8.留置場
今回、暴力的な表現がございます。
苦手な方はブラウザバックでお願いいたします。
警察署にはすぐ着いた。だが中に入ることは出来ない。
本心は留置場まで乗り込んでいきたいが、どう考えても無謀だ。理由も説明できない。たとえ自分の肩書きを伝えたところで本気には取ってもらえないだろう。
名ばかりとはいえ昴グループ会長という肩書を持っているのに、こんな時になんの役にも立たない。
もしかしたら自分に昴グループ会長としての実績があったなら警察の対応も違うかもしれない。まあ肩書で強権を発動するような真似をする気はないが、少なくとも影響力のある昴グループ会長とただの高校生では信用が比較にならない。それが歯がゆい。
力をつけたい。周囲の人達を守るための力を。
そして蔵人の遺言通りにすることを決めた蘇芳はそれを叶えるための切符を手に入れている。
遺言だからではなく、心の底から会長職をやりたいと思ったのはこの時が初めてだった。
あたりを見回すとコーヒーショップがある。飛び込んでブレンドを買い、奥まって人目につきにくそうな席に座った。目立たないように、隅にある二人がけのテーブルに、壁に向かって席に着く。
そして躊躇なく眼鏡を外した。ここからは全開で能力を使うと決めた。迷いはない。
精神を統一し、スマホを見るフリをしながら一平を探す。
けれど探すまでもなくすぐにわかった。強く思い詰めたマイナスの感情が警察署の一点から流れてくる。
★★★★★
男はひとり留置場の隅でうずくまっていた。見知らぬ一家を手に掛け、警察に捕まったのだ。
自分は孤独で家族もなく、会社では嫌味な上司にペコペコ頭を下げる毎日だ。何の楽しみもなく、ただただ流れていく日々にほとほと嫌気が差しているというのに、ショッピングモールには買い物に来ている仲の良さそうな家族連れがうじゃうじゃいる。理不尽だ。俺はこんなに不幸なのに……毎日そう思いながら何とか暮らしてきた。
だというのに数日前仕事をクビになった。もう全てがどうでもよくなった。クビになった帰り道に酒でも買おうと寄ったスーパーにはまた仲の良さそうな親子連れがいる。
何かが男の中で音を立てて切れた。
だから誰でも良かった。たまたま見かけた子連れの家族の後をつけて家を探し、押し入って、そのために購入してきた包丁で俺の辛さをわからせてやっただけなのに。
「俺は、悪くない。幸せそうなのを見せつけてくるあっちが悪いんだ」
体育座りをした自分の膝に視線を合わせたままぶつぶつとつぶやく。そして時折にたり、と笑う。定期的に巡回に来る警察官がじろりと睨んでいくが、別に気にならない。一線を越えてしまった自分自身をどう感じているのか、我ながらそれも曖昧だ――
「ふうん? そうなんだ」
「そうとも。ろくに苦労もしないで、俺みたいな不幸な人間の前で幸せだってひけらかしやがって。だからあれは天罰なんだよ、俺は悪くない」
「へえ、そんなふうに思ってたんだ」
「――」
そこで初めて男は異常に気がついた。誰もいないはずの留置場で返事がある。
それも子供の声だ。やっと顔を上げた視線の先に、パジャマ姿の男の子が少し離れたところに立っているのが映る。あちこちにガーゼを貼られ、左腕はギプスで固定されて首から吊ってある痛々しい姿だ。どこかで見たことがあるような気がする。
「子供? 子供がどうしてここに」
「ここでしばらくおじさんの独り言を聞いてたけど、ずいぶん勝手だなあ。そんなこと言ったら俺なら先生に叱られちゃうよ」
「何だと? ガキに大人の苦労がわかるか」
「うん、わからない。でもどんな理由でも人を殴ったり蹴ったりしちゃいけないって知ってるよ。だけど」
淡々と話していた男の子の声がぐっと低くなる。
「おじさんはわかってなかったんだね」
温度を全く感じさせない声色。子供にこんな声が出せるものだろうか。
そこまで考えて男ははっと気がついた。見覚えがあるはずだ、この子は――
「お、おまえ! 俺が殺し損なったガキか!」
「へえ、俺の顔覚えてたんだ。お母さん達をあんな虫けらみたいに殺したから、虫けらの顔なんて覚えてないと思ってたよ」
「ど、どうやってここに」
「別に知らなくていいでしょ、そんなこと。だって」
男の子――一平がギプスを嵌めていない方の腕を前に伸ばす。
「俺、おじさんのこと許す気なんてないから」
刹那、首を絞められたようにぐっと息が詰まった。
もちろん一平は少し離れたところにいて手が届く距離じゃない。自分の首に手を伸ばして締めつけている何かを外そうともがいても、首には何もついていない。なのに男の首は絞まっていく。
「ぐ……」
「苦しい? 苦しいよね? でもお父さんもお母さんも環もやめてって言ったのにおじさんはやめなかったよ」
首の骨がみしりと軋む。
殺される。
男は直感した。
★★★★★
「だめだ、一平!」
頭の中に広がる光景にゾッとした。
見たこともないような表情をした一平が、能力を使って犯人の男を吊し上げている。比喩ではなく、物理的にだ。PKで首を絞め、空中に持ち上げている。
このままでは一平はこの男を殺してしまう。そんなことをさせるわけにいかない。
蘇芳は無我夢中で能力を使い、一平に語りかけた。自分の思考を他人に伝えるなんてしたことがなかったが、やるしかない。出来る出来ないじゃない、やるんだ。
そしてそれはどうにか成功したようだ。透視を続けたまま蘇芳は一平に話しかける。
『蘇芳の、にーちゃん?』
蘇芳の声が届いて驚いたのだろう。一平の集中が途切れ、男がどさりと床に落ちた。ゲホゲホと激しくむせながらうずくまって、そのまま気を失ってしまったようだ。よほど恐ろしかったのだろう、顔が恐怖に歪んだままだ。
「一平、だめだ。そいつを殺しちゃいけない」
『やだよ。こいつがお父さんとお母さんと環を殺したんだぞ。俺、見てたんだ、ずっと』
語り口は淡々としているのに、蘇芳にはそれが慟哭のように聞こえた。心を鷲掴みにされたように辛い。
「でもだめだ。だって一平のお父さんもお母さんも、そんなこと望んでない」
『なんでそんなことわかるんだよ!』
「わかるよ。聞いたからね。僕が見て、聞いたことを今から一平にみせてあげる」
蘇芳はさらに深く精神を集中し、一平に届ける。
「一平を止めて」と懇願してきた、あの声の主達――一平の両親の想いを。
蘇芳が一平へと繋いだテレパシーのパスに、彼らの思いが流れ込んでいく。
――だめよ、一平。殺してはだめ
――そうだよ、そんな奴のために一平の手を汚すことなんてない
――私たちのせいで一平が人殺しになるなんて、いやよ
どうやら一平が目を丸くするのがわかった。両親の声が聞こえたのだろう。そして今まで闇の奥底みたいに表情のなかった一平の目に動揺が見える。
『お父さん……? お母さん……?』
一平が周囲をを探すようにきょろきょろと顔を動かす。
――お願い、いつもの元気で明るい一平のままでいて
――お父さんとお母さんのお願いは、一平が幸せでいてくれること。それだけなんだから
――ね、幸せになって。ずっと見守っているから
ふわりと白い手が一平の頬を撫で、そして消える。一平がはっとして顔を上げた。もうあんな全てが抜け落ちたような表情じゃない。子供らしい感情的な、けれど焦りや悲しみではち切れそうな表情だ。そして必死に叫ぶ。
『やだ、行かないで、待って! お父さん、お母さん――』
その声のせいだろうか、留置場の外に人が来る足音が聞こえる。一平ははっとして振り返り、そして気絶している犯人の男を一瞥し、ぎゅっと顔をゆがめて、その場から消えた。
★★★★★
コーヒーショップで透視を続けていた蘇芳は大きく息を吐いて姿勢を崩した。一平が思いとどまってくれたようで安堵する。けれどすぐに席を立ち、再びタクシーを拾って病院へ戻る。
今度は庭ではなく病院の中へ入り、受付で面会の申し込みをする。
「710号室の麻生一平くんに面会したいんですが」
「失礼ですがお名前は」
「古川蘇芳といいます」
「古川――ああ、先程一平くん本人から古川さんが来たら通してほしいと連絡がありました。こちらのパスカードを持って、廊下を左にいったエレベーターで7階まで上がってください。エレベーターから出たら扉がありますが、このパスをかざさないと扉が開かない仕組みです」
説明を受けて受け取ったパスカードを首から提げて一平の部屋を目指す。
言われた通りエレベーターを降りてパスを使い、710号室の扉をノックをすると、中から小さな声で「どうぞ」と返事があった。一平だ。
一平は最初に蘇芳が見たのと同じようにベッドで上半身を起こしたまま窓の外を眺めている。カーテンは全部開いていて、7階の窓からは遠くのビルや空を青空を流れていく雲しか見えない。
ここまで来たものの、どう声をかけていいか躊躇してしまう。すると、視線は窓の外を眺めたまま、ぽつりと一平が口を開いた。
「蘇芳のにーちゃん――俺、あいつを殺せなかったよ」
「うん」
ベッドの脇まで歩み寄り、蘇芳が答える。
「ねえ、どうしてお父さんとお母さんが出てきたの? 蘇芳のにーちゃんが呼んだの?」
「ううん、二人とも一平のことが心配だったんだよ。ずっと一平のそばにいたんだと思う。僕がやったのは、二人の言葉を一平に繋いだことだけだよ」
「そっか――そっかぁ」
ふと言葉が途切れる。蘇芳はベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰を下ろし、一平を見る。けれど一平は振り返ろうとしない。
窓の外は穏やかに晴れていて、時折遠くから車の走る音や人の声が聞こえる。少し離れたところにあるビルの窓に反射した光がまぶしい。
廊下を行き交う人の気配、病院特有の薬臭いにおい。何となくそんなものに現実感をかみしめてしまう。だってさっきまでの光景はあまりに非現実的だったから。
「――これで、よかったんだよね」
つぶやいて一平が自分の右手に視線を落とした。さっきあの男を殺そうと伸ばした手だ。その手が汚れることなく済んでよかった。蘇芳は薄く笑顔を作る。
「うん、そうだね」
「蘇芳のにーちゃん、俺――俺さ……」
一平の肩が小刻みに震えている。
蘇芳は立ち上がり、怪我に触らないようそっと一平の頭を撫でた。とたんに一平の目から大粒の涙が溢れ出す。それはとどまるところを知らず、一平の手に布団に濡れた染みを作っていく。
「一平」
名前を呼ぶと一平は蘇芳に抱きついて泣き出した。蘇芳はそっとその小さな肩を抱きしめる。
一平は泣き続けた。今まで泣くことができなかった分を取り返すように、そして、家族の死を受け入れるように。
現実的に留置場はおそらく監視カメラ等で監視されていると思いますが、きっと一平がPKでどうにかしたんだよ…そのあたりはふわっとお読みいただけると嬉しいです…




