ホリディ②
駅の大学とは反対側の階段を降り、三人で件のお好み焼き屋へに入った。
「三島屋」はこぢんまりとした店構えで、お世辞にも小洒落た店ではないけれど、学生向きの居心地の良さで学生に人気がある。奥まった場所にある席を陣取り、手作り感満載の手書きメニューからそれぞれ注文した。
「ごめんね池田さん、女の子はもっとおしゃれな店の方がよかったかな」
「いいえ、友達ともこういう感じのお店、よく行ってたんですよ。それにお好み焼き大好きだし」
にこにこ受け答えする優に快人がグイグイ話しかけている。優の手元にはよく冷えたメロンソーダのグラス――というかジョッキ――に赤いさくらんぼが浮いている。優がカラカラとストローを動かすたびに鮮やかなグリーンの中で暗い赤色が踊るのが印象的だ。
快人は話し上手で聞き上手なので、会話が気まずくならないよううまく運んでくれる。だから優も話しやすいのかいつになく饒舌だ。
一平はそれをなぜかモヤモヤするものを感じていた。
「俺の専門ですか? 俺は都市工学の方面に進もうと思ってます」
「都市工学? 街づくりとかですか?」
「一口に度って言ってもいくつか分野が分かれるんですよ。俺は――」
別に一平がハブられているわけではないのに、二人が話しているのを見ると何だか面白くない。いや、優がこうして人と雑談できる機会、今はなかなかないんだから、はしゃいでいて当然だ。水を差しちゃいけない――
「ね、一平さん。そういえば一平さんは何学部?」
「えっ!」
考え込んでしまっていた一平は、急に話をふられて思わず声を上げた。
「あ、俺は経営学」
「経営学」
「うん。いずれは蘇芳の手伝いがしたいと思ってるんだけど、そのための勉強かな」
「――難しそう」
「優ちゃんは進みたい方面とかある?」
「私の進路? うーん……」
優はちょっと驚いた顔をして、それから少し考えて、言った。
「私、お料理とか好きだから、家政学とか食物学とか――かなあ」
「優ちゃん、料理上手いもんな」
今日の朝食もおいしかった。ふわふわの卵サンドを思い出し、思わず顔が緩む。
「へえ、いいなあ俺も食ってみたい! 池田さんの手料理」
けれど快人が発した一言に再びもやっとしたものが胸の奥で湧き上がってしまった。
このもやもやは何だろう? 一平にはよくわからなかったが、とりあえず見ないふりをすることに決めた。せっかく二人と一緒にいるのに、楽しまないともったいないから。
そうしてお好み焼きを食べて談笑して、すっかり満腹になったころに優が席を外した。
「なあ一平、今ここでレポート提出しちまえよ」
「え、なんで」
「そうすればお前、池田さんと一緒に帰れるっつーか、遊びに行けるじゃないか」
「え、そりゃそうだけど」
「ほら、ノーパソ持ってんだろ? 提出自体早い方がいいに決まってるんだから、グタグタ言わず提出しろ」
「お、おう」
言われるままにパソコンを出していると、快人が腕組みをして神妙な顔で頷いている。
「池田さんかわいいけど、涙を呑んで親友を応援するよ。あー、俺っていい奴だよなあ」
「――何言ってんの?」
「隠すなよ」
快人がぐいっと机に乗り出して一平に小さな声で言った。
「一平おまえ、池田さんのこと好きなんだろう?」
「ば……っ、何言って」
「みなまで言うな。さっきから俺が池田さんと仲良く話してるとめっちゃ機嫌悪くなってただろうが。ばればれだっつーの」
好き?
俺が、優ちゃんを?
いきなり突きつけられた言葉に一平は戸惑いを隠せない。一平にとって優は妹みたいなものだ。そう思ってきた。それは生きていれば優と同い年の妹を持っていた一平にとって、「妹」という立ち位置が一番わかりやすかったからだ。そう考えれば見ず知らずの優をあんなふうに追いかけてまで助けようとした自分の行動にも納得がいく。
第一、優と一平が出会ってからまだほんの一か月ほどしか経っていないんだから、好きだの何だのもないだろう――
「ただいま!」
その時優が席に戻ってきた。優を見た途端、一平の心臓がばうん、と大きく跳ねる。
(快人のせいだ! 快人が変なこと言うから)
パソコンの画面をにらみつけながら必死に自分の表情を隠した。
結局そのまま無事レポートを提出し、食事を終えて店を出た。
意味深にニヤリと笑う快人と改札口で別れ、一平と優は二人で取り残された。
「ご馳走様。久しぶりの外食だったから、ちょっとはしゃぎすぎちゃった。ごめんね」
「いや、楽しめたならよかった」
「うん、楽しかった。ありがとう一平さん――じゃ、帰ろうか」
「え、あ……」
一平は思わず口ごもってしまった。帰った方がいいのはわかっている。古川家はセキュリティもそんじょそこらの会社やビルよりはるかにしっかりしているし、ましてや『昴グループ会長』の家だ。ケチをつけるのは得策でないことを理解しているだろう。
でも。
あんな楽しそうな優を見てしまうと、どこまでも甘やかしたくなる。それに優と二人で遊びに行くなんて、楽しそうじゃないか。むしろ自分にとってのご褒美なんじゃないだろうか?
そんな欲求が一平の口をついて出てしまった。
「せっかくだからちょっとだけ遊びに行こうぜ。俺も一緒なんだから」
優が目を丸くした。
「え、え――い、いいの?」
「おう。どこ行く?」
「どこでもいい! 行きたい!」
今度は一平が目を丸くする番だった。いつもなら優は「でも迷惑じゃ」的に遠慮しそうな場面だけれど、こんなに食い気味に「行きたい」と返ってくるとは思わなかった。
ならば一平のすることはただ一つ。優の安全を守りつつとことん楽しむ。これしかない。
結局二人で電車に乗り、渋谷までやってきた。
スクランブル交差点は相変わらずの人出でうっとうしいほどだ。行き交う車は渋滞気味のノロノロ運転で、排気ガスの匂いが鼻につく。そういえば渋谷はそもそも谷だってテレビでやっていた、それなら排気ガスがよどんでいるのもよくわかると一平はぼんやり思っていた。
けれど隣からはうきうきとした気配が漂ってくる。もちろん優だ。
特に何を言うわけでもないけれど、表情が「うれしい」とか「楽しい」とか語っている。そんな優を見ていると自然と自分も笑顔になってしまう。
「さてお姫様、今日は何がしたい?」
「なんでもしてみたい! こうやって街を歩くだけでもこんなに楽しいから」
なるほど、囚われている間も現在も基本建物の中だから、外が気持ちいいんだろうな。そう考えると、映画やカラオケはパスだな。家にいてはできないショッピングとかから行くか、一平はそう考えてセンター街へ足を向けた。
「目についたこと、全部やってこうぜ」
「うん!」
というわけで手始めにゲームセンターに入った。一歩店内に足を踏み入れると、耳が痛いほどににぎやかな曲や電子音が襲い掛かってくる。キラキラした機械に目移りしてしまって、どれで遊ぼうか迷ってしまって、ぐるりと店内を一周してしまった。
二人でゲーム機の間を縫って歩いていると、優がふと歩みを緩める。
隣にあるのはUFOキャッチャーの機械で、大きなガラスケースにはふわふわした羊のぬいぐるみが詰められていた。文庫本くらいの大きさで、全身真っ白でもこもこの毛に覆われて、顔と手足が黒くなっているそれを優がじっと見ている。
「――かわいい」
「やる?」
「やる!」
――失敗。
「ああああ落ちちゃったあああ」
「ちょこっと頭の方に重心偏ってるみたいだなあ」
言いながら今度は一平が百円硬貨を投入口に滑り込ませ、ボタンを操作して一番取りやすそうな羊をアームでつかむ。
「あ! 持ち上がった!」
けれどアームが上まで持ち上げ切って止まった衝撃であえなく羊は落っこちてしまった。見る間にしょぼんとしてしまった優の頭をぽんぽんとたたく。
「一回で取ろうと思っちゃダメなんだよこれ」
もう一度硬貨を投入して、さっき落とした羊に狙いを定めた。アームが下がり羊を持ち上げる。
「あ、あ、あ~……落ちないで、がんばって!」
優がじっと羊を見つめたまま手を握りしめている。なんだそれ、そんなに真剣な顔して。一平はなんだかおかしくて必死に笑いをこらえた。
そしてアームは羊を放すことなく無事ゴールへ。ぽん、と軽い音を立てて取り出し口に羊がやってきた。
「ほらこれ」
「すごい! ありがとう一平さん!」
羊のぬいぐるみを手に優がうれしそうに一平に笑顔を向けた。満面の笑みにくらくらくる。
――だから妹だって。環が生きていたら優ちゃんと同い年だから、重ねて見ちゃってるだけだって。
そう心の中で自分に言い訳をしていること自体、違う何かが心の中にあるという証拠なんだと気がつくこともなく、二人は他の台へと移っていった。
その後いくつかの店をひやかしつつ向かったのは大手の楽器店だ。とはいえ楽器を見に来たわけではない。大きなCD専門フロアがあるのだ。
「最近は聞き放題のアプリとかあってすんごい便利なんだけどさ、やっぱりCD買っちゃうんだよ」
大きな棚の前でCDを物色しつつ一平はつい饒舌になってしまっている。手にしているのは洋楽のCDだ。
「一平さん、洋楽が好きなの?」
「うん。JPOPはあんまり聞かないかな。あとはジャズとかイージーリスニング系」
「へえ、ジャズとかあんまり聞いたことないなあ。ちょっと敷居が高い気がして」
「そんなことないよ。聞いてみると結構知ってるメロディだったりするし。そうだな――これなんか」
言いながら一枚のCDを手に取った。紫がかった青の背景の前に真黒な女性のシルエットがジャケットに描かれている。
「これなんかメロディもきれいだし、聞きやすいんじゃないかな」
「ワルツ……フォー・デビー?」
「うん。ビル・エヴァンズの名盤中の名盤――いやごめん。つい語っちゃうな」
「え、いいのに。私、どういう音楽が好きっていうのあまり意識したことないから、聞いていておもしろいよ」
「え、ひょっとして音楽ってあんまり聞かない?」
「うーん……嫌いじゃないんだけど、はやりの曲を聴くくらいで」
「よし。それじゃちょっと待ってて」
一平はさっと身をひるがえして歩き去り、ほどなく戻ってきた。手にはさっきまで持っていなかった小さなビニール袋を提げている。そのビニール袋を優の方へ差し出した。
「よかったらもらってよ。さっきのCD」
「え、買ってくれたの?」
「押し付けるみたいで悪いけど、洋楽とかジャズ仲間作りたいんだ。夏世も蘇芳も音楽の趣味が俺と全然合わないからさ。あ、もちろん好みじゃなかったらこのCD売り払っちゃって構わないから」
「そんなことしません!」
CDのビニール袋を握りしめて反論してくる顔が必死で微笑ましい。
「そ? よかった」
つられて一平も笑う。なんだか本当に楽しい。
「こんな楽しいのに、ぐずぐずしてないでもっと早く優ちゃんと出かければよかったな」
そんな本音がふと口をついて出てしまった。
優がなぜか目を真ん丸にしていたが、すぐにちょっと視線をそらして「うん」と小さな声でつぶやいていた。
結局家に連絡を入れて夜まで遊び倒し、夕食も二人で外食した。
帰りはおとなしく電車に乗る。外はもう真っ暗で、街の夜景が窓に映る二人の顔に次々重なっていく。電車は結構な混雑で、乗り込んだ時に二人は少し離れてしまった。優はドア付近の手すりにつかまったが、一平はもう少し奥まで押されてしまい優との間にひとりふたり乗客がいる。
乗るのはほんの十分にも満たない時間なんだから離れていても問題はないだろう。そう思いながらも一平は優の方を気にしてしまっていた。
人ごみの間から見える優の横顔。今日は久々の自由な外出ということで服装も髪型もがんばっておしゃれしている感じがする。
(そういう意味じゃないってわかってはいるけれど、見方を変えれば俺と会うためにおしゃれして出てきたってことで――いや、馬鹿な事考えるんじゃない、俺)
自分を諫めるもののそれでも気分が良くて、それを表に出さないようにするのに努力が必要だ。ようやく気持ちを落ち着かせ、優の方に視線を移す――と。
目を離していたのはほんの一分ほどだったのに、驚くほど優の表情が違う。楽しかった余韻に浸っているような表情が、切羽詰まったような表情になっていたのだ。
そして脳裏に優の声がか細く響いてくる。
〈一平さん、助けて、ち、痴漢……〉
とっさに一平は自分と優の間に立っている男性をぐいっと押しのけ、優に貼りついていた手をつかんだ。
「何してんだあんた!」
周囲の乗客が一斉にこちらを見るが、そんなこと構っていられない。男を掴んだ手と逆の手で優を引き寄せ、男との距離をあけた。男はスーツ姿の小柄な若い男で、かっちりと髪をなでつけたいかにもお堅いサラリーマン風な風情が一見痴漢なんかとは無関係に見える。
「じ、自分は何も」
「じゃあこの手は何だ。とぼけてんじゃねえ」
だが丁度その時電車が駅に到着し乗車口が開いた。大勢の乗客が降り、乗り込んでくる流れに押され、一平はつかんでいた男の手を離してしまった。
「あ! 待て!」
男を追いかけようとしたものの人の多さにホームで見失ってしまった。
いらだちが収まらない。優に何てことをしてくれたんだ、さっきの男は。今度見かけたらただじゃおかねえ。
頭の中をそんな考えがぐるぐると渦巻いたまま優と二人ホームに立ちつくしていた。すごく怒っている自分に気がついて、大きく深呼吸した。
「ごめん、逃がしちゃった」
「ううん、それはいいんだけど――その、もう大丈夫、だから」
「え?」
焦ったような優の声色に見下ろすと、優が自分の腕の中で顔を真っ赤にして固まっている。そういえばさっき痴漢から引き離すために優を引っ張って――抱き寄せて……
どうやらそれからずっと優を自分の腕の中に抱きしめていたらしいことに遅ればせながら気がついた。
「ご、ごめん!」
慌てて拘束していた腕をほどく。一平も優もしばらくそのまま動けないで立ち尽くしていた。
離してしまった腕と優との間の空間がもどかしく、寂しい。
(快人、おまえは正しい)
空っぽになってしまった腕を引き戻し、胸の中で親友に謝罪した。
そりゃあ例えば痴漢に遭ったのが実の妹だったとしてもめちゃくちゃ腹は立つだろう。けれどさっき感じた怒りは違う――根っこのところにあったのは正義感でも、妹を怖がらせた相手への怒りでもない。
あれは――嫉妬めいたものだ。
だからわかってしまった。自分が優のことをどう見ているのか。
見つけてしまった自分の気持ちが何となく気恥ずかしくて、照れ隠しに一平はあたりを見回した。
「あ、ここは」
あの騒ぎで気がついていなかったが、ちょうど乗り換えるはずの駅だった。そんなことにも注意が行かないほど頭に血が上っていたんだなあ、と少し気恥ずかしい。
「そろそろ行こうか」
そうして電車を乗り換え、最寄り駅から家まで十分ほどの道のりを二人で歩いた。そんなごくありふれた場面でさえも楽しく感じてしまうから不思議だ。
「今日はありがとう、一平さん」
優が言った。
「最後に怖い目に遭っちゃったけど、すごく楽しい一日だった」
「うん、俺も。その――また行こうな」
「うん。絶対ね」
他愛もない会話が大事な宝物のようだ。
次に出かけるときは、もう絶対あんないやな目に遭わせないから。
ほんの少しだけ関係が変化した二人を、月の光が蒸し暑い夏の風に乗って追いかける。
アスファルトの上に淡く並んで歩く二人の影が伸びていた。




