。
それ以上は聞くつもりがないようで、夏世は席を立ってコーヒーのおかわりを自分用のオレンジ色のカップに注いでいる。
「そうだ! それなら一緒にショッピングに行こうよ。一平と二人じゃ洋服とか全然見られなかったでしょ」
その提案は大賛成だ。優は二つ返事で了承した。
それじゃどこへ行こうかと盛り上がっていると、リビングの扉が開いた。一平が起きてきたのだ。
「おはよ」
途端に優の胸がドキリと大きく弾む。
「おはよ一平」
「お、はよ。一平さん」
夏世が挨拶を返しながらちらりと優を見た。が、優の小さな変化には気がつかなかったのかスルーされた。ほっと胸をなでおろす。
「一平さん、コーヒー飲むでしょ? 朝ごはんこれから作るから、コーヒー飲んで待っててね」
それでもどぎまぎしてしまうのは許してほしい。優はパタパタとコーヒーを淹れて一平に渡し、そのままキッチンへと逃げ込んでしまった。
「何だ? どうしたんだ?」
慌ただしい優を見て一平がぽそりとつぶやいた。テーブルの端に置いてある朝刊を手に取り、紙面を開く。夏世がテーブルに少し乗り出すようにして一平に小声で話しかけてきた。
「一平あんた、昨日優とデートしたんでしょ? 何かやらかしたんじゃないの? 様子が変だよ、彼女」
「馬鹿言うなよ。下世話だなあ、オネエサマは」
ばさりと新聞のページをめくる。が、実のところ一平も内心穏やかではないのだろう。
夏世がニヤニヤしながら新聞の上端を指でつついた。
「新聞、さかさまだよ」
「え」
慌てて新聞の上下を入れ替えようとして、正しい向きで新聞を持っていたことに気がついた。
「うーそだよん」
「夏世っ!」
オネエサマにかかっては一平も形無しである。してやったりという顔で夏世はコーヒーに口をつけた。
それからキッチンの方を振り返る。ダイニングテーブルから少し離れたところにキッチンへの入り口があり、今は扉が開いていて中で料理をしている優がよく見える。
「優ー! ショッピング、今日行こうよ」
「はーい! 行く行く」
「よし決まりね――一平、ついてきな」
「なんで俺が」
「あんた、優の護衛でしょ? お仕事お仕事」
「だとしても夏世に命令されるいわれはないぞ」
「あら、命令なんかしてないわよ。でも優を外に出したら、心配で心配で居ても立ってもいられないんじゃないの」
「――大体夏世は買い物が長いからやだ」
「女は買い物に命賭けるんだよ。四の五の言わずについてきな」
ぎぎぎ、と二人でテーブルをはさんでにらみ合っていると
「あの、一平さん。一平さんが嫌なんだったら、私は無理に行かなくても」
「あ、いや、行くのが嫌なんじゃなくて、夏世が――」
「そーよねえ、行くわよねえ」
一平の敗北は確定したようだ。
昨日は渋谷だったと聞いた夏世が「じゃあ新宿行こう!」と鶴の一声で三人は新宿へやってきた。
日曜の新宿通りは歩行者天国になっていて、あちこちのビルを渡り歩きやすい。駅ビルを流してからデパートをはしごする。普段はデパートなんかで買い物をしないので、優にはとっても目新しかった。
けれどそれを楽しんでいる余裕は優にはない。というのも夏世の買い物はとても豪快なのだ。それに度肝を抜かれて呆然としているうちにどんどん荷物が増えてくる。おまけに、夏世が自分用に買ったものより優のために買ったものの方がはるかに多いのだ。
どうやら最近夏世は優のコーディネートを考えるのが楽しくてしょうがないらしい。よほど奇抜なものでなければ優はおとなしく着ている。
「一回甘ロリ着てほしいはあ」
さすがに疲れて入ったカフェでアイスティーを飲みながら夏世がぽつりと言った。
石造りの古めかしい建物が特徴的な老舗のカフェ。等間隔に配置された柱は磨きこまれた大理石、上の方にガラスのランプが据え付けられている。テーブルにかけられた赤紫のテーブルセンターが室内のインテリアを引き締めていて、大正ロマン的雰囲気が素敵だ。
夏の日差しをよけるように入ってくる客で店内はほぼ満席だ。そんな店内を縫うように耳にやさしいクラシックのバイオリン曲がBGMで流されていた。
「それはさすがにちょっと」
優も少々引き気味だ。逆に一平には「甘ロリ」という言葉自体がわからなかったようだ。ちなみに甘くキュート系のロリータファッションのことを指す。そう説明すると一平も「うわあ」という顔になった。
「原宿とかで見かける、ひらっひらのお人形さんみたいなやつか」
「そうそれ。似合うと思うんだよねえ」
「やめて差し上げろ」
荷物持ちをさせられているうえに全く興味のない話につきあわされている一平が不機嫌そうにツッコミを入れる。彼女いない歴更新中の大学生に、フリルたっぷりの少女趣味全開女の子ファッションなど未知の世界だ。
「そう不機嫌にならないの。ちゃんとお礼にご馳走してるじゃない」
三人の目の前には飲み物の他にケーキも置いてある。この店はチョコレートケーキで有名らしく、てらてらと照明を反射する美しいチョコレートケーキがこれまた美しく皿に盛りつけられているのだ。
「ま、よしとしましょう」
ちょっとだけポーズを作って一平がフォークを手に取った。実は一平は甘いものに目がないらしい。こっそり夏世が教えてくれた。
夏世と優もケーキに手を伸ばす。一口切り取り口に運ぶと、まったりした甘さの中にふんわりとナッツの風味がきいていて、あまりのおいしさに優は感動してしまった。
「――そうだ。蘇芳から伝言があったの」
ケーキを半分くらい食べ終えたころ、突然夏世が話題を変えてきた。
「今度の土曜、たまには四人で食事に行かないかって」
「四人で?」
「そ。だからその時に着ていく服も買わないとねえ」
「え! まだ買うんですか!」
「だってちゃんとドレスコードのある店予約したらしいのよ」
しれっと夏世が言うが、それってとても格式の高いレストランなんじゃないだろうか? さすがに緊張する。
「大丈夫よ、そんなに格式ばったところじゃないから。ただ、服はねえ、ちゃんとしていかないと」
にやり、と笑う夏世の笑顔。どう考えても相当楽しんでいる。
「っていうより夏世が買いたいだけなんだろ?」
「そうともいうね。ほら、私も買うから――そうだ! 優、一平の服も買おうよ。一緒に選ぼう」
もはや夏世の中では決定事項となっているらしい。こうなると抵抗しても無駄だ、というように一平が優に視線をよこしつつ肩をすくめて見せた。
それがおかしくて、優はつい吹き出してしまった。
まだまだショッピングは続くようだ。




